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あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

ひと雨ごとに 近づく 冬

2012-11-06 22:23:38 | インポート

今日は、朝から雨模様でした。激しく降り続く時間帯もありました。暗い空が心の中まで覆ってきそうな感じがする一日でしたが、雨にぬれた紅葉はより一層しっとりとそして鮮やかに色合いを深めたような気がします。町の通りの 雨にぬれた 黄色く色づいた イチョウ並木をながめながら、そのことを実感しました。

目をこらせば、いろんなところに、秋はたたずんでいるようです。晴れた日には、陽光を受け一段と美しさを増した紅葉を見ることができそうです。ゆっくりと時の流れに身を任せ、青い空に映える晩秋の風景を 楽しんでいきたいものです。

時間を播き戻すことはできませんが、ゆったりと時と向かい合うことはできます。風に揺れる紅葉を、舞い落ちるイチョウの葉を、その向こうの深い青空を ながめたり、地面に舞い降りた落ち葉を そっと手に取ってみたりすることで、秋から冬へと流れていく 時間と 向かい合っていきたいものです。

通りすぎる秋を 詩人のようなハートで 愛しんでいけたらと 思います。

明日:11月7日は、暦の上では立冬です。これからは、一雨ごとに冬に近づき、やがて雨はみぞれとなり、そして 初雪に変わっていくのでしょう。 

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クウタと 柿食う 秋

2012-11-05 21:49:46 | インポート

秋の深まりに合わせて 柿の実も一段と色鮮やかに熟れてきたようです。

畑仕事の合間に、手の届くところにある甘柿を獲り食べていると、クウタが「俺にもくれよ!」と、ほえ始めます。その声を無視して食べ続けていると、一段と音量をあげさらに力強くほえます。昨年もその前の年もそうだったように、柿をめぐるクウタとの熱いやりとりを今年も繰り返していることに、思わず笑ってしまいます。

それにしても、柿を食う犬なんて、他にもいるのでしょうか。12年目の秋も、元気なクウタと戯れながら過ごすことができることに、何とも言えない喜びを感じています。

私にとってクウタは、柿食う友 といった感じになるのでしょうか。あと、2週間ぐらいは共に柿を食べ合う日々を過ごすことができそうです。

栗駒山も初冠雪し、雪化粧した姿を見ることができるようになりました。一歩ずつ、季節は秋から冬に向かって動いているようです。

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東山魁夷展を見て 

2012-11-04 21:19:07 | インポート

昨日は、家族で仙台に出かけ、宮城県美術館で開催されている東山魁夷展を見てきました。

緑や青を基調とした作品が特に印象的でしたが、その色合いの深さには見ているだけで吸いこまれるような感じがしました。目で見るだけではとらえられない自然の醸し出す荘厳な美しさが、絵によって心の内に再生されてくるような気がしました。

中でも心を奪われたのは、「映象」という1962年に作者が54歳の時に描いた作品です。黒を背景に、白く浮き立つように立ち並ぶ木々が上半分に描かれ、下半分にはそれが湖面に映る様子が描かれています。緑や青ではなく、黒と白を基調とした作品ですが、北欧の冬の夜の 静寂と荘厳さが、圧倒的な迫力で伝わってくる作品でした。

黄色を基調とした秋の自然を描いた作品も心に残りました。「木枯らし舞う」1997年作(89歳)では、前景に森の中を木枯らしにのって無数の木の葉が舞う姿が描かれ、遠景には木々の向こうにまばゆいばかりの秋の光があふれている様子が描かれています。通りすぎる秋の一瞬が永遠の光の中に包まれているような感じがしました。「行く秋」1990年作(82歳)は、そこに秋がいっぱいこぼれ落ちているように、木の根元に輝くように黄葉した葉が描かれていました。美しい秋がこんなにいっぱいあふれていますよ  と 作者が語りかけているような気がしました。

四季折々の自然の美しさが、宝石のようにちりばめられ、その輝きを受け止めることで 心の中まで豊かになることのできた 作品展でした。

開催期間は、11月11日までとなっているようです。

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5×0 について

2012-11-04 21:17:59 | インポート

ある小説で、「5×0はどう教えているの」と、問いかける場面がありました。具体的にどう教えているのかという点はストーリー上では重要ではなく省かれているのですが、私はそこで、自分だったらどう教えるだろうかと 立ち止まって考えました。かけ算は、小学校2年で学習します。かっての授業を思い出しながら、遠山啓先生の提唱した指導法:水道方式の考えをもとに、私だったら 次のような段階を踏み、5×0を教えるだろうな と考えました。以下、長くなりますが、その考えを次に紹介します。

1 初めにかけ算の意味を考えます。

問題1 一箱に5個ずつ入っているキャラメルが10箱あります。キャラメルは全部で何個あるでしょうか。 

 この問題の答えを一人一人に考えてもらいます。その上で、どうやって答えを求めたかについて話し合います。

 問題を5×10にしたのには、理由があります。5は、2つで10になり答えが求めやすいという利点があること、10にしたのは、答えを求めるのにある程度の困難さがあること、絵やタイルを使って多様な考えが出しやすいこと、足し算で求めた場合(累加)立式すれば5を10個分も並べて書くことが必要となる などの理由からです。

 それぞれの考えを出し合った後に、黒板に 5のタイルを10本並べ 答えが50個となることを確認します。その上で5( )10=50 答え(50個) と板書します。次に、同じ数値を使った問題に挑戦します。

問題2 一つのさらに5個ずつケーキがのっています。さらは10まいあります。ケーキは全部でいくつあるでしょうか。

 この問題は、全員で一緒に考えます。初めに答えを予想させ、その理由を発表してもらいます。その中で、前の問題とこの問題の共通点を考えさせます。同じ数値が使われていること、5は1箱あたりと1さらあたりの数であり、どちらも一つあたりの数であるということ。10は、それがいくつ分あるかを表す数であること など。

 そこで黒板に、<一箱当たり 5個>、<1さらあたり 5こ> と書き、1あたりのもっている量(数)を意味することを確認します。

 次に <1グループあたり 5人>、<1本あたり 5円> と板書し、それぞれが 何を表しているかを考えさせます。1グループに 5人の仲間、1本 5円の鉛筆 といったように、具体的な1あたりの量を イメージさせます。その上で、かけ算は(1あたりの量)が決まっていて、それが(いくつ分)あるかがわかっている時に 成り立つ計算 であるということを教えます。

 そして、問題1も問題2も、5( )10 の( )の中には ×<かける> という記号を使って 式で表すことができるということ、 答えが50なので 問題1は 5×10=50 答え(50個)、 問題2は 5×10=50 答え(50個)、 と表すことを確認します。この時に、5+5+5+5+5+5+5+5+5+5=50 でも 間違いではないけれど、かけ算の式にすれば 5×10 と簡単に表すことができるということを 確認しておきます。

 発展的に、<1グループあたり 5人> >や <1本あたり 5円>を使った かけ算の問題づくりに挑戦してみるのも いいと思います。問題づくりを通して、かけ算とはどういうもので どんな意味の計算なのかを、意識づけできるかもしれません。

 この段階のまとめとしては、かけ算は (1あたり量)×(いくつ分) の 言葉の式で表すことができることを教えます。 

2 次の段階では、『1あたりの量探し』と かけ算の問題づくりに 挑戦します。

 1…… 1/1人ですと 人間誰でも共通に持っている へそ・鼻・口・命 など

◆問題例 人はだれにでも1人あたりへそが1つあります。6人いれば、へその数は 全部で いくつになるでしょう。  式: 1×6

 2…… 2/1人ですと 人間誰でも共通に持っている 耳・目・まゆ毛 など

◆問題例 人はだれにでも1人あたり耳が2つあります。4人いれば、耳の数は 全部でいくつになるでしょう。   式: 2×4

 3…… 3/1台 の三輪車のタイヤ

◆問題例 三輪車には、1台あたりタイヤが3つあります。三輪車が7台あります。タイヤの数は全部でいくつになるでしょう。  式: 3×7

 4…… 4/1台 の自動車のタイヤ、 5…… 5/1人 の片手、片足の指、 6…… 6/1匹 の昆虫の足、 7…… 7/1週間 の日数 といったように、どれにも共通して同じ数(量)だけあるものを(1あたり量)と言い、それが(いくつ分)あるかが決まれば、かけ算になることを 改めて確認します。

