「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

ブログ論 中締め 

2005年02月27日 23時52分44秒 | BLOG論
 僕のブログ論のほうにコメントくださる方が増えてきまして、とても有難いことだと思っています。
 当の本人は書きっぱなしの状態で「この続きは明日…。」などと終わっておきながら違うことを思いついて連続性がなくなっているようなものもあるという体たらくです。あいすみません。

だいたい先日の「独り言」に関する考察は以前書いた「コメントのしやすさ」の稿と内容がかぶっていました。いい加減さ極まりありません。

で、いったいいくつあるのだろうと思って数えてみたら30という数でした。

 清濁あわせて(←何処が清やねん)いますが文字数だけは大学の卒論以来だと自己満足に浸っています。
 
 まあこれもブログというステージならではで、日々不定期に思ったことをその日のうちに書きとめておけるメモ帳のような気軽があるからで、気づけばそれなりの資料となりうるのかなと思います。

 それとどう考えたってコメントが付くのは大きいわけで、そういった人たちに支えられているのは間違いないことなのだと感謝しています。

 ドッペルさんがご自身のブログでコメントがブロガーを成長させていくということを書かれていましたが、まさしくその通りで僕はそれを「ブログの二重螺旋構造」と名づけました。
 
 コメントやトラックバック、リンクやプロフィールを通じて人と人の神経細胞がネットワーク化して行く。コメントやブログの行き来から多くのヒントや発想を頂いて、お互いに自分の現実の生活では得られない視点を持てるようになる。

 基本的に僕達の交流はブログ上でしか成り立っていません。(そうじゃない世界の人もいますが)それは一見とても脆弱な人間関係に見えます。

 現実の世界では、たとえすぐ隣に座っていても、まるっきり気づくことのない方々が大勢います。
 そして多くの沈黙の観衆の方々。

 しかし、読む読まれるの関係はその人を知ろうとする、もっと言えば人間理解の端緒なのではないかと考えています。

 ブログはその端緒を、その人が持っている極めて純粋な部分でつなごうとする働きかけなのではないでしょうか。

 でも僕はこの世界が好きです。
 
 人が一人で向き合う世界ですから、ブロガーの方々は優しさを持っています。そして相手を気遣いながら話しかけてくれる世界だと思っています。自分もそうしてもらいたいから。

 だからブログを持っている人が好きです。

 心無いコメントをする方がいます。自分は攻められることがない、傷付けられることのない立場で発言をされる方だと思います。

 ブログがマスコミに取り上げられ興味本位で覗かれるようになったら危険さが増します。
 
 メジャーな人たち、プライベートが情報としてお金になる方が真っ先に標的になるでしょう。

 僕は慎ましやかに自然体でこのブログを続けていけたらと思います。もっともどう考えたってメジャーにはなりませんが(笑)

 ブログ論はまだ続けます。予定も何もありませんが、僕という人間を探す、理解する手立ての一つだと思ってますから、人として「覚悟」を得るまで続くと思います。

 つまり終わりはないということです。
 
 これからもよろしくお願いします。
 

  

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ネットの世界 (かず)
2005-02-28 21:33:05
世の中には色んな人がいますからね。

相手の顔も見えない、名前も知らない、このネットの世界では危険がたくさんだと思います。

心ないコメントや誹謗中傷、隠れたところから他人の心を傷つける人たち。

そういったことでしか楽しむことができない、ある意味、可愛そうな人たちですよね。



ブログ論、まだ続くんですね?よかった。タイトル見てしばらくお休みかと思いました。
返信する
ホントに (aniki)
2005-02-28 22:52:56
 ある日突然イナゴみたいな感じでブアーって飛んできて食い荒らしてブアーってどこかに飛んでいってしまう集団みたいです。

 そういうのが原因で閉じたブログも幾つかあります。そうするしかないみたいです。

 

 「よかった」とか言われちゃうと素直に舞い上ってしまいます。「てへへ」てな感じです。バキッ



 ブログ論は続けるつもりです。ブログ自体にかなりはまり込んでいますからブログ独特の中毒症状についても触れていこう(笑)と思っています。

返信する

コメントを投稿