あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

3.11を迎えて想うこと

2015-03-12 00:35:54 | 日記
震災後、何が変わったのでしょうか。

警察庁の発表によると、震災の死者は15,891人、行方不明者は2,584人。
復興庁によると、震災後の体調悪化や自殺による震災関連死は、3,192人。
今でも避難生活を余儀なくされている方が、約23万人おり、原発事故よる福島県からの県外避難者は46,000人います。

震災後の復興状況について、朝日新聞の記事では 各地で復興のカタチは見えてきたが見えてきたからこそ実感する悩ましい現実を実感すると述べ、三つの事例を取り上げています。

一つは、宮城県岩沼市。津波に流された六つの集落が集まり、約400世帯:千人規模の集団移転の街ができるとのこと。しかし、住人の1/3が65歳以上で、高齢化率は市内平均よりも高い割合にあるそうです。

二つ目は、岩手県陸前高田市。甲子園球場80個分・総工費1200億円の土地区画整理事業が進み、完了するまであと4年を要するとのこと。しかし、人口流出が進み、4年で2割近く減り2万人ほどとのこと。こういった状態でどれだけの住民が住むことになるのか、過疎に対応したまちづくりが求められているようです。

三つ目は、全線開通した常磐自動車道。福島県内の帰還困難区域を貫き、安倍首相の語る復興の起爆剤であり、物流の新動脈です。しかし、高速道の下は無人の街であり、JR双葉駅は震災の時刻を指したまま、渡線橋は腐食して傾いたままの風景。高速道とは残酷なほど対照的とのことです。

この三例は、高齢社会、過疎、原発への対応といった現実的課題を突きつけられる復興のカタチでもあるのでしょう。カタチはつくれても、それが希望に満ちた復興への軌跡となるのかどうかはこれからの在り方に関わってくるのだと思います。

原発事故の廃炉に向けた取り組みについては、どうでしょうか。

使用済み燃料プールからの燃料取り出し作業は、4号期は昨年末に終えたが、汚染の激しい1~3号機については、前段階の「がれき撤去・除染」の過程にあります。次の段階の「燃料取り出し設備の設置」→「燃料取り出し」→「保管・搬出」に取りかかるには、まだ時間と技術的な工夫が必要となりそうです。
これらの作業を終えた上で、最難関の次の段階の作業があります。事故によって溶け落ちた燃料の取り出しです。今の段階では、溶け落ちた燃料がどこにあるかも不明なので、具体的な方法は決まっていないそうです。20~25年度の達成を目指しているそうですが、果たして可能なのでしょうか。
この取り出し作業が終えたところで、原子炉施設の解体となります。解体装置の開発や高度に汚染された解体がれきの管理・処理方法など、多様な技術や方法がさらに求められることになりそうです。

この一連の廃炉工程を終えるのに、30年~40年がかかると言われているそうですが、汚染水の流出さえ止められない現状の中で、この年数で完了できるかどうかは疑問です。
原発事故によって汚染されたゴミの始末に難儀し、処分先や方法まで決まらない中、原発再稼働に向けての動きが進んでいます。稼働することで、また新たな核ゴミが生じ続け、事故が起こる危険性は消えません。

未来に対して、事故の後始末と核ゴミの処理を託し、危険性を放置することは、許されることなのでしょうか。今生きている大人としての責任を痛感します。原発事故の当事国なのに、なぜドイツのように脱原発への道を選択できないのでしょうか。美しい環境の中で危険のない安心な生活がおくれる未来であってほしい、原発事故の教訓を通してその願いを痛切に感じているのですが…。

震災や原発事故を通して学び、その後の4年間の中で実感し・得たものを これからの中でどう生かしていくかが、変わらなければならないこれからの道筋のように感じています。