24 黄釈天 Blog 「My Days」by Oldman(吉住)

コロナ予防接種0回、インフルも0回、30年間健康診断0回の後期高齢、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。

写真投稿

2017年11月26日 | 日記
考えると、余りに面白い写真なので、この歩道の緑の苔の縁取り写真を、地元NHKに投稿しておいた。平日の夕方、アマチュア写真家の投稿写真を紹介しているコーナーがあるので、取り上げられるかどうか知らないが、とりあえず、珍しいので投稿。

ネットは便利。小雨も降るし、ゾンビETも自宅にいるし、作業など出来ないし、実に退屈な日曜だが、もうすぐ12月がやってくる。

あ、ラーメンが食べたくなった!

鴨が浮かぶ

2017年11月26日 | 日記
神社裏のこの池も、存在は知っていたが、見たのは初めて。数羽の鴨がのんびり、浮かんでいる。

日野川を含むこの辺り一帯は、福井県でも有数の鴨の生息地。禁猟区。イノシシ、鹿、猿、最近ではクマも出没するとか。小学生の子供達がランドセルに鈴をつけている。

背後の山肌

2017年11月26日 | 日記
戦後の昭和20年代後半から30年代、農林省のお役人が戦後復興の材木不足を見て、比較的早く大きく育つ杉の植林をしろ、大金になるなどと全国各地の資産家や山持ちに投資を促し、結果は山林の樹木バランスの生態系を大きく崩壊させただけで、投資は大失敗。杉が金になったのは、植林された木が育つ前の、列島改造ブームの頃だったか、ほんの少しの間だけ。多くの製材所は廃墟となって姿を消した。

私の住むエリアの背後の山肌は、比較的常緑樹が少なく、杉の植林された場所もごく一部。従って、昔からの日本の自然な山肌に近いと思える。紅葉する時期になると、山肌の色合いでそれがわかる。

二つ目の橋

2017年11月26日 | 日記
フェニックス大橋というのは、私の部屋の窓から見える、新しい赤い橋。福井市内に住む人生を終えた多くの旅人が連日のようにこの橋を東から西の、私が住むエリアにやってきて、そこからあの世に出発する。だから、最初からこっち側に住んでいる住人は、すでにあの世にいるも同然で、なかなか出かけようとしないのかも知れない。

まあ、そんな話は脇に置くとして、その橋を渡って対岸にいたのだから、もう一度「日光(二光)大橋」を渡って、写真右側の対岸に戻ってくる。

川岸の銀杏

2017年11月26日 | 日記
日野川が山肌を深くえぐった急斜面に自然に生え育った銀杏の木。学生時代の頃は記憶にないから、この半世紀で、年々大きくなってきたのだろう。対岸の支流狐川との合流点から見ると、日野川と狐川の水の色が極端に違う。

対岸の景色

2017年11月26日 | 日記
理想的な場所に理想的なアトリエ風のこじんまりした住宅。最高! 日当たり良好で、南向き。目の前に日野川が横切り、視界は大きく広がって遠くまで眺望できる立地。

わくわく散歩

2017年11月26日 | ニュース
By Yahoo : [ 4c/15c/80% 95P66K ] 晴れのち ?

7時少し前に超老人に朝飯を供してから、足元に霜が降りている7時15分にカメラ片手に家を出て、多少、いやかなり悲鳴をあげている左ひざとともに、かなり草臥れて戻り着いたのが、8時45分。このところ1年以上も30分以上の散歩もしていなければ、1時間以上歩くなど未体験。

いささか唐突だったが、なあに「老人」の気まぐれというか、反抗心というか、自分を試したくなったというか。

しっかし、そのお陰で、なんと生まれてこの方、一度も体験したことのない、日野川の対岸からの景色を堪能した。初体験にワクワク、おどろくばかり。普通、70年近くも同じところに住んでいれば、目の前の日野川の対岸くらい見知っていて当たり前だろうが、全く歩いたことも通過したこともない場所があった。

高校時代や大学時代、そして社会人になって毎日往復する道から嫌という程眺めていた対岸の堤防からこちらを見たことは、全くの初体験。日野川を渡る大きな橋を2本通過して、ぐるっと一回りしてきた。これから、この道を散歩、あるいは自転車で一回りすることにしよう。

写真はフェニックス大橋東詰めの歩道の緑の苔。見事な縁取りが広がっている。