企業・組織再生現場からの独り言

仕事の中で、覚えていったこと。感じたことなどなどを記していきます。我以外皆我師也。あと、読んでいる本を簡単に紹介。

中華料理屋の生きる道

2004年11月28日 | 趣味関係(食IT音楽を含む)
中華料理屋に行くと、提供される皿の大きさにびっくりすることが多い。本格的な中華料理屋だと、どうしても一皿が大きくなってしまう。近年、小皿料理の店が増えてきたものの、こっちは居酒屋的であるし、また、味がかならずしも本格的ではなかったりする。もともと、日本に根付いた中華は、パーティ料理なのか、少なくとも2~3人前、が基本の量となってしまっているのだ。これが、超有名店で、また、とっても高価なお店だけだったら、まぁ、たまにしか食べないものだと思うから、ある意味仕方がないとは思う。しかし、家の近くとかにありそうな、庶民向け中華料理のお店でも、大皿料理が中心に提供されている。
世の中、合計特殊出生率が下がり、大家族が減っている。同時に動く家族などの単位が、増えていることはない。むしろ、2~3人へと減ってきている。一人一人の胃袋が大きくなったということはない。(まぁ、惣菜・弁当などの生産量は、統計的には増えているかもしれないが、消費量は、生産ほどは増えてはいないのが実際だ。店が増えるだけ、廃棄がふえているわけだから)そして、はやっているのはラーメン店などの個食。カフェなどの少人数での行動。ファーストフードなどもそうだ。そんな中、中華料理だけが大皿料理を捨てきれないでいる。
もっとも、中華東秀(オリジン弁当をやっている会社の中華定食屋)、餃子の王将、など安価な中華定食屋もけっこうたくさん出店されてきており、個食がないわけではない。だが、世の中の動きから考えれば、中華料理屋も、変わっていかなければならないのではないかと考える。二人、三人では、大皿を2種類頼んだら、もう、それでおしまいになってしまう。中華としては寂しい限りだ。
今後、オペレーションも含めて、個食対応を進めていかないと、来店頻度がどんどん下がってしまっていくのではないか。その対応をしっかりしている中華料理屋を訪ねてみたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

駅のホームで急病人をみつけたら

2004年11月28日 | 過去の不満たらたら記事
今日、新宿駅の山の手線のホームで、急病人(というか、貧血かな?)を目の前にした。このとき、近くの人が、非常ベルを押したのだった。列車自体には異常はない。急病人は、既にホームで介抱されているが、駅員が来ない状態。当然、非常ベルのためダイヤが乱れる。
たまたま、急病人のそばに居たため、その一部始終を目にした。正直、その場で、誰にどう話を伝えたらいいのか困ったのだった。非常ベル以外に、駅員を呼ぶ手だてがない。そして駅員は、まわりにいない。車両の中で非常ベルを押しても、車掌が出てくるだけだ。また、車両内の非常ベルも混雑した電車の中では、どこにあるかわからなかった。

今から思えば、大声を上げれば、誰かが対応してくれたのかもしれなかったが、その時は、声をあげるということを思いつきもしなかったのだった。
たまたま、貧血っぽい雰囲気で、本人も意識がしっかりある状態。崩れこむように倒れ込んだだけだったから、然程大事には至らなかったのだと思うが、もし、くも膜下出血とか、脳梗塞だったら、一刻を急ぐ。忙しい中、人に構っていられない、なんて言ってられない。
大いに反省したのだった。だが、ホームの上で、列車に関係なく駅員に他の異常のメッセージを伝えるための手段は必要だろうと感じたのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする