「滑液のう腫」別名「ガングリオン」という肉腫が、どうやら私の左手平右下の丘内部に出来ている。
以前よりかなり小さくなっているが、コリコリとした感じが残っており、これを強く押すと痛く、神経を圧迫するようで、左小指の先から、左肘や肩まで、つまり、左腕一本分、微妙な痛みに襲われる。
まあ、どうしようもなくなった時は、注射でどろりとした液体を吸い上げるらしいが、それでも、また出来るらしい。何回か、抜いて出来なくなれば完治するし、ダメな場合はできる組織を一括して除去する手術をするのだが、この場合、神経が近くを通っているし、指の筋肉が交錯した難しい場所なので、下手な執刀医にかかると、失敗するから、当分、そのまま放置して、様子を見たほうがよろしかろうぞよ、というのが、我友人の名医のお言葉であった。
ふむふむ。それじゃ、例の皮膚の「シミ」、つまり癌だが、「ガン宣告」の診断書は出るのか(保険金目当て)?
「まだ、ガンじゃない!そのシミがガンになる確率は、0.1%だな!」
ひえええ、貧乏人はいつまでたっても金運には見放されるのだ!
というような、小話が、午前中は多忙にも関わらず、福井市内の某所で行われていた。
福井市内は、時折激しい雨が降りつける。地元予報は見事に当たっている。で、どうやら、ありがたいことに平穏にかつ貧乏のまま、4月が通り過ぎていくようだ。
南無阿弥陀仏。
以前よりかなり小さくなっているが、コリコリとした感じが残っており、これを強く押すと痛く、神経を圧迫するようで、左小指の先から、左肘や肩まで、つまり、左腕一本分、微妙な痛みに襲われる。
まあ、どうしようもなくなった時は、注射でどろりとした液体を吸い上げるらしいが、それでも、また出来るらしい。何回か、抜いて出来なくなれば完治するし、ダメな場合はできる組織を一括して除去する手術をするのだが、この場合、神経が近くを通っているし、指の筋肉が交錯した難しい場所なので、下手な執刀医にかかると、失敗するから、当分、そのまま放置して、様子を見たほうがよろしかろうぞよ、というのが、我友人の名医のお言葉であった。
ふむふむ。それじゃ、例の皮膚の「シミ」、つまり癌だが、「ガン宣告」の診断書は出るのか(保険金目当て)?
「まだ、ガンじゃない!そのシミがガンになる確率は、0.1%だな!」
ひえええ、貧乏人はいつまでたっても金運には見放されるのだ!
というような、小話が、午前中は多忙にも関わらず、福井市内の某所で行われていた。
福井市内は、時折激しい雨が降りつける。地元予報は見事に当たっている。で、どうやら、ありがたいことに平穏にかつ貧乏のまま、4月が通り過ぎていくようだ。
南無阿弥陀仏。
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ヤフーは余程福井が南国と思っているのか、最高気温予測が高いけれど、許す。
午前7時半、今は雨が上がって屋根も乾いてきたが、予報では日中ずっと雨マーク。まあ、早い話が、5分5分と云う。
さあ、4月も最後だ。平成14年4月30日、金沢地方裁判所に第1次の訴状を持ち込んだ初提訴の日だ。125名の最初に名前を書かれていたのは、むろん、私だった。それから、続々と準備が整い次第、追加提訴して、第5次まで進んだ。
初提訴は、セレモニーだった。マスコミへの記者会見を行い、髪もまだあったのだ!ほほほ
懐かしくもある古い話になったが、初公判の日に弁護団や私と一緒に、我がもの顔で裁判所に入って行く、今は相当惚けたオヤジが記録映像に残っている。続編では彼が問題提起の主人公となるのだから、人生は先に何が起きるか分からない。
さあ、頑張って出かけるとしよう。朝から忙しくなりそうだ。
ヤフーは余程福井が南国と思っているのか、最高気温予測が高いけれど、許す。
午前7時半、今は雨が上がって屋根も乾いてきたが、予報では日中ずっと雨マーク。まあ、早い話が、5分5分と云う。
さあ、4月も最後だ。平成14年4月30日、金沢地方裁判所に第1次の訴状を持ち込んだ初提訴の日だ。125名の最初に名前を書かれていたのは、むろん、私だった。それから、続々と準備が整い次第、追加提訴して、第5次まで進んだ。
初提訴は、セレモニーだった。マスコミへの記者会見を行い、髪もまだあったのだ!ほほほ
懐かしくもある古い話になったが、初公判の日に弁護団や私と一緒に、我がもの顔で裁判所に入って行く、今は相当惚けたオヤジが記録映像に残っている。続編では彼が問題提起の主人公となるのだから、人生は先に何が起きるか分からない。
さあ、頑張って出かけるとしよう。朝から忙しくなりそうだ。
基本的に私の人生は、街角のタバコ屋の横に立っている自動販売機のように「年中無休、24時間営業」だから、眠いときに寝るし、起きたいときに起きるのだ。
というわけで、夕食後流しに立って、家人の食器の洗い物のあと、ついでに歯磨きもしてしまったので(こうすれば、もう、何も口に出来ない)安心して「さんま御殿」を見ていたら、寝てしまった。
で、窓を開け放しても室温20度では、暑くて飛び起きたのが、午前2時。外は本降りの雨。雨音が気持ちいい。明け方には止むらしいが、真夜中の雨も悪くない。ただし、四国や東海から関東に至るまで、太平洋側では大雨に注意する必要があるとか。能天気なことを書くと、腹を立てる人も出て来る。
まあ、もっとも、そんな事(誰かが腹を立てる事)は、私の知った事ではないけどね。腹を立てる人間の内心を覗いてみればいいのだ。見ず知らずの世間の人間から、「被害にあわれて大変でございましょうね」などという同情の声を期待しているから、冷たい目で見られたら、逆恨みして「腹を立てる」というわけだ。
被害とはあくまで当事者に起きたプライベートな「不運」なのだ。雷に打たれてことを思えばいい。集団で被害にあっても、同様にプライベートなことで、自分で乗り越える以外に道は無い。行政が悪い、政府が管理不十分だ、などというのは、あくまで「補償交渉」の一環であって、国が頭を下げた所で、子供の命が戻って来るわけではない。
この辺りの国民感情というのは、韓国人も日本人も極めて良く似ている。おそらく、一国が分断されている以外に、世界でこれほど似ている国民性を持つ別国家も珍しい。共通するのは被害者の甘えだ。助けてくれて当たり前、という心が芽生える。長い歴史の中で、大勢が集団で生きて行く為にDNAに染み付いた「共存意識」が背景にあるのだ。
アジア人やポリネシアンに見られる人類の英知のひとつといってもいい、集団が公平に生き抜く為の知恵なのだが、その「美」の裏側に、醜い「甘え」(依頼心)がへばりついている、というわけだ。近代社会は欧米の個人を大事にする民主国家に生まれ変わり、個人は自由を謳歌して好き勝手にふるまいながらも、何か事が起きると「国が悪い」の大合唱になる。その国家は自分たちが作っている。
つい最近、誰だったか閣僚の一人だが、「個人の自由が尊重される代わりに、個人に求められる義務も忘れてはいけないわけでして」などと言っていたが、まさにその通りなのだ。「御上」が絶対時代より、はるかに個人が自由な時代になったが、逆に、生きて行くには「自己責任」「自己判断」をしっかり下さないと、生き難い時代でもある。
甘えるな、たくましく生きよ。世間や他人や私が何を言おうと、腹を立てるなどと心を乱されるんじゃない!
