1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

暑中見舞い

2008-07-16 16:24:29 | Weblog
幻の島が描かれた「かもめ~る」
勢いで買って来てもう1ヶ月になるのに、まだ出していない。
美しい幻の島。そこに文字が書けない。
もう少し待ってね。

残暑見舞いになるかもしれない・・・・

生きていくという事

2008-07-15 15:28:37 | Weblog
我が家の愛犬の名前はパク子。
生後2ヶ月で我が家にやってきた。
親元を離れた子犬は不安定で体調を崩しやすい。
だけどパク子は頑丈だった。
餌をよく食べた。パクパク、パクパク。ひっくり返すとウシガエルのお腹の様にパンパンで、ドッグフードの粒粒がわかるような気がした。
「一人っ子の娘の兄弟のかわりに」と先代のパグを飼ったのだが、不思議なもので直ぐに二女がお腹に宿った。しかし、そのパグは2年で亡くなった。
その穴を埋めるようにやってきたのが、パク子。
後ろ足の脱臼に始まり、皮膚炎、膀胱炎を繰り返しながらも、15年生きている。
私に似たのか、犬のくせに不妊症。でも何とか2回産めた。
最近は、目も白内障で真っ白。耳も聞こえず呼んでも振り返らない。でも怖い雷の音や運動会のピストルの音が聞こえないのは嬉しいかも知れない。
散歩に行くとヨタヨタと歩きながらオシッコとウンチをする。散歩から帰るとごはんがもらえるのをよく知っている。
片方の顎でしか噛めないので、ドッグフードを水でふやかして与える。
ふやかしている間も待てないらしく、やたらと食器に突進してくる。
目も見えないし、臭いもあまり感じないはずなのに、餌の在り処はわかるみたいで不思議だ。
こうやって見ると、左の耳が陥没している。左の顎も右に比べると凹んでいる。
獣医さんが言われる様に、顎の骨だけじゃなく頬や頭蓋骨も溶けて来ているのだろうか。
それでもパク子は一生懸命、餌を噛んでいる。

生きようとしている。

まったく

2008-07-13 12:37:58 | Weblog
忘れもしません。2004年の12月24日。
楽しいはずのクリスマスの夜、なんだか暗い顔をして帰ってきた主人。
ケーキを食べて子供を寝かしつけてプレゼントも用意して...。
さて、お話を伺いましょうか?
「今日、検査を受けてきたんだけど、大腸がんだって。それもかなり進行してるから、すぐに精密検査をして手術するって。」
彼は幼くして母親を癌で亡くしているので、いつかは癌になるだろうなと覚悟はしていました。
翌日、近くの大きな病院に行きました。明日から正月休暇という状況の中、検査を無理やり押し込んでもらって、結果は同じ。
ただ、癌患者の手術の順番が混んでいて、手術予定が2月の下旬という。
「げ~っ!進行癌をそんなにほっといていいの?転移しちゃうじゃん。」
でも、癌で腸が塞がってしまっているおじいさんでさえ待たされている状態らしい。公共の病院はどこも今日で外来はおしまい。どうすりゃいいのよ?
家から遠いので対象から外していた「南医療生協病院」。とっさにそこに電話を入れると明日の午前中までやっていて、おまけに1月の頭に手術を入れてくれるというお話。
それから、レントゲン、MRI、CTなど膨大な資料をコピーしてもらい、それをもって生協病院へ。
手術は1月12日。
先生は「お正月はのんびりと美味しい物を食べてください。それから入院しましょ。」と言ってくださいました。
あの頃の大腸ガンの手術は、結構大変でした。一番奥に位置しているので、腸をすべて外に出します。患部を切り取ってから腸を戻すので張り巡らされている神経を傷つけてしまう恐れがあるようです。
その大手術が終って、患部、近くのリンパ組織の検査をして転移の有無がわかるまでの2週間の長かったこと。3ステージまで進んでいましたから。
仕事の合間をぬって、毎日通いましたね。私は決して良い妻ではないのですが、ここで恩を売っておこうっという下心

主人が生還して容態が落ち着いた頃、家族でディズニーランドに行きました。今まで家族で旅行なんかしたことなかったのですが、「再発したらもう行けないね。」ということで奮発しました。

ところがその年の夏、こんどは真ん中の娘です。このブログの主人公です。
骨肉腫という骨の癌。
まったく。神様はどういう神経をしているんだろうと疑いました。
その後の経過はこのブログにあるとおりです。

そして、またもや我が家に...。
こんどは愛犬。
「なんだかよだれが多くなって口臭がきつくなったな~」歯槽膿漏だな。と
考えて獣医さんへ。
「口腔内の腫瘍が原因で顎の骨、歯が解けてなくなっています。」
口を開けると確かに「無秩序に増え続けている肉塊」があります。
娘も最期は口の中に「無秩序に増え続ける肉塊」ができました。でもまだ骨や歯は健在でした。綺麗な顔のまま最期を迎えました。
今思えば、それだけが救いです。

まったく。癌という生き物はたくましい。

あの子の贈り物

2008-07-07 08:44:07 | Weblog
昨年2月にあの子が逝ってから、しばらく頭も心も空っぽでした。
体だけが忙しく働いて、心と頭は置き去りでした。
ふと気がつくと、いろんな事が思い出せないのです。
悲しみから逃れるための自己防衛なのでしょうか。
本当にこのまま呆けてしまうのでは?と思っていました。

ちょうど、そのころ会社から「建築士」の免許をとることを推奨するメールが来たのです。
この歳ではもう無理だろうと諦めていたこと。
あの子に向かって「まだ呆けるには早いよね?頑張るか。」と話しました。

それからが大変。
申し込み締め切りは目前に迫っています。大急ぎで資料を集め手続きに向かいます。
準備期間が短かったこともあって、昨年の結果はひどいものでした。
「今年はどうしようかな?」と迷っている所にまたまた会社から
「6月から建築士の免許がないと出来る仕事が限られてきます。」という旨のメール。
もともと私の仕事は、欧米では1級建築士でないと出来ない仕事です。
日本ではまだ制度が確立されていないので、勉強さえすれば「普通のオバちゃん」の私でもその仕事が出来たのです。
でも「いつかはこういう日がくるだろうな」とは思っていました。
これはやるしかないな。

姉歯問題発覚以来、建築士の試験は難しくなっているそうです。
「1級建築士の問題が2級に降りて来ている。独学では合格はむずかしい。」と言われました。確かに去年の試験には丸暗記で挑んだのですが応用が利かないため落ちました。
でも総合資格学院などのコースでは60万円かかります。受かる可能性のないものにお金はかけられません。以前、仕事仲間の1人が受験したときに通った教室を紹介してもらい、そちらの講座をうけることにしました。
行ってみると...なんと、そこの講師は、○十年前に訓練校でお世話になった先生でした。こんな出会いもあるんですね。
それから6ヶ月コツコツと頑張りました。歳のため記憶力は半減(いや~それ以上かな)昨日覚えたことを今日は忘れている。そんなことを繰り返しながら昨日の本番を迎えました。
もう少し点がとれると思ったのですが厳しかったですね~。ギリギリでした。
明日からは製図試験対策が始まります。

今年になってから始めたのでは、きっと落ちていたと思います。
去年からの積み重ねがあったから、ここまでこれました。
昨日は、もちろんあの子と一緒。

あの子の贈り物....。