平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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2016年12月28日 | Weblog

CD   MUSIC  予約発売

核廃絶へ 広島と16歳の娘

 

 歌 中道 進

解説 この歌は、原爆で死亡した赤ちゃんに、母が悲しみで、死亡した赤ちゃんにトマトを食べよと泣きじゃくるなど事実を。また、現代の女性の明るい姿などを。悲しみと、希望など含めた物語を歌う。

参考

原爆の恐さ  広島 

昭和20年8月6日、広島に原爆が落とされた。即、爆心から1,2キロ地点 その日のうち 50%死亡 すなわち、
 1回の投下で14万人とも20万人ともいわれる人が死亡。

 婦人の体験 (爆心から1,2にいた) ( 大勢の人が逃げてくる。顔が腫れはがり、男女の区別がつかない人が、バタバタと倒れていく。皮膚が指先に垂れ下がり、水をくれ!とうめく
 (体験者は父を原爆でなくす。本人も原爆症にかかり、せきたんで苦しめられ、ガンによる死亡の恐怖感になやまされる。しかし、立ち直り、現在は明るく生きている)

 

 

8月は終戦記念日である。8月6日は広島、8月9日は長崎に原爆が落とされ一度の原爆で20万人とも言われる人が亡くなった。多大の人が後遺症に苦しみ、また、亡くなった。第二次大戦時は原爆の開発は、日本、ドイツ、米国、イギリスなどで行われていたのであった。冷戦時は、米国、ロシア、フランセなど2,000回の原爆実験が行われていた。現在の原爆の威力というと80倍はあるとも言われ、広島型の6000倍の核爆弾が存在する。


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2016年12月28日 | Weblog

音楽CD 予約発売                          

アレキサンダー

       歌 中道 進


   参考

      アレキサンダー   紀元前356年7月20日生

20歳の若さでマケドニアを継承した。敵対者を排除しマケドニア、全ギリシャを掌握しペルシャに東征にいく。のち、ペルシャ、エジプトへ侵入する。エジプトでは解放者として迎えられる・中央アジア、へ侵攻も敵の抵抗に出会い苦戦しゲリラ戦法を強いいれ将兵の土気低下を招き不信感がただよい帰順する。この頃地方の有力者の娘ロクサネを妃とする。インド遠征もインダス川を侵略も敵の反撃に苦戦。部下の疲労を理由に進軍の拒否で全軍3つに分割し南下する。バビロンで次の遠征を練るも突然に倒れ10日間の高熱し死去する。

 

王の伝説 マケドニア軍の強さ 

アレキサンダー王は行軍中でも荷馬車で乗り降りし体を鍛える。戦闘では常に最前線で将兵と共に戦う。自ら重い傷を負ったこともある。

 

砂漠の水 

インド遠征からの帰路、難砂漠を行軍する。兵士たちは飢えと渇きに苦しむ。一人の兵士がアレキサンダー王のために一杯の水を見つけた。しかし、王は(私は皆と共に渇きを苦しむのを選ぶ)と水を捨てたのだった。