というわけだな、ははは。
というわけで、夕食後流しに立って、家人の食器の洗い物のあと、ついでに歯磨きもしてしまったので(こうすれば、もう、何も口に出来ない)安心して「さんま御殿」を見ていたら、寝てしまった。
で、窓を開け放しても室温20度では、暑くて飛び起きたのが、午前2時。外は本降りの雨。雨音が気持ちいい。明け方には止むらしいが、真夜中の雨も悪くない。ただし、四国や東海から関東に至るまで、太平洋側では大雨に注意する必要があるとか。能天気なことを書くと、腹を立てる人も出て来る。
まあ、もっとも、そんな事(誰かが腹を立てる事)は、私の知った事ではないけどね。腹を立てる人間の内心を覗いてみればいいのだ。見ず知らずの世間の人間から、「被害にあわれて大変でございましょうね」などという同情の声を期待しているから、冷たい目で見られたら、逆恨みして「腹を立てる」というわけだ。
被害とはあくまで当事者に起きたプライベートな「不運」なのだ。雷に打たれてことを思えばいい。集団で被害にあっても、同様にプライベートなことで、自分で乗り越える以外に道は無い。行政が悪い、政府が管理不十分だ、などというのは、あくまで「補償交渉」の一環であって、国が頭を下げた所で、子供の命が戻って来るわけではない。
この辺りの国民感情というのは、韓国人も日本人も極めて良く似ている。おそらく、一国が分断されている以外に、世界でこれほど似ている国民性を持つ別国家も珍しい。共通するのは被害者の甘えだ。助けてくれて当たり前、という心が芽生える。長い歴史の中で、大勢が集団で生きて行く為にDNAに染み付いた「共存意識」が背景にあるのだ。
アジア人やポリネシアンに見られる人類の英知のひとつといってもいい、集団が公平に生き抜く為の知恵なのだが、その「美」の裏側に、醜い「甘え」(依頼心)がへばりついている、というわけだ。近代社会は欧米の個人を大事にする民主国家に生まれ変わり、個人は自由を謳歌して好き勝手にふるまいながらも、何か事が起きると「国が悪い」の大合唱になる。その国家は自分たちが作っている。
つい最近、誰だったか閣僚の一人だが、「個人の自由が尊重される代わりに、個人に求められる義務も忘れてはいけないわけでして」などと言っていたが、まさにその通りなのだ。「御上」が絶対時代より、はるかに個人が自由な時代になったが、逆に、生きて行くには「自己責任」「自己判断」をしっかり下さないと、生き難い時代でもある。
甘えるな、たくましく生きよ。世間や他人や私が何を言おうと、腹を立てるなどと心を乱されるんじゃない!
というわけだな、ははは。
実に静かで、私にとっては快適で有難い一日となった。なにせ、事務所にやってきてから、電話一本も、来客一人もなくて、誰に邪魔されることもなく100%、好き勝手に時間を使えることになった。
昼は味付け高菜を混ぜ込んだご飯を1合炊いて、ネギとジャガイモだけの味噌汁を作り、120%満足して食べたので、一歩も外に出ていない。
流しで食後の洗い物をしながら、自分で作った食事にこれほど満足出来ると、何だか外食したとき、食事を一回損したような気分になるなあ、と考えていた。
自分で好きなように作って、満足出来たら、よそで食べる気がしなくなってしまう。当分、自己満足の世界を追求すべきだ。常に新鮮素材を格安で求めて、単純料理を楽しめば、言うことなし、というわけだ。その上で、この調理は流石にプロというのに出逢えば、これまた楽し、という世界が見えてくる。
おっと、邪魔が入った! 暇な、年寄りひとり暮らしの駐車場のお客。
次は、知人先輩業者。そして、また、駐車料金の3ヶ月ぶりのお客。
なかなか、隠遁生活もどきとはいかないものだ。
外は、ほとんど雨は降らないが、時折強い風が吹く。さあ、今日もオシマイだ。
昼は味付け高菜を混ぜ込んだご飯を1合炊いて、ネギとジャガイモだけの味噌汁を作り、120%満足して食べたので、一歩も外に出ていない。
流しで食後の洗い物をしながら、自分で作った食事にこれほど満足出来ると、何だか外食したとき、食事を一回損したような気分になるなあ、と考えていた。
自分で好きなように作って、満足出来たら、よそで食べる気がしなくなってしまう。当分、自己満足の世界を追求すべきだ。常に新鮮素材を格安で求めて、単純料理を楽しめば、言うことなし、というわけだ。その上で、この調理は流石にプロというのに出逢えば、これまた楽し、という世界が見えてくる。
おっと、邪魔が入った! 暇な、年寄りひとり暮らしの駐車場のお客。
次は、知人先輩業者。そして、また、駐車料金の3ヶ月ぶりのお客。
なかなか、隠遁生活もどきとはいかないものだ。
外は、ほとんど雨は降らないが、時折強い風が吹く。さあ、今日もオシマイだ。
韓国船の沈没事故は、続々と真実が出てくる。傾いた船から真っ先に逃げ出す船長の映像まで出てきて、それがバッチリ世界に報道されるのだから、何ともすごい!
