あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

種から苗へ

2015-05-09 20:46:23 | 日記
畑仕事をやるようになってからのこだわりが、種から野菜を育てることでした。
素人は素人らしく原点から関わっていこうと考えたからです。

今、春野菜の種が一斉に芽を出し、苗に育ちつつあります。
キュウリ、エダマメ、トウモロコシ、インゲン、オクラ、トウモロコシ、ナス、トマト、スイカ、メロン、エンドウマメ、
スナックエンドウ(スーパー等ではスナップエンドウという名称で売られているところもあるようですが、正式名称はどちら
なのでしょうか?) ハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、ズッキーニ、ナンバン、ピーマン等。
畑に直接種をまいたダイコン、ホウレンソウ、コマツナ、ニンジン、モロヘイヤ、種イモを植えたジャガイモも、順調に育ち、
ニンニク、タマネギ等はもう少しで収穫の時を迎えます。

いろんな種類の花の種も発芽し、ヒマワリ類を中心に庭への植え付けもしました。
マリーゴールドは、もう少しで花を咲かせそうです。

苗を育てるようになってから実感したのは、その野菜の匂いが苗からも感じるということです。
例えば、トマトは苗からもトマトの香りがしてくるのです。
その植物の体内に、果実となる香りが宿っているということなのでしょうか。
そのことに気づいた時には、不思議な感動を覚えたものです。

それから驚いたのは、キャベツです。収穫が終えても、そのまま根を残しておくと、新たな芽が出てまた収穫ができるのです。
年を越すと春先にはきれいな菜の花を咲かせるのですが、そのつぼみの頃に切り取りおひたしにすると格別のおいしさなのです。
ハクサイも同様です。我が家では、今年の春も何度か美味を味わうことができました。
ものぐさで、放置したままでいたことが、幸いにつながったようです。

時々ホームセンターを巡り、市販されている野菜の苗を見て種をまく時期に気づくのですが、スタートは遅れても種まきした野菜は
市販されている苗に十分に追いついていくことが驚きでした。
おかげて あせることなく種をまき、苗作りができるようになりました。

素人農業の域を出ず、ものぐさで、のんびりした畑仕事への取り組みで、失敗も数多くあるのですが、家族の「おいしい」の一言が
何よりの励みであり、収穫の喜びでもあります。

畑の草取りをしながら、今日出会ったのは 茶色の毛がふさふさとした毛虫君、きれいな緑のカエル君、灰色のさえない色をした
カエル君(色合いやゆったりとした動きに妙に親しみを感じます)、ミミズ君、
掘り返した土のあたりをチョコチョコと動き回るスズメ君、白と黒が鮮やかなセキレイ君でした。
私の一番苦手なヘビ君には、まだ出会っていません。ヘビ君には悪いのですが、できることなら一年を通して会いたくないのですが……。
ひとつ忘れていたのが、迫力のない虎を想わせるノラネコくんとの出会いです。
まるで畑の主のように堂々と私に目向きもせず通りぬけていくのですが、頭や背中の毛の一部が起きがけの私の髪の毛のように立っているのです。
まるで ネコのチャップリンが歩いているような気がして、何とも言えない親しみを感じ、笑ってしまいました。

長丁場の野菜作りも春の到来と共にスタートしたわけですが、畑を舞台に今年はどんなドラマが展開するか、折に触れて紹介していきたいと思います。

それにしても心地よい風が、汗をぬぐうように通り抜けていく時、何とも言えないぜいたくな幸福のひとときを味わっているような感覚になります。

この瞬間を味わうために、今年も畑仕事に精を出していきたいと思います。
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『鹿の王』を読んで

