1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

種まく子供たち

2009-05-14 15:02:30 | Weblog
娘の病気が見つかる少し前、長女が本を買ってきた。
友達にすすめられてだったか、何かで知ったのか、もう忘れてしまったけれど。
それから間もなく妹に骨肉腫が見つかった。
なんという偶然。
娘が闘病生活に入ってから、私はその本を読んだ。
テレビや小説で、抗がん剤の副作用がすさまじいことは想像できた。癌の末期にどれほどの苦しさや恐怖が娘を襲うのかも想像の範囲を出ることがなかった。しかしこれから体験するであろう地獄から娘を守るために、その地獄がどんなものであるかを知っておきたかった。
無知は不安と恐怖を引き寄せる。
知ることで、少しでも不安と恐怖を取り除く方法を探したかった。

この本は小児がんと闘った7人のお子さんの物語である。
昨日、「再発」の最後に私が書いたことが、佐藤拓也くんの物語の中に出ていたのを思い出した。

でももしかしたら、いやたぶん、母がいなかったら僕は正月をむかえることができなかった。そう思います。母に今までずいぶんひどいことや言葉をかけてきたなあと思います。だから僕は母におわびの意味をこめて、長く生きていたい。母が年をとって亡くなるまでそばにいてやりたい。そう思います。僕の時間は終わった。あとの時間は借りた時間だと。それがどれだけありがたいことか。
 だから明日からは時間に流されないようにして、自分が死ぬときまでしっかりと生きたい。目標を持って‥‥。今はそう思っています。

16歳の少年が書いた文章である。
娘が亡くなる4か月前、私の誕生日に送ってくれたメールもここに残しておこう。

HappyBirthday
去年からいろんなことがあったね。お父さんが病気になって、うちまで病気になって大変だったけど、やっとここまで来たね。あとちょっとだね。みんなのおかげだね。まだまだずーっと迷惑かけるかも知れないけど、自分でできる範囲は頑張りたい。頑張るから。頑張れない(できない)ときは、その時は助けてね。

彼らは、もう立派な大人だ。

再発

2009-05-13 01:47:17 | Weblog
最近、「再発」という言葉を耳にする。
忌野清志郎さんも癌が再発して亡くなった。
癌から生還した人たちにとって、どれほど恐ろしい言葉だろう。

娘の闘病中、何度、天国から地獄へ落とされたことだろう。
上腕骨の腫瘍に対する1年間の治療計画を聞いて、親子で「頑張ろう」と決意した翌日、3か所に転移が見つかり「余命6か月」と宣告。
抗がん剤が効いて腫瘍が小さくなり始め、最初の手術の日取りが決まった、その途端、新たな腫瘍が見つかった。
手術が成功し、体力が回復して、次の手術の日取りが決まったとたん、また次の腫瘍が見つかる。
完治ではないが、希望の光が射したところに突然、暗い影...。
地の底まで落ちて、ようやく這い上がってきたところを又、奈落の底まで叩き落とされる。
泣いたり笑ったりの繰り返し。

完治し社会復帰してからの再発は、もっと衝撃が大きいのだろうと思う。
主人の大腸癌手術から4年が経過している。5年生存率70パーセント。
その4年の間に、娘が発病し亡くなった。
主人の心のうちは計り知れないが、時間は流れていく。

再発を怖がる気持ちは否定できません。でも、生還した時点からの人生は「もうけもん」。新たにもらった命。
そう思って大切に生きてください。



うれしい便り

2009-05-04 23:47:30 | Weblog
先日、お世話になった先生から研究の文献が届いたことをお知らせしました。
娘の笑顔を絵葉書にして、お礼の手紙を書いて送ったところ、もう一人の先生からお便りが届きました。
「・・・この笑顔を見ることができ、私たちの行った行為がつらい思いをさせたけれど、この笑顔のために役立ったのではないかと感じることができました。」
最初の診断どおり何もせずにあきらめて、ただ死を待つだけの日々であったなら、2年という日々を娘は生き抜くことが出来ませんでした。確かに度重なる抗がん剤の投与、3回の手術と苦しい闘病生活でした。でも、そのおかげで、かけがえのない日々を送ることができました。
幻の島での最高の笑顔。私たち家族の宝物です。