1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

告知

2010-06-19 20:16:14 | Weblog
今日、仕事で「県立がんセンター」の横を通った。
相変わらず「がんセンター」の看板があちらこちらに立っている。
近くの病院で「骨肉腫」の診断をうけ、がんセンターへの紹介状をもらった。
翌日、主人と私、そして娘の三人で車でセンターに向かう。
道路の脇に、矢印と「がんセンター」の文字。せめて漢字で「癌センター」と書いてあれば勉強嫌いの娘には、読めなかったかもしれない。
「私はガンなの?」と娘が聞いた。
ちょうど半年前に主人が大腸がんの手術をし生還していたので、我が家では「がん」に対する免疫が少しはあった。
「そうだよ。骨のがん。でもお父さんみたいに、すぐに治るよ。」
本当にそう思っていた。3クールの抗がん剤治療。手術。術後の抗がん剤治療。
一年経てば、普通の生活に戻れると信じていた。
親が告知をするべきかどうか迷うこともなく、娘は自分の病名を知る。
でも病名を知らなければ、この病気と闘うことはできない。それほど厳しい闘いである。

同じ病室の隣のベッドに入院されていたSさん。
主治医の先生が娘に治療の説明をされる。その言葉が、カーテン越しに聞こえてくる。
「この治療をのりこえなければ、死から逃れることはできない。」という先生の言葉に、
娘は気丈に「はい。」と答えていたそうだ。
「聞いていて涙が止まらなかった。わずか13歳のお嬢さんなのに...」

数日後、Sさんが語ってくれた。

21時21分

2010-06-04 17:58:58 | Weblog
おぼえやすい時間。21時21分。
娘が亡くなった時間。
このごろ、ふと時計に目をやると、いつも「21時21分」
「21時20分」でも「21時22分」でもない。「21時21分」。
意識しているわけでもなく、体内時計があるわけでもないのに...

いつも「21時21分」。


小倉のホテルにて

2010-06-03 21:40:27 | Weblog
抗がん剤治療を始めて2ヶ月。抗がん剤の効果で癌細胞は小さく縁どられていた。
しかし喜んでいた矢先、死んだ癌細胞の中に新しい癌細胞が現れた。
「手術をするかどうか。」先生たちは手術を決心された。
手術を一ヶ月後に控えたある日、病室のテレビで「気功治療」の番組をやっていた。
九州の小倉の先生。たまたま、同室の○○さんのお友達のお兄さんだった。
藁にもすがる思いで、そのお友達に連絡をとってもらうと番組放送と同時に毎日1000通を超すファックスが届いているという。
無理をお願いして、治療の予約をとってもらった。
それから3週間、両親・姉が交代で付き添い小倉のホテルから治療に通った。
とても気持ちがよかったらしく、治療中に、よく眠っていた。
写真は小倉のホテルの窓から、外を見ながらメールを打っているところ。
抗がん剤の副作用で、髪の毛はなかった。病室でも家でも、この帽子をかぶっていた。
カツラをいくつか購入したが、使うことはなかった。

3週間の治療が終わり、病院に戻った。
手術前に、MRIとCTを撮って手術の計画が立てられる。
腫瘍細胞が小さくなっていることを期待して写真の出来上がりを待っていた。

効果は....なかった。
腫瘍細胞はさらに大きく育っていた。