あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

奥西死刑囚の願い

2015-10-06 18:48:03 | 日記
三重県名張市で1961年にあった「名張毒ぶどう酒事件」の犯人とされ、死刑囚
として服役していた 奥西勝氏が、病死したと報道されました。
無実を訴え、第九次の再審請求中に迎えた死でした。
裁判では、一審で無罪だったものの、二審で死刑判決を言い渡されたとのことです。

以来再審請求を繰り返し、七次の再審請求の際には再審決定されたもののその後に
取り消され、再審は開始されないまま、無実の訴えが届くことなく亡くなりました。

新聞に掲載された記事の中から、奥西氏の思いを込めた言葉を書き出してみます。

「死刑制度には反対しない。私はやっていないから、恩赦は求めない。裁判で無実を
 証明して、歩いて塀の外に出る」

無実だからこそ正々堂々と裁判でその事実を証明したい。
死刑制度の反対や恩赦を望む気持ちは微塵もなく、ただ無実を晴らしたいという 
その気概が 自らの足で塀の外に出るという決意につながっているのだと思います。

1912年の3月に送られた支援者へのメッセージ
「これが最後にしたい、なりたいと願い、差し戻し審の決定に大きな望みと期待を
 寄せています。…(中略)…命のある限り私は頑張ります」

命のある限り頑張り通しながら、その願いは果たせない結果となってしまいました。
死刑確定後43年間も無実を訴え続けたものの、死刑囚としての悲しい肩書は消えずに
奥西さんはこの世を去ることになったのです。
さぞかし無念であったことと思います。
死刑囚という立場が、我が子に負わせた 苦労や辛さ。
その痛みを 他人様にはわからないでしょうが と語る辛さ。
そういった諸々の思いを抱えながら、無実を訴える戦いを続けてこられたのでしょう。

無罪と想定できる場合には、裁判所はその英断を下すべきなのだと思います。
冤罪のまま刑に服す可能性を 限りなく少なくするためにも。

死刑囚として無実のままこの世を去った人は、どれだけいるのでしょうか。

人が人を裁くことの限界を知り、可能な限り冤罪を防ぐしくみが必要なのだと思います。


















コメント
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