1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

クリスマスツリー

2009-12-24 16:25:39 | Weblog
おなじみのツリー。
年々、登場が遅くなっている。

以前は11月の下旬、遅くても12月には飾られていた。
日曜日に家族そろって飾るのがお決まりの行事だった。
けれど、ここ数年、ツリーの登場が遅くなった。
今年は、昨日になって、ようやく登場した。

長女が生まれた21年前、我が家にやってきた。身長は、私より少し高い。175㎝。
毎年、1つの新しい飾りが仲間に加わって、こんなに賑やかになった。
でも3年前から、飾りは増えていない。

ツリーが寂しそうに見えるのは、わたしだけ?

うれしい知らせ

2009-12-22 19:49:14 | Weblog
今日、とても嬉しいことがあった。

娘の主治医だった先生は去年第一線から退かれ、開業医となられた。F大学病院で先生に診てもらっていた患者さんの一部は開業された病院に定期的に通っている。
その中の一人の患者さんの話を伝えてもらった。

先生の机に写真が置いてあって(たぶんあかねさん)「忙しくて大変なことも多い
けど、そういう時はこの写真を見て勇気をもらってるんだよ」と言っていたそうです。先生の中でも生き続けているんですね。

嬉しかった。涙がとまらなかった。
先生の病院には、息子の怪我などで何回か行っている。でも先生はそんな事おくびにも出さない。いつも穏やかに笑っておられる。

その写真は、娘の3回忌に法要を行う代わりにお世話になった方たちに送ったものだった。幻の島で笑っている写真。

度重なる手術、抗がん剤の投与。
いまでも「あれほど辛い思いをさせたのは間違いではなかったか?」と自分に問いかける。がんセンターで「余命6か月」と宣告された時点で治療をやめるべきではなかったか、と。
しかし、あそこであきらめていたら、娘は「なんで自分だけ」と自分の運命を嘆くだけで逝ってしまっただろう。
その後の先生たちとの出会い、同じ病室のおばさんたち、そこにお見舞いに来てくれる人達、岡本真夜さんとの出会い、小浜島にたどりつくまでに力を尽くしてくれた人達、はいむるぶしのスタッフ、診療所の先生....。
たくさんの方たちのおかげで、あの子は「人間っていいな」と思いながら人生を終えたのでは、と思いたい。

この2年間の闘いがなければ、この笑顔はなかっただろう。






お子さんは何人?

2009-12-22 08:17:11 | Weblog
新しい職場など新しい環境に入った時、主婦仲間の会話に大抵出てくる。
「お子さんは何人?」

なんのためらいもなく「三人です。」と答える。
話が進んでいき、「いま、いくつ?」「学校は?」
この辺から、答えがぎこちなくなってくる。
「21歳、17歳、12歳...」
「え~、17歳?うちと同じ。どこの高校に行ってるの?」
「・・・」
答えにつまってしまう。
仕方ないので「じつは・・・」と事情を話す。
「聞いてはいけないことを聞いてしまった」気まずい雰囲気が漂う。
先日、私も「うちは母子家庭なんです。」という言葉に、なんと返していいか、迷ったことがあった。
そういう事態を避けるために、「子供は二人です。」と答えていた時期もあったけど、それはやめた。

「お子さんは何人?」
「三人です!」


茜の海

2009-12-19 16:25:02 | Weblog
今回の旅で発見したものが、もう一つある。
それは「ミンサー織」の存在。

もちろん、売店で「ミンサー織」の財布や帯は目にしていた。
でも、その起源も、織り模様の持つ意味も知らなかった。

ミンサーのミンは中国語で「綿」、サーは「狭」であるといわれ、ミンサーとは木綿の細帯のことである。
八重山ミンサーは、五つと四つの四角の絣模様が交互に配されムカデのような経縞が特徴である。幅およそ8.5センチ、長さ約230センチの細帯で、真田紐に似た経畝織の木綿織物。藍染の紺地の両耳にはムカデ模様と呼ばれる段々縞が織りだされ、その中に五つ玉と四つ玉の絣が交互に織り込まれている。
五つと四つの絣の意味は、いつの(五つ)世(四)までも末永くと云われ、1本1本心を込めて織り、愛する人に思いを託した女性の愛のしるしでもあった。
意識して周りを眺めると、石垣の街のあちこちに、五つ玉と四つ玉の絣模様が見られた。いままで見過ごしていたことに改めて気付かされた。
「今回は新しい発見があったなぁ。」そんな事を考えながら、はいむるぶしに到着した。すると、そこに1枚のミンサー織が飾られていた。
その一枚の額の下に題がついていた。

「茜の海」

ミンサー織に気付かせてくれた「はるちゃん」に感謝。
                                           


思い出のバームクーヘン

2009-12-14 02:18:30 | Weblog
今年の「小浜の旅」は、特別なものだった。

私の友であり、娘の親友であった「○子ちゃん」。
彼女の長男が、素敵な女性と同じ道を歩き始めた。
今年の旅の計画は、その二人を巻き込んで始まった。

フォト・ウェディング。
まっ白いウェディングドレスとタキシードを着た二人を、島が祝福していた。
前日まで、曇っていた空も、真っ青な空へと変わった。
海が輝き始める。砂浜が白い輝きを増す。
その中を、幸せそうな二人が歩いて行く。

毎年、この島に来て娘の姿を探し求めていた。
毎年、娘の影が薄れていくことを怖れていた。

しかし、若い二人は「神」という不確かなものでなく、娘の遺影に「結婚」を誓いたいと言ってくれた。
この島で、生きていた娘を感じたいと言ってくれた。

思い出はバームクーヘンのように、一枚また一枚と厚みを増していく。




幻の島

2009-12-14 01:17:44 | Weblog
行って来ました、幻の島。
真ん中に白く浮かんでいるのが幻の島です。
今年は天候に恵まれ強い日差しに照らされて、幻の島は、いっそう白く輝きました。
大きな台風が来ると、幻の島は形を変えます。
今年は波によって砂が引き寄せられて、一部が小高く盛り上がっていました。
だから遠くからでも、島をみつけることができます。


潮が満ちると、海面の下に姿を消すことから「幻の島」と呼ばれているけど、
いつか、この島は満潮時でも白い頭をのぞかせるようになる。
そして、そこには緑が芽吹き、命が芽生える。

そんなことを考えながら島に別れを告げた。