終の住み処建築日記

田舎暮らしのあれこれ。(2010年夏のある日より)

“尾瀬ハイキング”(その2)

2015-06-16 20:29:48 | 日記

「山の鼻」までもう少し、という所に、初めてあの“ミズバショウ”の群落が現れました。ツレを写真に撮ろうと後ろへ下がった途端、木道の杭に足を引っかけて、脇の泥炭の中へ横倒しに落ちてしまいました。あろうことか、私のズボンはふくらはぎまでしかなく、素肌が出ていた所を深く擦りむいてしまったのです。
随分久しぶりに「ケガ」というものをしました。生来のケチなところが裏目に出て、ちゃんとしたズボンを買うようにツレに勧められていたのを無視し続けた挙げ句の出来事でした。服はずぶ濡れ、泥だらけになりましたが、幸い、ヘリを呼ぶには至らず、何とか自力で歩けたのは何よりでした。
【太い上に腫れている足】
“ミズバショウ”に長く憧れていたので、年甲斐もなく興奮してしまったようです。

昼食を済ませ、トイレに行こうとしてギョッとしました。行列が20M程もつながっていたからです。
尾瀬ヶ原へ出てしまうとトイレは無いので、誰もが「ここで済ませなければ」と必死になります、20分程で何とか順番が来て、「環境保全」のために1人100円の使用料を往復で払いました。
日帰りハイキングでは、ただでさえ時間に余裕がないのに、トイレの待ち時間はかなりのストレスになりますね。

さていよいよ尾瀬ヶ原です。(転んだ後の笑顔のない写真)
 
西側に「至仏山(しぶつさん)」、北には日本百名山の一つ「燧ヶ岳(ひうちがたけ)=標高2.356M」がそびえています。
そして、これでもか、というほどの“ミズバショウ”や湿地の花々!

見頃はピークを過ぎたものの、まだ十分見応えがありました。
 
【燧ヶ岳をバックに。】
山の鼻から1.5キロの所に、絶景の「逆さ燧」が見える所があります。そこにはベンチがあったので、私だけ残り、ツレは「牛の首」を目指しました。
どんなに先へ行きたくても、バスの集合時間が4時と決まっており、帰りの時間を確保すると「牛の首」が限界でした。
【唱歌「夏の思い出」に出て来る「浮き島」】
その後は来た道をひたすら引き返す訳ですが、帰る時間は大体一緒のようで、木道はアリの行列のように人がつながり、一歩一歩前の人の足下を見ながら進みます。今度は200Mの標高差を登る訳で、当然足の疲れもあり、私には「痛み」もあり、かなり大変でした。
そして案の定、高齢の方々はもっときつそうでした。木道脇のベンチにはギュウギュウ詰めで休んでいる人々、あまりのきつさに足が思うように上がらず、少しの段差につまずいて転ぶ人・・・。
我々は少し早めに出口にたどり着き、お土産を買ったり、傷の消毒をしたりしていると、ピーポーピーポーと救急車の音がして、運ばれていく人もありました。
腕に骨折の包帯をしている人も。私も運が悪ければどうなっていたか、悲喜こもごも、でした。
最後に、この日に歩いた歩数は30.524歩、でした!

実距離は尾瀬だけで11キロくらいでしたが、段差の低い階段も多いので、スマホには19キロと出ていました。

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「はるかな尾瀬」堪能しました!(その1)

2015-06-16 17:02:25 | 日記
6/16(火)雨
12日(金)~15日(月)の4日間、東京方面を旅行しました。
日頃の信心が良かったのか?その間ずっと好天に恵まれ、予定通りの日程をこなしましたが、夕べ熊本空港へ着いたら、雨でした。
そして今日も間断なく降り続いています。
今日は4日分の荷物を解いて、3回洗濯機を回し、まとめてコインランドリーで乾かして来ました。まったく便利な世の中になったものですね!
さて、今回のハイライトは「尾瀬日帰りハイキング」でした。
13日(土)朝6時ホテル出発、もちろんホテルの朝食はまだ始まっていないので、集合場所の新宿駅西口近くにある“松屋”で朝定食を食べました。

7時に小型のバスで出発。ツァーはネットで申し込んでいたのですが、集まってみるとほとんどが20代~30代前半の女性グループで、圧倒的に我々だけ“年配者”でした。彼女らはカラフルなウェアに身を包み、おしゃれな帽子や靴を履いています。なるほどこれが最近よく聞く“山ガール”なのかと感心しました。
都心から高速に乗り、みっちり4時間かけて群馬県の尾瀬入り口「鳩待峠」へ到着です。標高は1591M! 新潟県もそう遠くないようです。
さすがにヒンヤリしており、至仏山にはまだ雪渓がたっぷり残っていました。
 
10:30、早速尾瀬ヶ原を目指して出発です。

この小さな入り口を入ったが最後、自分だけの力で歩き、戻ってこなければなりません。車など絶対に入って来れず、山小屋に必要な物資はヘリで運んだり、“歩荷(ぼっか)”という荷物運び専門の人が背中に背負って運ぶのです。一度に50キロもの大荷物を運ぶそうで、私も木道で2度出会いました。
万一骨折や病気で歩けなくなったら、ヘリを呼ぶことになりますが、それも個人負担だそうです。
鳩待峠に着いてみると、「さぁ出発だ、エイエイオー!」と気合いを入れて、準備運動やストレッチをしている人達の半分以上が60代~70代の高齢の方達だったので、大丈夫かな?と要らぬ心配をしたものです。
 
 
歩き始めはこの不揃いの石の坂道、そして木道と木の階段が3.3キロ続きます。行きは下りで60分、帰りは上りで90分です。
まさに「行きは良い良い、帰りは怖い」でした。
 
標高1591Mから200Mほど下った所が「山の鼻」と言って、「尾瀬ヶ原」への入り口です。大きな山小屋とビジターセンター、トイレなどがあります。
時間も11:40。お昼ご飯は群馬名物「舞茸弁当」、ツァー申し込み時に一緒に頼んでおいたものです。
 

バスの運転手さんが鳩町峠手前の店に取りに寄り、配ってくれました。これこそ“地元の味”なのでしょう。(つづく)
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