2015-05-05 19:19:23 | 日記
守り人シリーズを読んで以来、上橋さんの書かれたファンタジーの世界に心惹かれています。

主人公のヴァンに、北方謙三さんが描く小説に登場する主人公と重なるものを感じました。

愛する妻と子を失い、死に場所を求めて戦う主人公。
ニヒルな戦い人が、生と死の狭間を乗り越え、守るべき幼子:ユナと出会い、守るべき者を生かすための戦いに臨みます。
医術師という立場で生と死の意味を問いながら、病に立ち向かう もう一人の主人公ホッサル。
二人の主人公が出会う中で、生きるということの意味や命というものの大切さについて問われているような気がします。

病の謎を追求する形でストーリーは展開します。
しかし、読み終わった後に残るのは、人はなぜ生きるのかという問いであり、主人公の思いと重ね合わせた答えです。
生ある者は、いつかは死へとたどりつきます。
それが自明の理であるものの、いかに納得した形で生を終えるのか。
死と向き合うことで、見えてくる生のありよう…。

エンディングの場面で願うのは、ヴァンの死ではなく、ユナとサエとヴァンの生ある未来の姿です。
「鹿の王」としての 生き様があっても、そのゴールは死ではない。
そう思えること自体が、生きることの意味や大切さを感じるが故の結論なのかもしれません。

守るべき者のために何ができるか、その答えを探し求め続けることが 生きることの意味でもあるのかもしれません。





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第三の道 『64ロクヨン』を読んで

2015-05-04 12:13:55 | 日記
横山秀夫作『64』を読みました。

主人公が、第三の道を踏み出し進んでいこうと決意する場面が、感動的でした。

警察組織の中での対立関係の中で、主人公は苦悩します。
所属するD県警の刑事部と警務部との対立。
それに関わっての本庁と地方警察との対立が64と呼ばれる未解決事件と複雑に絡み合う展開となっています。
一人娘が家出をし消息不明という家庭の問題も抱え、娘や妻を気遣い父として夫としての在り方についても悩む主人公。
その人間的な姿に共感を覚えると共に、それがまたこの作品の大きな魅力ともなっています。

広報の担当者である主人公は、マスコミとの対応にも追われ、情報公開や警察の透明性をどうつくりだしていくか、
警察の窓としての役割を考え奮闘します。

64の事件と刑事時代に関わりの合った主人公は、その事件の担当者の一人が職を辞し、14年間引きこもり状態に在ることを知ります。
また、職を辞しながら、事件の被害者の墓を定期的に訪れ、父親の辛い思いによりそう元刑事の存在も知ります。
64の事件は、解決という結果にたどりつくのですが、そのプロセスの中で、主人公も新たな第三の道を見出すことになります。

今与えられた立場の中で、職場の仲間とともに、対立を越えたところで生きるということ。
すべてのしがらみを断ち切り、広報という仕事を市民に開かれた窓として機能させること。
支えてくれる人がいて、支える自分がいるということ。
娘もどこかでその辛い思いを受け止め支えてくれる人がいて、無事に生きているのかもしれない。

現実を一つ乗り越えたところで見えてきたものを大切にして、主人公は 警察官として・父として・夫として 新たな道を進んでいくのでしょう。

誰もが 必要とされるから そこにいて そこで 生きているのですから。

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憲法について考えながら

2015-05-03 19:14:31 | 日記
今日は、憲法記念日。改めて憲法に対する自分の考えをまとめてみたいと思います。

前文を読んで感じるのは、戦争のない世界の平和を願う熱い思いです。
軍事力に頼らない 国家間の相互の信頼に基づく平和への希求です。
先の戦争に対する強い反省のもとで生まれた憲法だからこそ、目指す理想が心を打ちます。
一部の改憲派にとっては、戦勝国から押しつけられた憲法だというとらえ方もあるようですが、前文を読んでもそう感じるものなのでしょうか。
そこに、歴史的視点の相違があるように思います。
過去の戦争をどうとらえるのか、その歴史的評価に関わる視点の違いです。
靖国参拝を肯定するかどうかも、その歴史認識によって大きく異なってくるように感じます。

