あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

詩「ヒロシマというとき」を読みながら

2015-05-16 10:26:29 | 日記
5/15付の天声人語の中に、故パルメ首相(スウェーデン)のメッセージと被爆した詩人:故栗原貞子さんの詩の一節が取り上げられていました。
「どの国の政府であれ、責任ある地位にある者は、すべて広島を訪れることを義務づけるべきだ。」
反核の世界的リーダーであったパルメ氏の言葉です。広島を訪れることで何を学びとったのか、ハルメ氏の思いが込められたメッセージだったのではないかと思います。

 次に、栗原さんの詩を全文、書き出してみます。

 「ヒロシマというとき」

           栗原 貞子

〈ヒロシマ〉というとき
〈ああ ヒロシマ〉と
 やさしくこたえてくれるだろうか

〈ヒロシマ〉といえば 〈パール・ハーバー〉
〈ヒロシマ〉といえば 〈南京虐殺〉
〈ヒロシマ〉といえば  女や子供を
ガソリンをかけて焼いたマニラの火刑

〈ヒロシマ〉といえば 
血と炎のこだまが 返って来るのだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしくは
 返ってこない

アジアの国々の死者たちや無告の民が
いっせいに犯されたものの怒りを
噴き出すのだ


〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉と
 やさしくかえってくるためには
捨てた筈の武器を ほんとうに
捨てねばならない
異国の基地を撤去せねばならない
その日までヒロシマは
残酷と不信の苦い都市だ
私たちは潜在する放射能に
灼かれるバリアだ

〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしいこたえが
かえって来るためには
わたしたちは
わたしたちの汚れた手を
きよめねばならない


何と痛切な思いを込めた詩でしょうか。

今の政治的な動きに対する 強烈なメッセージでもあるのではないでしょうか。

捨てた筈の武器を捨て去らずに 新たな軍事的協力関係をつくり
異国の基地を撤去せず、沖縄に新たな基地負担まで押し付けようとすることで
〈ああ ヒロシマ〉と やさしい応えは返ってくるのは さらに遠のくのでしょう! 

原爆投下による被害者でありながら
『汚れた手をきよめねばならない』と
戦時下における アジアの人々に対する 加害責任を自ら背負おうとする決意と痛み。

この切なる思いは、悲しいことに 日本の政府や政治家の心には届いていないのでしょう。

日本政府が、核軍縮を扱う最終文書に『世界の指導者らに被爆地を訪ねるよう』提案したところ、中国から『日本政府が第二次世界大戦の加害者でなく被害者として日本を描こうとしていることに同意できない』とクレームがつき、その文言が削除されたと 天声人語で紹介されています。

また、本文では「パルメ氏の言葉も、加害と被害を超えた人道にの深みに根ざすものだ。核廃絶の願いまで歴史認識につなげるのは筋が違う。提案を復活させてほしい。」と 結んでいます。

その考えには全く同感なのですが、前提となるべき 加害責任を認め謝罪をするという一歩を日本政府が踏み出さない限り、被害者意識に基づいた主張としてしか、中国や韓国は受け止めないのではないでしょうか。

そのことを 誰よりも悲しい事実として 憤りをもって 受け止めているのは 『血と炎のこだま』を聴くことのできた栗原さん自身なのではないでしょうか。

こだまに耳を傾け 過去の加害者としての過ちを認めることで、平和国家としての日本の歩みと 核廃絶を願う真摯な思いが、かっての被害者であるアジアの人々に受け入れられ、その心に届いていくのだと思います。


被害者でありながら アジア人々の心の痛みにも心をよせる 栗原さんの耳に、
〈ヒロシマ〉といえば
〈ああ ヒロシマ〉とやさしいこたえが
かえって来る日が いつかはきっと訪れる日がくるのでしょうか?
その日が 必ず訪れることを信じ、願い続けていきたいものです。
コメント
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