10年ほど前に当囲碁クラブに小学校3年の兄さんと小学校1年の男女ふたりの双子の3人が入ってきました。
まだ全然囲碁を知らなくて一から手取り足取りの状態で、それでもみんなで面倒を見てだんだんやり方がわかってきたようで。
それが突然来なくなり、親からもひとことの挨拶もなく、なんだかがっかりだねえ、と話していたものです。
彼らはその後私が囲碁大会のお手伝いに年に2,3回行くと会場で出会いました。
成績はいいときもあれば悪い時もあり、それほど際立って天才だと感じたことはありません。
うちのクラブへまったく来なくなったのは、静岡の中央部にある子ども塾の先生に師事したからで、彼らにとってはうちのクラブは「舟筏」であったにすぎないということです。
それでも一言くらい声掛けがあってもいいのになあ、とか残念でした。
あれから10年、あのとき7歳だった子のうち女の子のほうの名前がある高校の道路沿いの横断幕に大きく張り出されていて、囲碁の高校選手権で県の代表となり、九州の全国大会に行って予選リーグでは全勝、決勝で敗れてはいますが相手は準優勝した子なので、実質的にはたいへん強かったということになります。
感謝や見返りを求めての親切(布施)はほんとうの布施にはならない、と仏教ではいいます。
あのときの縁で囲碁を始めた子が才能を開花させられたのですから、陰ながら心より祝福します。
囲碁クラブはかくして小中学生の面倒を見てもすぐにいなくなってしまうし、ご老体は会場へ足を運ぶのも困難になるし、風前の灯火です。
窓ガラスリフォームの際、あちこち片付けしていると、知人からの中国みやげの掛け軸が出てきました。
うちには床の間がないので掛ける場所がなく、そのままお蔵入りしていたものです。
なにも使わないのにところどころにシミが出て、もうこのまま置くより光にあててあげようと思い、手持ちの額に合うように切り取り、飾ることにしました。
当時聞いた話では、中国の有名な画家の「弟子」が描いたものだそうです。
裏側に梵字の般若心経がはさまっています。