1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

クリスマスのこと

2007-11-30 16:54:41 | Weblog
我が家では季節の行事を大切にしていました。
お正月、節分、ひな祭り、こどもの日、お月見、クリスマス。
特にクリスマスには力が入っています。
上の娘が生まれた年に2メートル近いツリーを買って、それから毎年、お気に入りの飾りを買い足していきました。11月になりクリスマスのコーナーができるとじっとしていられません。家族そろって今年のお気に入りを探すのです。20年近くたっているので飾り切れないくらいの数です。買い足せるのは1年に1個。どれを選ぶか、誰の選んだ飾りに決まるか?激戦です。
娘が入院して2回のクリスマスが過ぎました。
1年目は抗がん剤の治療のため、家に帰る事ができませんでした。ケーキを買って病院でクリスマス。プレゼントのフクロモモンガの「ふう」も病院に届けられました。
じゃあ2年目の去年のクリスマスは?
たぶん去年も病院でケーキを食べたような気がします。あまり覚えていないのです。
その頃は肺に水が溜まりかけていましたし、熱も頻繁に出ていましたから多分家には帰れなかったでしょう。
今年ももうすぐクリスマスがやってきます。
こんなクリスマスカードを見つけました。
光を放ち、クリスマスのメロディを奏でます。

今年はクリスマスツリーどうしよう...
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふしぎな感覚のこと

2007-11-29 15:17:22 | Weblog
みなさんもこんな経験ありませんか?

娘が骨肉腫という病気の宣告を受けた日。その日から私のまわりに1枚の膜ができました。うすいベールの様であり、エアカーテンの様でした。
特にスーパーなど人通りの多いにぎやかな所に行くと、より分厚くなるのです。
周りは見えているのですが、紗がかかってぼやけています。
音はほとんど聞こえてきません。自分ひとりがぼんやりと雲の上を歩いているようでした。
その時は1週間ほどでなくなりましたが、娘が亡くなった後にも同じことが起こりました。
いったいどうしてでしょう。
悲しみのあまり現実から逃げようとしているのでしょうか?

今もそのベールは私について回ります。
今日、ふと我に返り、そのベールの隙間から空を見上げました。
街はすっかり秋の景色に変わっていました。
「ずいぶん寒くなったなあ」とは感じていましたが、こんなに落ち葉がたくさん落ちてたなんて...。

こんなふしぎな感覚ありますか?
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早期発見のこと

2007-11-27 20:35:40 | Weblog
どの病気でも早期発見は大切です。
骨肉腫においても早期発見は重要な意味を持ちます。

骨肉腫の病巣部には1つのガン細胞だけでなく多種のガン細胞が混在しているそうです。抗がん剤によって死滅するガン細胞もあれば抗がん剤では死なないガン細胞もあるのです。たとえ肺に転移していてもそのガン細胞が抗がん剤で死滅するタイプなら恐れることはないのです。抗がん剤の効かないガン細胞が飛び出すことが問題なのです。
発見が早ければ、原発の病巣からガン細胞が飛び出す前に骨肉腫を(抗がん剤では殺せないガン細胞も含めて)摘出することができます。
しかし骨肉腫の場合、前に述べたように、成長痛・運動痛と誤診される事が多いのです。整形外科医が一生のうち1人か2人しかめぐり合わないような低い確率です。仕方がないことだったのかも知れません。
でも仕方ないではすまされません。早い発見がその子の命を救います。
少しでも疑わしい点があればレントゲンを撮ってもらいましょう。

「もっと早く医者に診せていれば…」
子供を亡くした親の心から、この言葉が消えることはありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

娘の骨肉腫のこと

2007-11-26 21:32:45 | Weblog
娘の骨肉腫は普通と少し違っていました。
通常、骨肉腫が発見されるときは1箇所です。発見が遅れた場合、他の骨に転移するより肺に転移している可能性のほうが高いようです。
しかし娘は同時に4箇所に骨肉腫がみつかりました。その後、肺に転移するまでに1年かかっています。
がん細胞は、原発といって最初に骨肉腫があらわれた場所から、血流にのって全身に転移します。引っかかりやすい肺や骨で止まり、そこで増殖します。これを転移というのですが、娘の場合、転移と考えるには無理があると思うのです。
最初の病院の先生は、あくまでも娘の場合も転移と判断されました。転移している以上、全身にがん細胞が飛んでいると考え、手術が無駄であるとされました。
移った病院の先生は、4箇所の肉腫は転移ではなく別個のものであり、手術の可能性は残っていると判断されました。
先日、お話を伺った先生方も意見は二つに分かれました。

いま娘の体の一部が生き残り、研究が進められています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終末ケアのこと

2007-11-26 01:41:38 | Weblog
先日、お会いした先生方に「終末ケアの有無」を質問しました。
どちらの病院にも終末ケアの病棟はなく、数年後に建設を予定しているということでした。
一人の先生はこうおっしゃいました。

僕はあの子たちには終末ケアは必要ないと思っています。彼らは最後まで闘います。僕らも最後まで彼らといっしょに闘います。
親御さんが終末ケアを望まれて、終末ケアの施設に移った子がいます。
その子は「なぜ何にも治療しないの?」と不安げに訪ねました。
次の日から『ビタミン剤』の点滴がはじまりました。

子供たちに終末なんてないのです。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

がんの子供を守る会のこと

2007-11-25 13:22:25 | Weblog
りょう君のお父様のホームページのリンク欄のある「星の王女さま」というページを訪問しました。祐子さんというお嬢さんの闘病記です。そこで「がんの子供を守る会」の存在を知りました。
今までたどり着く事ができなかったのはどうしてでしょう?病院でも知らされることはありませんでした。インターネットで「骨肉腫」で検索しても出てきません。
そういえば、骨肉腫も白血病も「がん」の一種なんですね。もっと根気よく探せば出てきたのかも知れません。
会の発足は1968年、小児がんで子供を亡くした親御さんたちによって設立されました。治療研究助成や療養費助成、宿泊施設の運営など小児がん患者とその家族が直面している困難や悩みを軽減するために活動しています。
明日、入会の手続きをします。たった一人でできることは限られています。歯車の1つとなり大きな力になれればいいなと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

病院のこと その後

2007-11-23 02:44:49 | Weblog
先日、二人のお医者様にお話を伺う事ができました。
一人は公立の大学病院の先生、もう一人は私立の大学病院の先生。
それぞれの病院の治療方針、年間の症例数、看護体制、終末ケアの有無、院内学級の有無、漢方薬や免疫療法などとの併用は可能か等の質問をさせていただきました。
どちらの病院も院内学級がありました。大部屋での家族の付き添いも可能です。
抗がん剤治療と手術を中心として、一方の病院では温熱療法、放射線治療が、もう一方は免疫療法の一貫として、活性型リンパ球を用いた先進治療が行われているそうです。
その私立の病院はDPC制度(入院医療の標準化と効率化を目指す制度)を導入していて、化学療法-手術-化学療法と長期の入院は病院が大赤字になってしまうこともあり、化学療法の切れ目で退院し再入院治療を行うという方法をとっているようです。家庭の事情で、それができない患者さんには「愛知がんセンター」の様にDPC制度に入っていない従来の長期入院治療が可能な施設を紹介されています。
一方、公立の先生のお話では「新しい薬や治療法を導入するとき、病院の委員会に諮らなければなりません。公立の病院はお役所仕事と同じで物事の決定に時間がかかる。一つの薬の承認を得るのに長い時間がかかります。保険が利かない治療は混合診療となり患者さんの負担は大きくなります。その点、私立の病院は対応が早いです。」混合診療のことは「免疫療法のこと」でお話しましたね。保険の利かない治療を併用すると、それまで保険が利いていた治療まで保険が利かなくなり、治療費の全額を患者が負担することになるのです。
どちらの病院にも、それぞれ長所・短所がありました。きっとどの病院も同じだと思います。
骨粗しょう症の薬でビスホスフォネートという薬があります。これ自体に腫瘍を壊滅させる力はありませんが骨破壊を抑える、痛みの緩和という効果があるそうです。先ほどの公立の大学病院の先生はビスホスフォネートの効果は認めておられましたが病院の承認が下りないため使えないと話されていました。
娘は入院当初からビスホスフォーネートを抗がん剤と併用して使っていました。これは私立の病院であるため比較的自由な治療法が選択できるからでしょう。
しかし、病院の経営方針のため退院を余儀なくされたこともあります。先生も病院の方針に逆らうことができません。
看護婦さんの数も公立に比べれば少ないと思います。一人ひとりの看護婦さんは高い志を持っていても、手が足りないため患者さんに不自由を感じさせることは否めません。
このようにどこの病院も長所短所を持ち合わせています。だからと言って改善されることは難しいでしょう。
そこで考えていただきたいのが、病院同士の連携です。
通常の治療は1つの病院で行い、別の治療が必要だと考えられる場合にその治療が受けられる病院に一時的に移ります。その治療が終われば元の病院に戻るのです。
それが可能になれば、「もっとたくさんの子供たちが救われるのでは?」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲームのこと

2007-11-20 17:10:40 | Weblog
我が家には3人の子供がいます。上二人は女の子。いちばん下は男の子。
上の子の子育て中、私はテレビゲームなどのゲームが大嫌いでした。ゲームの弊害ばかりを気にして子供にゲームを買い与えませんでした。女の子ということもあって問題はありません。友達もゲームをしないので必要なかったのです。
しかし、その後「いちばん下の男の子が小学生になったらどうしよう」と悩んでいました。
男の子はみんなゲームが好きで「ゲームを持っていなければ仲間はずれになるのでは?」と心配していたのです。
そんな中、下の娘が病気で入院治療が必要となり、下の子は家に一人でいる事が多くなり寂しい思いをさせていました。娘も入院中の退屈をまぎらわすためゲームが欲しいと言い出しました。
それからしばらくして、我が家にゲーム機がやってきました。そこからは雪崩のようにゲームソフトが増えていきました。
娘が好きなゲームの一つに「動物の森」があります。
動物の森に引っ越してきて、不思議な動物たちと暮らすのです。
時間がリアルタイムに進み、季節に合わせて景色も行事も変わります。春には花が咲き蝶が舞う。夏にはセミが鳴き虫取り大会、秋には果物が実り、どんぐり大会があります。冬は雪景色になり、雪だるまを作ります。
娘は病室にいながら季節を体験していたのです。
私も参加して魚釣りをやった事があります。これが、なかなか難しい。釣れたと思ったら空き缶だったり...。
「母さんて不器用だね。」とよく言われました。
ゲームを終えるときは自分の部屋に戻り、自分のベッドに横たわって眠ります。
先日、久しぶりに「動物の森」を開いてみました。

その部屋で娘はスヤスヤと眠っていました。


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葬儀のこと

2007-11-19 14:25:18 | Weblog
このところ親しい方が続けて亡くなり、お通夜、お葬式に参列する事が続きました。
最近は来られる方の便宜も考えて葬祭センターで行われる事が多くなったようです。住宅事情や駐車場のこともあり、ご近所の方や親族の手を煩わすこともなく係りの方がスムーズに葬儀を進行してくれる葬祭センターは欠かせないものだと思います。
しかし娘との別れには、どうしても事務的に進行していく葬儀をやりたくありませんでした。マンションに住んでいるので家で行うのは無理なことです。マンションのコミュニティセンター(集会所)を使わせていただきました。以前はマンションの住人の方の葬儀はここで行われていましたが、やはり駐車場不足、狭いこととご近所の方の手を煩わさなければならないこと等の理由で、今はほとんど使われていません。
その日は、お坊さんを呼ぶこともせず、葬儀ではなく「お別れの会」として行いました。
ご近所の方、とくに中学校の子供たちがたくさん来てくれて温かい「お別れの会」をすることができました。娘も喜んでくれていると思います。
見えないところで忙しく働いて「お別れの会」を支えてくださったご近所の方の協力があったからこそ実現できた事です。
本当にありがとうございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瞳さんのこと

2007-11-19 13:34:40 | Weblog
主人が見つけたホームページ「アフラック生きる.com」のなかで「生きる」ストーリーという項目があります。
その中に猿渡 瞳さんというお嬢さんが13歳のときに弁論大会で発表した「命をみつめて」という作文が出てきます。
瞳さん自身の声で力強く語っています。
とても13歳とは思えない素晴らしいお嬢さんです。骨肉腫などの小児ガンと闘った子供たちは、人の一生分を生き抜いたかのように精神的に大きく成長します。死の淵に立ち、つらい治療を乗り越えたからこそ、生きることの素晴らしさを知っているのです。
ぜひ一度、瞳さんの声を聞いてください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする