春夏秋冬

言わぬが花とは知りながら
ときどきつぶやいています
コメントは非公開に設定してあります

どこかで花開く

2024年01月27日 | 日記

10年ほど前に当囲碁クラブに小学校3年の兄さんと小学校1年の男女ふたりの双子の3人が入ってきました。

まだ全然囲碁を知らなくて一から手取り足取りの状態で、それでもみんなで面倒を見てだんだんやり方がわかってきたようで。

それが突然来なくなり、親からもひとことの挨拶もなく、なんだかがっかりだねえ、と話していたものです。

彼らはその後私が囲碁大会のお手伝いに年に2,3回行くと会場で出会いました。

成績はいいときもあれば悪い時もあり、それほど際立って天才だと感じたことはありません。

うちのクラブへまったく来なくなったのは、静岡の中央部にある子ども塾の先生に師事したからで、彼らにとってはうちのクラブは「舟筏」であったにすぎないということです。

それでも一言くらい声掛けがあってもいいのになあ、とか残念でした。

あれから10年、あのとき7歳だった子のうち女の子のほうの名前がある高校の道路沿いの横断幕に大きく張り出されていて、囲碁の高校選手権で県の代表となり、九州の全国大会に行って予選リーグでは全勝、決勝で敗れてはいますが相手は準優勝した子なので、実質的にはたいへん強かったということになります。

感謝や見返りを求めての親切(布施)はほんとうの布施にはならない、と仏教ではいいます。

あのときの縁で囲碁を始めた子が才能を開花させられたのですから、陰ながら心より祝福します。

囲碁クラブはかくして小中学生の面倒を見てもすぐにいなくなってしまうし、ご老体は会場へ足を運ぶのも困難になるし、風前の灯火です。

窓ガラスリフォームの際、あちこち片付けしていると、知人からの中国みやげの掛け軸が出てきました。

うちには床の間がないので掛ける場所がなく、そのままお蔵入りしていたものです。

なにも使わないのにところどころにシミが出て、もうこのまま置くより光にあててあげようと思い、手持ちの額に合うように切り取り、飾ることにしました。

当時聞いた話では、中国の有名な画家の「弟子」が描いたものだそうです。

裏側に梵字の般若心経がはさまっています。

 

 

 

コメント

能登半島葭ヶ浦温泉ランプの宿

2024年01月27日 | 日記

能登半島の突端、禄剛崎灯台(ろっこうざき)の近くに葭ガ浦温泉というのがあり、いまから56年ほどの大昔、そこにランプの宿というのがあるのをなにかで知って(いまのようにネットなどない)、能登半島を一周する途中に宿泊したことがあります。

当時は国鉄バスの乗り放題切符を使って輪島の總持寺祖院(宿坊泊)、千枚田、禄剛崎灯台などを観光したあと、バスを途中下車してランプの宿へ行きました。

降りたところからは歩いてすぐだったように記憶しています。

電気が通っていない辺鄙な宿、と宣伝しているとおり、入江にあるごつごつした岩場の上に古い木造建築の民宿風な質素な宿があって、部屋は全部和室、風呂もふつうの大きさ、食事はほとんど宿の主人が釣ってきた魚がおもなもの、老朽化した建物で今の若い人にはとても泊まれるようなものではなかった。

ランプの宿なので電灯はなく、ほんとにランプだけです。

宿の主人ともうひとりくらいしか働いている人はいなかったような。

客は数人のみ。

あの宿は今度の大地震でどうなっているんだろう、と思って検索してみると、

ギョギョッと驚くリゾートホテルに変身していて、地震以前にそれでびっくり。

溶岩の固い岩盤の上に建っているので被害はなかったらしい。

地中海の青い海と白い建物を模した豪華な観光地を目指しているのでしょうが、どちらかというと昔のあの素朴な宿のほうが希少価値があっていいと思うのですが。

いまは二人で10万円とか、特別100万円プランとかが目について、とてもとても。

同じ能登半島でも地盤の状態により被害の大きさが違うようです。

かつて宿泊した總持寺祖院の本堂は無事でしょうか。

朝の勤行体験はそこが人生で初めてで、内陣の大きさに圧倒されました。

中の須弥壇というか、それが二階建て!

宿坊の精進料理は野菜が美味しくて絶品でした。

あの本堂が無事であることを祈っています。

 

 

 

 

 

 

コメント