平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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核廃絶問題

2019年10月25日 | Weblog

2019年10月24日

     広島原爆の体験談

   岡田女史(81歳)

 1945年(昭和20年)8月6日の朝、アメリカのB29が広島に襲いかかつた。私は、爆風に飛ばされた背中に熱さと痛みが。服は焼けたが、やけどは負わなかった。隣のおばちゃんと逃げた。道すがら目にした光景は、地獄絵図そのものだった。皮膚がぼろ切れのようにぶらさがっている人。おんぶしている赤ちゃんの首がなくなっているのに気が付かない女の人。次ぐ次と川に飛び込み、力尽きて流されていく人たち、原爆の熱線で、あめのように曲がりくねった線路を伝い、死体を超えて、ようやくおばちゃんの家にたどり着いた。                                    (2019年10月24日 S新聞)

 

  解説 岡田女史の父は、原爆投下直後から被災者のために物質を配って歩いたがのち被災でなくなっている。妹も被災で亡くなった。しかし、原爆の威力は恐ろしい。赤ちゃんや川で亡くなった人、皮膚をぼろきれのような恐怖にさせてしまう武器である。この恐ろしい原爆の体験談を小学校などで話すなど平和の活動をなされている岡田女史である。 


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