それも、傾いた船室の中で高校生同士が「どうしたんだ?どうすればいい、助けて、お母さん、お父さん」などと会話する音声さえ出てきた。その挙句、
「部屋から動くな、じっとしていろ」という船内アナウンスを繰り返し、自分だけさっさと傾いた船から救助船に乗り移っていく船長の姿があったのだから、たまったものじゃないぞ。きっと、「死刑」だな。
こうなると、世界中の船舶に限らず飛行機や列車などの危機管理の対応に大きな問題が生じてくる。一国、一船の事故の問題ではなくなる。
だって、今回のような事故、集団的な異常、異変が起きた時に、責任者や指導者の言葉に従うかどうかさえ、自己判断しなきゃいけない、と思わされるのだ。つまり、大パニックが起きて収集がつかなくなることを暗示する。
ここで冷静に考えて、少なくとも、船室が45度も傾くような異変を感じたときは正常でない何かが起きているのだから、「各自救命胴衣を着用下さい。」とか、「通路に出て順番をお待ち下さい。」とか、何らかの即行動対応の為の指示があってしかるべきであって、ひたすらパニックを抑えるためだけの「じっとしていろ!」などという指示は「アンビリバボー」ということになる。
そんなことを、あの修学旅行で浮かれた子供たちに判断しろなどといっても、出来るものではない。しかし、この悲惨な事故の教訓は、「指示の内容を自己判断すべし」となるではないか。
船の最高責任者である船長は最後に船を降りなければならない、などといくら船舶法で定められている、といっても、その法制化とは、立法化しなければならないほど、船長のモラルは地に落ちている、と理解すべきなのだ。
法律がザルに山盛りになっている時代ほど、いわゆる社会は隅々まで、腐っているというわけだ。腐っているのは、食べ残しの食料ではない。人間だ。見せかけの立派な衣服を身にまとった人間であることを忘れてはいけない。
それも、傾いた船室の中で高校生同士が「どうしたんだ?どうすればいい、助けて、お母さん、お父さん」などと会話する音声さえ出てきた。その挙句、
「部屋から動くな、じっとしていろ」という船内アナウンスを繰り返し、自分だけさっさと傾いた船から救助船に乗り移っていく船長の姿があったのだから、たまったものじゃないぞ。きっと、「死刑」だな。
こうなると、世界中の船舶に限らず飛行機や列車などの危機管理の対応に大きな問題が生じてくる。一国、一船の事故の問題ではなくなる。
だって、今回のような事故、集団的な異常、異変が起きた時に、責任者や指導者の言葉に従うかどうかさえ、自己判断しなきゃいけない、と思わされるのだ。つまり、大パニックが起きて収集がつかなくなることを暗示する。
ここで冷静に考えて、少なくとも、船室が45度も傾くような異変を感じたときは正常でない何かが起きているのだから、「各自救命胴衣を着用下さい。」とか、「通路に出て順番をお待ち下さい。」とか、何らかの即行動対応の為の指示があってしかるべきであって、ひたすらパニックを抑えるためだけの「じっとしていろ!」などという指示は「アンビリバボー」ということになる。
そんなことを、あの修学旅行で浮かれた子供たちに判断しろなどといっても、出来るものではない。しかし、この悲惨な事故の教訓は、「指示の内容を自己判断すべし」となるではないか。
船の最高責任者である船長は最後に船を降りなければならない、などといくら船舶法で定められている、といっても、その法制化とは、立法化しなければならないほど、船長のモラルは地に落ちている、と理解すべきなのだ。
法律がザルに山盛りになっている時代ほど、いわゆる社会は隅々まで、腐っているというわけだ。腐っているのは、食べ残しの食料ではない。人間だ。見せかけの立派な衣服を身にまとった人間であることを忘れてはいけない。
送信from Y.Yoshizmi
「梅安料理こよみ」を読んでいたら、美味しいしじみ汁を出す料理屋の、徹底した「シジミの砂出し方法」に驚かされた。シジミにストレスをかけないように十分な注意を払いながら、そこまでやるのか、というほど徹底して泥や砂を吐かせる。
同じ事はアサリなどにも言えるのではないか? 料理屋に限らず、スーパーで売っているので家庭でもアサリを料理に使う事は多い。酒蒸しまでしなくても、スパゲティなどにも使う。時折、口の中で「じゃり!」っと砂を噛んだ時の腹立たしさは、言うまでもない。
普通に、ただ「おいしく」たべるだけの為には、下ごしらえに十分な手間ひまを惜しんではならない、ということだろうなあ。
「お手軽簡単クッキング」などという本が、一番売れている料理本だが、お手軽簡単な人間と人生が出来上がるという訳だな。
「梅安料理こよみ」を読んでいたら、美味しいしじみ汁を出す料理屋の、徹底した「シジミの砂出し方法」に驚かされた。シジミにストレスをかけないように十分な注意を払いながら、そこまでやるのか、というほど徹底して泥や砂を吐かせる。
同じ事はアサリなどにも言えるのではないか? 料理屋に限らず、スーパーで売っているので家庭でもアサリを料理に使う事は多い。酒蒸しまでしなくても、スパゲティなどにも使う。時折、口の中で「じゃり!」っと砂を噛んだ時の腹立たしさは、言うまでもない。
普通に、ただ「おいしく」たべるだけの為には、下ごしらえに十分な手間ひまを惜しんではならない、ということだろうなあ。
「お手軽簡単クッキング」などという本が、一番売れている料理本だが、お手軽簡単な人間と人生が出来上がるという訳だな。
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暖かくて静かで、雨音一つ聞こえない穏やかな雨の朝を迎えた。暑くもなし寒くもなし、一年で一番過ごしやすい時季の訪れ。
寝ていても飽きる。昭和天皇の誕生日だったから、昭和の日などと国民の休日にしてしまったが、日曜日ではないので、仕事に出かけよう。
日曜日の夕方、神社の神事の前に掘り起こしたタケノコを、すぐに処理して、沸騰するたっぷりのお湯にたっぷりの米ぬかとともに、30分以上約40分ほど吹きこぼれないように見張りながら煮込み、そのまま1日放置。これを水洗いして、食べやすい大きさに切り刻んで、醤油出しと削り節で炊き込む。
酒の肴によし、ご飯のおかずによし。たまらなく美味しいタケノコを昨晩頂いた。
村人は私の行動を笑っていて、誰一人として「タケノコ」など、食い厭きているのか、それとも好きではないのか、あるいは、神社の普通のタケノコなどは見向きもせずに、高級なものを食べているのか、「おれも一本欲しい」と言わなかったけれども、私はこの「旨さ」に心から感謝している。実に満足だ。
掘り起こして煮込むまでに2時間と経っていない。旨さの原因は、意外にその辺りにあるのかも知れない。
暖かくて静かで、雨音一つ聞こえない穏やかな雨の朝を迎えた。暑くもなし寒くもなし、一年で一番過ごしやすい時季の訪れ。
寝ていても飽きる。昭和天皇の誕生日だったから、昭和の日などと国民の休日にしてしまったが、日曜日ではないので、仕事に出かけよう。
