平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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青春の登竜門  7話

2013年05月13日 | Weblog
          クイズの答 TPP 
           
短編小説
      青春の登竜門
                 中道 進
        7話 娘の決意
         1突然
 妙子は20歳になった。恋人は造船会社に勤めていた。朝は両親と一緒に食べる。妙子が住む広島は、明治時代には、日清戦争では、広島陸軍の兵器都市として機能をしていた。のちには、日本国軍隊の参謀が会議も行ったことがある軍事的重要地でもあった。
 妙子は、この広島で育ち両親も里も大好きであった。その日も、妙子は朝早く起き朝食の準備をしていた。その時、突然、ピカドーンとし、雷が響くような恐ろしい音がした瞬間に家が崩れた。両親を探すも家が崩れてダメだった。危険なので急いでその場を離れ広島駅に向かった。
    
         2 学校も崩壊
 妙子の家の近くにある師範学校は、原爆で木造校舎は崩れ落ち、コンクリート校舎のみであった。この日、学校は、教員などは勤労動員され工場へ行っていたので、留守番のわずかなき教職員だけであった。しかし、原爆でその教員たち7人も亡くなったのである。
 妙子は、崩れた学校を後にし必死で駅に向かった。親を思うがどうにもならず何とか歩ける状態でであった。

           3友人
 道路には人々が倒れ男女の差別がわかないほどの状態であった。また、焼けた洋服など来たままの人が助けの声を上げてさまよったり、また、叫び声、赤ん坊の泣き声、母親の泣き声、そして、川には死体がたくさんあった。やけどや、体の熱さや、水の欲しさできたのだろうか。まるで地獄絵のような姿であった。当時35万人の広島の人口が、原爆投下で、2ヵ月後には9万人から16万人が亡くなっているのである。一人の人間の爆死さえ恐ろしいのであるから、多大の人の爆死のその状態の悲劇を想像すれだけでも底なしおそろしいものである。
            4生きる
 妙子は後に、市の紹介で原爆被害者住宅へ住むようになった。しかし、顔にはケロイドが残り、恋人にも別れを告げられた。両親も亡くなり心もずたずたとなった。しかし、市の紹介で被害者に理解を示す商店に勤めが見つかった。
 住宅には若い人から老婆の被害者が多く住んでいたのだが、前途を悲観し泣き崩れていたのも少なくなかった。その日、妙子が勤めから帰宅したら老婆が自殺したと聞かされた。今年で4人目だという。妙子は中の良い老婆だったので心が揺れ動き、自身が、この先、生きて価値があるのだろうかと思うのであった。そして、深く、死と生に対して悩むのであった。
                               
                              第6話終了

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