今日は、妻の誘いもあり、敬愛する先生(春日辰夫先生)の講演会に参加してきました。
再会は、二十年振りぐらいになるでしょうか。
先生から何年振りになるかねと、問われても即答できず戸惑ってしまいました。
そして改めて感じたのは、以前の頃と同じように 人柄も 熱い教師としての思いも 誠実さも変わらない という思いでした。
教師としての出発点が、中学の教育実習で 子どもに叱られたことだったということ。
子どもに見えたものや思いを推し量ることができず、子どもたちを叱ってしまったことの後悔の思い。
ニイルの「私は学校をはじめたとき、子どもを学校に適応させようと思わなかった。子どもに適応する学校をつくろうと考えた」
という言葉に共感する思いの中に、先生のよって立つ原点を感じました。
春日先生の誠実さは、自分の実践を担任した子どもたちの言動を通して語ることです。
事実を語ることでその時の教師としての思いを淡々と語る姿勢のうちに、感じ取れる思いです。
主役は子どもであり、私はあくまでも側面からの支援者にすぎない。
算数の授業での活躍に感動した仲間から エイジソン と名づけられた子の話。
その子から算数の評価を再考してほしいと要望され、通信票の評価を変えたのだそうです。
その子がなぜそう考えたのか、納得できたからこそ評価を変える行為をした教師。
子どもの思いに寄り添いながら、柔軟に対応する姿に、一人ひとりの子どもたちの思いや考えを大切にするハートを痛感します。
限られた時間のために、先生の用意されたレジメから割愛される事例がたくさんあっことが残念な点でした。
「教師の仕事」という項目に続いて話されたのが、二つ目の「学校が学校になるために」という項目でした。
その中で、先生は 統合が進む 学校規模について、新たな視点から話をされました。
学校の適正規模は、人数ではなく(社会性や多様な個性にふれるという利点から、文科省は統合を推進しようとしているが)、
・全校の子どもの名前が覚えられる規模 ・地域の人々が子どもたち一人ひとりの存在を認め、受け入れることのできる規模、
・一人ひとりの家庭の事情が理解でき、それに応じた指導や支援ができる規模
この考えの根本には、一人ひとりの子どもの姿が見え、家庭の事情を理解でき、地域と一体となって子どもの成長を見守り、指導
や支援のできる学校が、理想の学校であり、適正規模の学校であるという考え方があります。
それはつまり、どの子も主役となり、どの子も大切にされる学校が 求められる学校像なのだという思いなのだと思います。
社会性や多様な個性にふれるという 言葉は魅力的で説得力のある 統合の必要性や意義を正当化する 耳触りのよい文言です。
しかし、その言葉が 真に子どもたちの側に立って考えた言葉なのかどうか、疑問です。
教育現場で、学力向上が叫ばれる中、その取り組みに対する疑問も提起されました。
「きのうの私は、私の家のうらの、私の家の畑の、私の家の桃をとって食べました」
作文教育の実践家であった 国分一太郎先生が取り上げられた一文です。繰り返し強調される「私の家の」という表現は、客観
的な文章表現という視点では、繰り返す必要のない表現と言えます。しかし、その子にはそう繰り返し強調する理由があったのです。
他人の家のものを取ってしまったという後悔の思いが、そう表現せざるを得ない背景にあったのです。
学力というものさしでは測れない、表現のうちに込められた子どもの思い。学力向上だけが大切にされることで、教育の中で大切に
されるものまで否定されてしまうことの矛盾。
人の人たる価値を 果たして 学力テストで推し量ることができるものなのでしょうか。国分先生の実践例を取り上げることで、学校
としての教育の役割の本質と目指す方向性を暗示されたのではないでしょうか。
最後に先生は、オーストリアのペーター・ローゼッカーという人の書いた 詩とその解説文を朗読することで結びとしました。
子どもは一冊の本である
子どもは 一冊の本である。
その本から、
われわれは何かを読みとり、
その本に、
われわれは
何かを書き込んで
いかねばならぬ。
子どもの書いたもの(日々の姿や表現されたもの)から、大人(教師)は 子どもの意を汲み取り 願いを知り、そのうえで 何かを書き込み
(子どもの成長や幸せを願いながら支援や指導)をしていかなければならない。
ただし、その本の物語の主役はその子自身であり、その本を書く主体はその子自身なのだということに配慮することを忘れずに…。
今は教育に関わる立場にはありませんが、担任として関わった子の行方は 今でも温かく見守っていけたらと思っています。
先生の 熱い心の内にあるように 「教師の仕事は上がりのない仕事」なのだと 感じていますから。