日曜日の夕方、神社の神事の前に掘り起こしたタケノコを、すぐに処理して、沸騰するたっぷりのお湯にたっぷりの米ぬかとともに、30分以上約40分ほど吹きこぼれないように見張りながら煮込み、そのまま1日放置。これを水洗いして、食べやすい大きさに切り刻んで、醤油出しと削り節で炊き込む。
酒の肴によし、ご飯のおかずによし。たまらなく美味しいタケノコを昨晩頂いた。
村人は私の行動を笑っていて、誰一人として「タケノコ」など、食い厭きているのか、それとも好きではないのか、あるいは、神社の普通のタケノコなどは見向きもせずに、高級なものを食べているのか、「おれも一本欲しい」と言わなかったけれども、私はこの「旨さ」に心から感謝している。実に満足だ。
掘り起こして煮込むまでに2時間と経っていない。旨さの原因は、意外にその辺りにあるのかも知れない。
3月10日以降「提訴日誌」のブログもシャットアウトされたので、続編を開設するかどうか(話は山ほどあるのだが)考え中だから、取りあえずここに書くけれど、先日、株式会社石川銀行(清算中の法人)から、最後の「株主総会」の案内が届いた。
日時は5月12日(月)午前10時から、いつもの金沢市の文化ホールで開催される。
平成15年5月9日の第1期から始まって、平成26年3月31日までの清算第11期で、ようやく精算が終了して、法人が消滅するということになる。
平成13年12月28日に破綻(申請)し、翌平成14年3月31日までに受皿銀行が決まらずに、全てを一度日本承継銀行に身を預けた形で移行し、恐らく平成15年5月9日から精算業務が開始されたのだろう。それまでの決算は、精算法人ではない石川銀行というわけだ。
この精算業務に要した総額は約83億円。そのうち、民事事件としての賠償総額は75億6700万円。総額370億円の無理やり増資を実施したという数字から見たら、20%あまりだが、75億円あまりの賠償額の25億円以上は「利払い」だから、実質は13%程度の補償で終わっている。
大口を考慮すると賠償額75億円の4割以上5割をRCC(整理回収機構)が回収していると推測できるから、預金保険機構は「鼻くそ」ほども気にしていないだろう。
しかし、まさか、数年前のように、精算業務が終了すれば、いくらか株の金が戻ってくると思って、最後の株主総会に出席してくる人がいるのかな?
日時は5月12日(月)午前10時から、いつもの金沢市の文化ホールで開催される。
平成15年5月9日の第1期から始まって、平成26年3月31日までの清算第11期で、ようやく精算が終了して、法人が消滅するということになる。
平成13年12月28日に破綻(申請)し、翌平成14年3月31日までに受皿銀行が決まらずに、全てを一度日本承継銀行に身を預けた形で移行し、恐らく平成15年5月9日から精算業務が開始されたのだろう。それまでの決算は、精算法人ではない石川銀行というわけだ。
この精算業務に要した総額は約83億円。そのうち、民事事件としての賠償総額は75億6700万円。総額370億円の無理やり増資を実施したという数字から見たら、20%あまりだが、75億円あまりの賠償額の25億円以上は「利払い」だから、実質は13%程度の補償で終わっている。
大口を考慮すると賠償額75億円の4割以上5割をRCC(整理回収機構)が回収していると推測できるから、預金保険機構は「鼻くそ」ほども気にしていないだろう。
しかし、まさか、数年前のように、精算業務が終了すれば、いくらか株の金が戻ってくると思って、最後の株主総会に出席してくる人がいるのかな?
