1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

虹を追いかけて

2008-11-25 20:31:56 | Weblog
仕事の帰り道、小雨が降ってきた。
空を見上げると虹が架かっていた。架かっていたというよりも架かり始めていた。
虹が生まれ、育っていく。その様子をじっと見ていた。
そのうち、最初に架かった虹の外側にも少し薄めの虹が架かり始めた。
こんなにくっきりと綺麗な虹を見たのは初めてだ。
この辺りは、濃尾平野の一部で山がない。虹のふもとがはっきり見える。
「もう少し走れば、虹のふもとに辿りつけるかも...」そう思って車を走らせた。
もちろん虹が単なる気象現象だとわかっている。
それでも今日の虹は「もしかしたら...」と思わせるものだった。

近づいたと思って車を止めると、虹のふもとはまだ少し遠くにある。
もう少し走って車を止める。やはり虹は同じ距離を保っている。
30分ほど走って車を降りた。
虹は白い建物の上に架かっている。
白い建物と虹が交差したところは陽炎のように色ついた空気がゆらゆら揺らめいていた。
この時点で虹は建物のこちら側にある。つまり、そこが虹のふもとなのだ。
でも、ここから少しでも近づくと虹は建物の向こう側に逃げてしまう。

やはり、虹のふもとに辿りつくことはできなかった。
そこに行けば奇跡が起きる気がした。


別れ

2008-11-09 18:30:40 | Weblog
電話が鳴った。
「木村のおばちゃんが亡くなった。」

私の家は水道屋。父と母の二人で築き上げた。
母は一人で経理、接客、家事をこなして、4人の子供を育てていたので
末っ子の私の面倒を見るのが困難になっていた。
そこで近くに住んでいた木村さん夫婦に私の面倒を見てもらう事になった。
木村さん夫婦には子供がなかった。

おじちゃんは、大型トラックの運転手。毎日パルプの原料となるチップを運んで日本中を走り回っていた。
私の父と同じように気が短く、いつも苦虫をつぶしたような顔をしていた。
お酒を飲むと暴れて、おばちゃんに手を挙げる。
そんな時に私が呼ばれる。私を見るとおじちゃんの目は優しくなる。おばちゃんにも優しくなる。
私には優しいおじちゃんの記憶しか残っていない。

おじちゃんは私が小5のときに肺がんで亡くなった。
おばちゃんは、おじちゃんを見送ったあと親戚の勧めでおじちゃんの従兄と再婚。
その従兄は奥さんを亡くして3人の子供を男手1つで育てていた。
おばちゃんは、「おじちゃんの位牌を守って行きたい。」と再婚に乗り気ではなかったが、親戚の勧めを断る事ができなかった。

数年の間、おばちゃんはその家庭を切り盛りして子供が各々独立した時点で元の家に戻った。後で知ったのだが、籍は入れていなかった。
その後、おばちゃんは家政婦協会に所属して、病院に入院している患者さんの付き添いとして働いていた。優しい性格で、心をこめて患者さんのお世話をしていた。
明るい性格で話好き。お茶目でかわいいおばさんだった。

数年前、膝の関節を悪くして歩く事ができなくなったことがあった。
そのとき、一人暮らしに不安を感じて老人ホームへの入所を希望した。
1年後、老人ホームの空きが出た時、足は快復していたので断ることもできたのに職員から「一度断ると、次に入りたいときに入れませんよ。」と言われホームに入る決心をした。
老人ホームにはたくさんの制限があり、自分の家にさえ帰れない。家に帰っているときに転んで事故があってはホームが責任を取れないという。私は血縁関係がないので連れて帰る事ができない。せいぜい日帰りで近くの温泉に連れて行くくらいのことしかできなかった。

自分の家で暮らしていれば、もっと自由に余生を過ごせたのに…。近くに住んでいれば、もっとお世話ができたのに…。

後悔の念が絶えない。

時の流れ

2008-11-04 17:41:30 | Weblog
このブログをはじめてから1年が経ちました。
あの子が亡くなって、もうすぐ2年。
本来なら、来年は三回忌の法要を行なわなければなりません。
しかし私たち夫婦にとって、三回忌は何の意味も持ちません。
仏壇さえ揃えれば、そこにあの子を感じる事ができる。その願いもあえなく崩れました。
1周忌にはお経も虚しく響き、来て頂いたご住職に申し訳ないという気持ちが残っただけでした。

神でも仏でもいい。
天国でも地獄でもいい。
死後の世界が存在するなら、あの世であの子に会えるなら…


神はいるの?

2008-11-03 20:05:49 | Weblog
今朝、ある花屋の前を通った。
ここを通るたびに、「神はいるのかな?」と考える。

まだ子供が生まれる前の話。
主人の会社の同僚の人たちとよく遊びに行った。
スキー、バーべキューなどなど。
その頃、事務員さんだったAさん。子供が生まれてからも、よく我が家に遊びにきてくれた。
数年前、Aさんは会社を辞めてフラワーアレンジメントの学校に通い始めた。
そこで知り合った男性と結婚し、ふたりでお花屋さんを始めるという噂は聞いていたけど彼女とはそれきり会う事がなかった。

ところが娘が亡くなった翌日。
お別れの会の準備をしているところへ、彼女が現われた。
結婚した旦那さまのご実家が、この町でお花屋さんを営まれていて、そのお店に
花キューピットの注文(遠方に住む私の友人が娘のために花を贈ってくれた)が入るはずだったのに何かの手違いで、隣町の息子夫婦のお花屋さんにFAXが入った。
届け先の名前を見て、彼女は花を抱えてとんできてくれた。

単なる偶然と片付けてしまえばそれで終わりだけど、
こういうことがあるたびに「神様っているのかな?」と思ってしまう。