再会は、二十年振りぐらいになるでしょうか。
先生から何年振りになるかねと、問われても即答できず戸惑ってしまいました。
そして改めて感じたのは、以前の頃と同じように 人柄も 熱い教師としての思いも 誠実さも変わらない という思いでした。
教師としての出発点が、中学の教育実習で 子どもに叱られたことだったということ。
子どもに見えたものや思いを推し量ることができず、子どもたちを叱ってしまったことの後悔の思い。
ニイルの「私は学校をはじめたとき、子どもを学校に適応させようと思わなかった。子どもに適応する学校をつくろうと考えた」
という言葉に共感する思いの中に、先生のよって立つ原点を感じました。
春日先生の誠実さは、自分の実践を担任した子どもたちの言動を通して語ることです。
事実を語ることでその時の教師としての思いを淡々と語る姿勢のうちに、感じ取れる思いです。
主役は子どもであり、私はあくまでも側面からの支援者にすぎない。
算数の授業での活躍に感動した仲間から エイジソン と名づけられた子の話。
その子から算数の評価を再考してほしいと要望され、通信票の評価を変えたのだそうです。
その子がなぜそう考えたのか、納得できたからこそ評価を変える行為をした教師。
子どもの思いに寄り添いながら、柔軟に対応する姿に、一人ひとりの子どもたちの思いや考えを大切にするハートを痛感します。
限られた時間のために、先生の用意されたレジメから割愛される事例がたくさんあっことが残念な点でした。
「教師の仕事」という項目に続いて話されたのが、二つ目の「学校が学校になるために」という項目でした。
その中で、先生は 統合が進む 学校規模について、新たな視点から話をされました。
学校の適正規模は、人数ではなく(社会性や多様な個性にふれるという利点から、文科省は統合を推進しようとしているが)、
・全校の子どもの名前が覚えられる規模 ・地域の人々が子どもたち一人ひとりの存在を認め、受け入れることのできる規模、
・一人ひとりの家庭の事情が理解でき、それに応じた指導や支援ができる規模
この考えの根本には、一人ひとりの子どもの姿が見え、家庭の事情を理解でき、地域と一体となって子どもの成長を見守り、指導
や支援のできる学校が、理想の学校であり、適正規模の学校であるという考え方があります。
それはつまり、どの子も主役となり、どの子も大切にされる学校が 求められる学校像なのだという思いなのだと思います。
社会性や多様な個性にふれるという 言葉は魅力的で説得力のある 統合の必要性や意義を正当化する 耳触りのよい文言です。
しかし、その言葉が 真に子どもたちの側に立って考えた言葉なのかどうか、疑問です。
教育現場で、学力向上が叫ばれる中、その取り組みに対する疑問も提起されました。
「きのうの私は、私の家のうらの、私の家の畑の、私の家の桃をとって食べました」
作文教育の実践家であった 国分一太郎先生が取り上げられた一文です。繰り返し強調される「私の家の」という表現は、客観
的な文章表現という視点では、繰り返す必要のない表現と言えます。しかし、その子にはそう繰り返し強調する理由があったのです。
他人の家のものを取ってしまったという後悔の思いが、そう表現せざるを得ない背景にあったのです。
学力というものさしでは測れない、表現のうちに込められた子どもの思い。学力向上だけが大切にされることで、教育の中で大切に
されるものまで否定されてしまうことの矛盾。
人の人たる価値を 果たして 学力テストで推し量ることができるものなのでしょうか。国分先生の実践例を取り上げることで、学校
としての教育の役割の本質と目指す方向性を暗示されたのではないでしょうか。
最後に先生は、オーストリアのペーター・ローゼッカーという人の書いた 詩とその解説文を朗読することで結びとしました。
子どもは一冊の本である
子どもは 一冊の本である。
その本から、
われわれは何かを読みとり、
その本に、
われわれは
何かを書き込んで
いかねばならぬ。
子どもの書いたもの(日々の姿や表現されたもの)から、大人(教師)は 子どもの意を汲み取り 願いを知り、そのうえで 何かを書き込み
(子どもの成長や幸せを願いながら支援や指導)をしていかなければならない。
ただし、その本の物語の主役はその子自身であり、その本を書く主体はその子自身なのだということに配慮することを忘れずに…。
今は教育に関わる立場にはありませんが、担任として関わった子の行方は 今でも温かく見守っていけたらと思っています。
先生の 熱い心の内にあるように 「教師の仕事は上がりのない仕事」なのだと 感じていますから。