 さらには、量の質が異なる 長さ、重さ、液量、金額などの 1あたり量についても 確認しておくことで、理解が深まるのではないかと 思います。

3 次の段階で、九九を取り扱います。教科書では 5・2・3・4・6・7・8・9・1・0の段の順で指導しているようですが、2の段の後に4の段、3の段の後に6の段といったように、習った段の考えを生かして次の段の答えが求められるような取扱いにしてもいいのではないかと思います。また、5の段の答えを、2と3の段の九九を使って求めるなど、学んだ九九を発展的に生かしながら、九九を学ぶようにしていくと、暗記だけの機械的な指導に陥らずにすむのではないかと思います。

 ■5×0については、次のような取り扱いをしながら、教えていきたいと思います。

金魚がどの水槽にも5匹ずつ入っています。水槽が6個あれば、金魚は全部で何匹いるでしょうか。 この問題を初めに提示し、水槽の数を5,4、3、2、1と減らしていきながら、立式させていきます。そして、水槽がない場合は(0の場合)、どう立式できるか考えさせます。そして、1あたり量の5が成り立ち、いくつ分が0になるので、5×0という式に表せることを確認します。

4 最後に、0の段を取り扱います。1あたり量が0になる時のかけ算になるわけですので、例えば カエルのへその数、へびの足の数 といったように、1あたり量が0になる具体量を考えさせます。その上で、0×(いくつ分) の式が成り立つことを確認し、いくつ分がどれだけ大きい数になっても 0×(いくつ分)=0 となることを 理解させます。

以上のような段階で、かけ算の単元を指導していくことで、5×0 も 0×5も かけ算の式として成り立ち、答えが0であることを理解できるようになるのではないかと考えたのですが、いかかでしょうか。

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あした咲く蕾

2012-11-01 08:41:38 | インポート

「あした咲く蕾」は、朱川湊人さんの書いた 文春文庫の短編集に収められている作品で、本のタイトルにもなっています。白石加代子さんが演じた一人芝居『百物語』の中で、朱川さんの書いた「栞の恋」という作品が取り上げられていたのを思い出し、読んでみることにしました。

第一話がこの作品でしたが、心に残るストーリーでした。ガサツで率直な言動をする若く美しい女性が登場しますが、彼女には不思議な能力があります。命を分けてあげるという力です。幼い姪と甥の前で、枯れた朝顔をよみがえらせたり、死にかけた捨て猫に生きる力を与えたりする力です。やがて彼女は結婚するのですが、ガス爆発事故に巻き込まれた子どもを救おうとして命を使いきり亡くなってしまうという話です。

「僕が出会った、天使の話をしよう」という言葉から物語は始まるのですが、その意味が最後の場面でしっかりと伝わってきます。やはり、彼女は繊細で心優しい天使だったのだと……。

34年前の出来事という設定なので、なつかしいフクちゃんや新谷のりこが歌う「フランシーヌの場合」が登場するなど、当時の時代状況が目に浮かぶような描写も散りばめられています。

命を分けてあげる能力を身につけることができたら、自分だったらどんなことに使うだろうかと考えてしまいます。命には限りがあるわけですから、誰かや何かのためにその力を用いることは、それだけ自分の命を失っていく行為になります。彼女は、自分の幸せのために生きることのできない辛さを人一倍感じとっていたのではないでしょうか。結婚に踏み切るまでにもかなりの葛藤があったようです。彼女の姉は、そんな妹の悲しい運命を予感し、その行く末を気遣っていました。愛する人のために、その命を使いきってしまうのではないかと……。

生きることは、ある意味で与えられた命を少しずつ使っていくことなのかもしれません。仕事や家族のために・親しい友のために・自分の志のために・趣味や自分のために…、意識せずに・あるいは意識的に、日々 命を使っているのだと思います。

目に見えない 命というものについて、そして その使い方について 深く考えさせられた作品でした。

11月1日は、今年から「古典の日」となりました。1008年11月1日に、源氏物語をめぐる記述が「紫式部日記」に初めて出てきたことにちなんで、定められたとのことです。古の書物を読むのにも、現代の書物を読むのにも、今は最適な季節を迎えています。書物に時間を割くことも、命の上手な使い方の一つなのかもしれません。

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