送信from Y.Yoshizmi
木蓮という花は花弁が大きくて、すぐに落下するし腐ってしまう。玄関先に何が悲しくてこんな樹木を植えたのか、母親の心境が分からない。
すぐ横にくっつくように金木犀が並んでいるが、こちらは時期が来ると実にいい香りを漂わせるから、まだ値打ちがある。
二本を同じ場所に植えたというのも、我が親ながら美的感覚を疑う。そういえば、家の周りの至るところ、少しでも空いているところがあれば、草花を植えてきたから、時期が来ると、締りのないことおびただしい。
画用紙の白い部分があれば、残らず何か色を塗らないと気がすまない子供のようだ。
家の周りを一番汚くしてきたのは、実は母親なのだ。百姓屋に生まれながら、百姓を知らず、父親に可愛がられて、福井大学教育学部の前身である鯖江師範学校を卒業し、当時は20歳で学校の教員になった。従って、子供の頃に料理や掃除から簡単な農作業に至るまで、キチンとした躾を教えられることもなく、見まねだけだから、基礎がなく、感覚、感性に乏しい。
無理もない。学業を終えると、職業婦人。そのうえ、家庭に入れば、女房と母親と仕事を兼ねた人生を生き抜いてきたのだから、その負担は半端ではない。奴隷のように生きてきた証をいくつも知っている。
知ってる?昭和初期では、母親の教員の給料はすべて、我が祖父に渡すのだ。明治時代の家長制度は、一家の主人が金を管理する。金を握るから、大黒柱の意味が生まれる。
リーマンをしながら、家庭を預けるなどと称して、結婚したら財布を奥方に預けるなどという堕落をする以上、父権などという現実的な家庭権力は消滅するのが当たり前。
早い話が、そんなものは奴隷に過ぎない。鵜飼いの鵜だ。仕事もし、一家の隅々にまで心配り、金配りが出来る能力がない限り、そりゃ奴隷も仕方がない。
木蓮という花は花弁が大きくて、すぐに落下するし腐ってしまう。玄関先に何が悲しくてこんな樹木を植えたのか、母親の心境が分からない。
すぐ横にくっつくように金木犀が並んでいるが、こちらは時期が来ると実にいい香りを漂わせるから、まだ値打ちがある。
二本を同じ場所に植えたというのも、我が親ながら美的感覚を疑う。そういえば、家の周りの至るところ、少しでも空いているところがあれば、草花を植えてきたから、時期が来ると、締りのないことおびただしい。
画用紙の白い部分があれば、残らず何か色を塗らないと気がすまない子供のようだ。
家の周りを一番汚くしてきたのは、実は母親なのだ。百姓屋に生まれながら、百姓を知らず、父親に可愛がられて、福井大学教育学部の前身である鯖江師範学校を卒業し、当時は20歳で学校の教員になった。従って、子供の頃に料理や掃除から簡単な農作業に至るまで、キチンとした躾を教えられることもなく、見まねだけだから、基礎がなく、感覚、感性に乏しい。
無理もない。学業を終えると、職業婦人。そのうえ、家庭に入れば、女房と母親と仕事を兼ねた人生を生き抜いてきたのだから、その負担は半端ではない。奴隷のように生きてきた証をいくつも知っている。
知ってる?昭和初期では、母親の教員の給料はすべて、我が祖父に渡すのだ。明治時代の家長制度は、一家の主人が金を管理する。金を握るから、大黒柱の意味が生まれる。
リーマンをしながら、家庭を預けるなどと称して、結婚したら財布を奥方に預けるなどという堕落をする以上、父権などという現実的な家庭権力は消滅するのが当たり前。
早い話が、そんなものは奴隷に過ぎない。鵜飼いの鵜だ。仕事もし、一家の隅々にまで心配り、金配りが出来る能力がない限り、そりゃ奴隷も仕方がない。