さて、先日のブログで、実家の引越しで日記が出てきたと書いた。その日記は、5・6年生で書いたものなので、今の娘羊とまさに同じころである。
興味深く読み始めてすぐに、絶句してしまう・・。思考パターンが今と全く同じ!
現在は小学生と違って思考する対象が違うだけ。思考パターンは、すでに今のそれと同じである。と、いうことは、あの、のほほんとした、単純思考の娘羊は、あのまま成長するんだろうか・・。それも心配になる。なるほど・・人はすでに小学生の時に出来上がっているのだ。つくづく感心した。
さて、その我が日記である。書きたいときに書くのであろう、日にちは飛ばしてあるものの、一日でたっぷり4ページは書いてある。その中身は、大体は学校で腑に落ちなかったことなど。
最後の日記をご紹介します。
今日は日記の反省について書きたいと思う。私は今日、日記帳を9冊目を書いている。五年生のときからはじめてもうこんなに書いたのかとビックリするくらいだ。
私は日記の字はあまりていねいに書いていなかった。まちがい字も多かった。
この事は、私にとってとても反省しなければならない事の一つだ。思えばこの9冊の日記帳にはいろんな事を書いた。五年の時のかげ口の事を書いたのだが、先生がきちんと注意してくれた時は、なみだが出そうだった。それに、私がなにか書いた時でもその答えがこの日記帳にのっていた。うれしかったなあ。
私は日記を書きはじめて、いい事と悪いことがあったと思う。いい事というのは、作文がうまく書けるようになったことと、サイン帳にも生かされる事ができるということ。
悪かったのは、毎日の勉強が(宿題)日記だと思ってしまって、予習や復習を全ぜんしなかった事だ。反省している。
それから私は書く材料が無かったとき、何を書いたのか、答えは書かないという事、書けば書けたのだが、いろいろ思い出すのがめんどうで何となく書かなかった。
もちろんK先生にしてみればおこるだろうがしかたがない。日記帳を書くのは失敗したが、日記帳のよさがわかった。私はこれでじゅうぶんだと思っている。
これからもがんばっていきたい。
・・・こんな風な日記で、小学生をしめくくっている。
そして、K先生、この日記に恒例の赤ペンでこう締めくくってくださった。
とうとう、日記も
これで最後となった
よく やってきた S子さんである。
時々サボッタことも
あるようだけど、
まあ よろしい
全体としては きみの
「書く力」をのばすことが
できたし、
どのページにも
小学生のころの思い出が
こもっていて、あとあと
なつかしいものと
なっていくだろう。
9さつとも、
大事にしたいものだね。
さて、いよいよ、中学校へ
勉強はいっそう難しくなるにちがいない。
スタートからしっかりと取り組みをしていくこと
そのためにも、
気持ちをルーズにしないこと、
それから
友達-よい友達をつくろう
また、友達として選ばれるような人に
なることだ。
今のきみの友達、
自分をたかめてくれる友達であろうか、
中学に行ったら、
ぜひ、よい友をつくりなさい、
同じ仲間でワイワイやっているだけでは
脳がない友達
みがき合い、
高め合うようで ありたい
困ったこと
話したいことがあったら、
いつでも来てくれたまえ、
健康であるように、
きみの前途に
幸せのあるように祈る。K
今、何十年の時を経て、このK先生の生徒に対する真摯な言葉を読み返すと、涙が出てくる。その時の私には、この文を理解することは出来なかったけれど、それでも先生の気持ちがうれしかったのを覚えている。
そして、今また読み返すこととなり、こんなに人間性の高い先生と出会って、教育されていた自分が、幸せな子どもであったと、あらためて思うのである。
読んでいて、なんか今現在の羊飼いさんが脳裏に浮かびます...。
書いてある内容が、羊飼いさんそのまま、違和感ないですね!
そして、とても「人間的」に素敵な先生。
こんな素敵な先生もいるんだ、と驚きつつも
希望を少し持ちました。
時を経ても、先生の気持ちが伝わってきますね。私も胸が熱くなりましたよ。
K先生、今どうされていらっしゃるのでしょうね。
そして、私も日記を嫌がっている長女に、がんばって続けさせようっと。