あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

憲法について

2013-04-12 10:55:45 | インポート

先日の天声人語に、憲法に対する 日本維新の会の橋下代表の考えが取り上げられていました。

「憲法というのは権力の乱用を防ぐもの、国家権力を縛るもの、国民の権利を守るものだ。こういう国をつくりたいとか、特定の価値を宣言するとか、そういう思想書的なものではない」

大阪市長としての日頃の強権的な姿勢と相反する 権力乱用防止にふれていることに 違和感を感じました。自らの権力乱用を防ぐにはどんな憲法が必要なのか と、聞いてみたくなりました。

憲法の前文には、確かに どんな国を目指すのかという理念が明記され、先の戦争の反省の上に立った 不戦の決意とともに 世界の恒久の平和を希求する願いが書かれています。この理念のもとに、憲法がつくられているわけですが、そのことを思想書的なものではないと片づけ否定していいのかどうか、とても疑問に思います。むしろ、この前文にこそ、人種や国家を問わない 世界に共通する 人類としての普遍的な理想が述べられており、誇るべき内容なのではないかと思えるのです。

今現在、北朝鮮によるミサイル発射が懸念される状況にあり、日本も含め韓国・アメリカが連携して迎撃体制をつくっています。武力には武力をもって対抗することで、軍事力の増強にさらに拍車がかけられていくのではないかと心配になります。武力の行使によってしか、解決が図れないという論理は、戦争を肯定する考え方にもつながっていきます。軍事力のバランスによってしか平和が維持できないところに、根本的な問題が内在しているように思います。先の世界大戦も、世界各地で起きている紛争も、軍事力を前提とした戦いであり、それを超えたところで平和を希求しない限り、多くの犠牲者を生み続けていくように感じます。

軍事力を超えたところで成り立つ平和とは、どんな平和なのでしょうか。憲法前文には、次のように書かれています。

 ~  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するものであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。   ~

人間相互の関係を支配する崇高な理想とは、相手への深い信頼であり、お互いを尊重する態度であり、豊かな人間性を認め合うことなのではないかと考えます。それはまた、国民同士として相手の公正と信義を信じることでもあります。

拉致問題も含め、北朝鮮の指導者が信頼できる存在なのかどうか大きな疑問はあります。ただ、多くの国民が専制と隷従、圧迫と偏狭の中に置かれている状況にあるように思います。そういった国民の存在を視野にいれながら北朝鮮という国をとらえ、信頼の糸口を探っていく努力を続けることが必要なのではないかと思います。ミサイルに対抗する手段のみを考えていくだけでは、軍事力の行使という土俵の中から一歩も外へは出られず、対立の構図だけが強調されていくように考えます。

世界平和と自国民とともに他国民の幸せをも願うことのできる 崇高な理想や理念をもった スケール大きい指導者の出現が待望されます。その意味でも、政治に携わる人物には、憲法改正を唱える以上に 憲法前文のような理想や理念をもつことこそが求められるのではないかと思えるのですが……?。