アメリカ議会の首相演説について、評価は二分されているようです。
痛切な反省の思いがあるなら、なぜ過去の侵略や慰安婦問題について、加害責任を認め謝罪することができなかったのか。
過去の歴史の反省を踏まえた 未来志向ならば、韓国も中国も認める演説になったのかもしれません。
それが言葉にならないところに、首相の歴史観があるように思います。
力によって平和がつくられるのだという 論理は、平和憲法を否定する考えにも結び付きます。
集団的自衛権の行使の範囲を限りなく広げ、アメリカの同盟国としての立場を鮮明にすることで、これまでの日本のイメージは一変してしまうのではないでしょうか。
積極的平和外交とは、軍事面での協力を錦の旗にする外交なのでしょうか、
核兵器の廃絶、戦禍による難民の救済や支援、災害救助等、力ではない人道的支援に積極的に努めることこそ、平和外交の根幹となるべきことのように感じるのですが…。

憲法9条の理念を実践することこそ、積極的平和外交であり、多くの国から平和国家として信頼される道筋のような気がしてなりません。

まどさんの詩にあるように 国という枠を越え 世界のさまざまな国々と 命を育む空気のような存在として、日本が関わっていけたらと強く思います。

力で成り立つ平和ではなく 相互の信頼に基づく平和こそ、日本国憲法の一番大切な理念のような気がしてなりません。

改めて 不戦の誓いを心に刻む 憲法記念日でありたいと思います。
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まどみちおさんの詩集から

2015-05-01 22:47:18 | 日記
5月になると浮かんでくるのが,まどみちおさんの詩:『空気』です。
まどさんを偲びながら、全文を書きだしてみます。

     『空気』
            まど みちお

ぼくの 胸の中に
いま 入ってきたのは
いままで ママの胸の中にいた空気
そしてぼくが いま吐いた空気は
もう パパの胸の中に 入っていく

同じ家に 住んでおれば
いや 同じ国に住んでおれば 
いやいや 同じ地球に住んでおれば
いつかは
同じ空気が 入れかわるのだ
ありとあらゆる 生き物の胸の中を

きのう 庭のアリの胸の中にいた空気が
いま 妹の胸の中に 入っていく
空気はびっくりぎょうてんしているか?
なんの 同じ空気が ついこの間は
南氷洋の
クジラの胸の中に いたのだ

5月
ぼくの心が いま
すきとおりそうに 清々しいのは
見わたす青葉たちの 吐く空気が
ぼくらに入り
ぼくらを内側から
緑にそめあげてくれているのだ

一つの体を めぐる
血の せせらぎのように
胸から 胸へ
一つの地球をめぐる 空気のせせらぎ!
それは うたっているのか
忘れないで 忘れないで…と
すべての生き物が兄弟であることを!  


  さんさんと降り注ぐ5月の陽光を浴びて、さまざまな緑が生き生きと輝いています。
  ながめているだけで、私自身も緑に染め上げられ、心がすきとおりそうに清々しく感じます。
  目に見えない空気が、あらゆる命あるものとのつながりを語りかけてくれているんですね。
  すべての生き物が兄弟である と。
  自由にそれぞれの生き物の胸を通り抜け、それぞれの命を支え、地球をめぐる空気のせせらぎ。
  この空気のような存在に人間が近づくことができたら、どうでしょう。
  戦争のない平和な地球が実現できるかもしれません。
  地球環境を守っていくことの大切さも気づいていけるのかもしれません。
  核兵器も原発もない 命あるすべてのものが兄弟として安心して生きていける地球を つくっていけるかもしれません。

  庭のサンショウの木を飛び回るアゲハを今日見かけました。
  卵を産みつける場所を探していたのだと思います。
  命あるものの命をつなぐ営みも始まっているのですね。

  ネパール地震の死者は、6千人を超えるとのこと。
  被害がこれ以上拡大しないことを祈ります。
  尊い命が失われることの痛みを改めて感じています。

  
  
         
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