この時期、野鳥や猿に奪われなければ、裏庭や畑に、この時期特有の果実がふんだんに育つ里山は、かつての8代将軍徳川吉宗が15歳までは、領地として与えられて、住んでいた我が地元。
特別に郷土愛があるわけではないが(むしろ、希薄な方だろう)長く住んでいるので、顔見知りが多く(いつの間にか、老人になってしまっているが)、過去の姿も知っている。
我が小さな集落は、毎年夏場を前にして、社会奉仕が行われた。家の下を通る農道を軽トラックに積みかえた砂利を敷いたりする。市役所から、ダンプカー一杯分の砂利が空き地に届くので、それをスコップで軽トラックに積み替えて、雑草だらけの農道に敷いていく。年に一度、農道をメンテナンスしないと、農道の轍が凸凹になるのだ。我が集落だけでなく、地区の集落は、どこも似たようなもので、その農道がアスファルトになって、「発展した!」と喜ぶ、私より少し年配の大人たちの笑顔を、なぜか皮肉な気分で眺めた記憶がある。
私は草刈りなどの苦労も稲作作りの苦労も、全く知らないから、私の美学的センスでは、農道は土のままの方がいいと思っていただけだ。
そういえば、私は若い頃から、よく村の仕事に出ていた。きっと、親父がサボって私に出させたのだろうが、記憶にないし、嫌だと思わなかった。江掘人足も、毎回出たし、家の普請の手伝いに出たことも記憶している。村仕事は、農家の村整備の一巻。全く、田畑を保有しない我が家が「あんたは、江掘人足に出てこんでもいいんやぞ」などと村役に言われたことを覚えている。人手が少ないので、スコップでドロ上げなどの重労働の作業に出てきてくれるのは、もちろん、村役はありがたい。それでも、筋論からいえば、出なくても、非難されることはないと言うわけだ。「いやいや、大丈夫」などと、私は構わず、手伝っていた。
面白いもので、そんなことを長年続けてきていると、村の大人たちの私を見る目が、我が両親とは違ってくる。母親などは、その昔、村の会合があっても、一番末席で、畳に座らせてもらえなかった、などと古い記憶を引っ張り出して、「つくづく、財産(山や田んぼ)の無いのは情けない」などと、恨み辛みをこぼすことがあった。
ところが、村の会合で私が出ていくと、結構、上座に座らせてくれるのだ。「いいよ、いいよ」と断るのだが、「こっち、こっち」と座らせて、村役も文句を言わない。しかも、発言すると、通ることが多い。で、次第に村役も高齢化して、力がなくなり、我々世代に任せるようになり、そうなると、今では、我が独壇場になってしまって、昨年などは、自治会長の上に、農家組合長まで押し付けられる始末。笑ってしまうほど、面白い。
両親が80代で、脳みそもはっきりしていれば、そんな事態に目を回すだろうし、連合会会長などやっていると知ったら、心臓発作を起こすかもしれない。村の先生など、信じがたいと言わんばかりに「あ、あんた、立候補したんか?!」などと叫んだ。古い時代に85%生きていれば、そんな反応は当然だ。そんな昔の気持ちもわかるし、時代が変わったことも、私は当事者だから、十分理解している。
時代は、ドローンが飛び、人工衛星の情報を利用して、農業が行われようとしている。目先、猪や猿の被害に目を奪われているが、もはや、地元の果樹の豊かさえ、知っているのは、猿と私くらいなものだ。
今に、北朝鮮や中国やロシアからミサイルが降ってきても、驚くにあたらない。
優れものの、ドローン。スマホのアプリがうまく、動かない。楽天回線が、全く、通じないからだ。酷いねえ、楽天回線と、Linkアプリ。その上、値上げときた。
小さな季は、地区の中心集落にある、昔の商店の家の裏庭に2本ある古い季の木で取れたもの。私が好きだと言ったので、わざわざ、持ってきてくれた。今が熟して食べごろ。野鳥に取られてしまう前に、収穫したのだろう。家では、誰も食べない、と言っていた。
先日、山椒の木を見せてくれた家だ。最近では、畑で取れたスイカやとうもろこしでも、孫は食べないと、畑を作るババアが言う。