1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

16回目の誕生日

2008-09-25 08:10:03 | Weblog
9月24日はあの子の誕生日。
臨月に入った頃から、「下に下がっていて何時生まれてもおかしくない。」と言われて私の母は随分早く実家から出てきてくれた。
しかし待てども待てども、その兆候は現われない。
予定日も過ぎてしまった。待ちくたびれた母が一度実家に帰ろうとした時、陣痛が起こった。
その夜、上の子は42度の熱を出し、うなされていた。
「○○ちゃん、それ取っちゃダメ!」
「△△くん、そっち行っちゃダメ!」
夢のなかで友達と格闘していた。
そんな長女を残して病院へ。

平成4年9月24日午前7時51分。
3266gで生まれた。
足が大きく、「背が高くなるだろうな」と思った。
この時期、家の周りには赤とんぼがたくさん飛ぶ。
その朝うちのベランダの手摺に1匹のアキアカネが、とまっていた。

名前は「あかね」
「茜」という文字が好きだけど、苗字とカブるのであきらめた。
ひらがなの名前もいいかな。

もう16歳の誕生日とは言えなくなった。
でも16回目の誕生日ならいいんじゃない。


悲しい知らせ

2008-09-19 15:26:35 | Weblog
ミクシィに参加するようになってから、娘と同じ病気と闘っている人たちを遠くから応援させてもらっている。
つらい副作用に耐え、病気を乗り越え、1日一日を大切に生きている人たち。
命の重みを知っている人たち。

それなのに悲しい知らせは止まらない。
医学は進歩して、この病気は不治の病ではなくなった。
それなのにこの病気は命を奪うことを止めない。

でも、こうやって文章を書いている私だって、読んでいるあなただって
1年後、ひょっとしたら明日、生きていないかも知れない。

今日一日を大切に生きないと...

うた

2008-09-19 15:11:00 | Weblog
「うた」を変換すると
「唄」「歌」「唱」「詩」が出てくる。
「歌」はごく一般的に使われる。
「唄」は民謡・子守唄など日本のものに使われる。
「唱」は文部省唱歌という言葉があるように学校で子供に教えるにふさわしい「うた」
「詩」は詩(し)、歌詞を大切にしたいうた。
私の中ではこんなふうに使い分けをしている。

先日、友人が歌を届けてくれた。
1つは「ミネハハ」のCD。
1つは友人の知り合いが作られた曲が入ったMD。

ミネハハの透き通るような歌声。とても美しい声。
この友人は1年くらい前にもミネハハの歌を届けてくれた。
でも、その時はまだそれを受け入れる余裕が私にはなかった。
一度聞いてその曲をもう一度聞くことはなかった。
でも1年たった今、その声は私の心に浸み込んでいった。何度も何度も聴き返した。

もう1つのうた。
どこの家庭にでもある「クリスマス」の風景。
今は、そばにいない子供にサンタのプレゼントが届くことを願う歌。

どちらも素敵な贈り物でした。

ありがとう。


夢に出てきた

2008-09-10 08:24:20 | Weblog
あの子が亡くなってから、「夢でもいいから会いたい。」と切に願っているけどなかなか出てこない。
亡くなってから1年たった頃に一度、出てきた。

そのときの夢・・・

目が覚めると誰かが枕元に座っている。
見ると娘が笑いながら座っている。
「ほんもの~?」とか訳のわからないことを叫びながら
ぎゅっと抱きしめた。ひょっとして実体がなくて透けるんじゃないかと思ったが
しっかり抱きしめる事ができた。
「ちゃんと触れるんだ。」
それから横に寝ていた他の子供たちを起こそうとした。
「ほらほら、アカが帰ってきたよ。起きて。」
そう言いながら・・・目が覚めた。

それから半年たった今朝、また夢を見た。

娘は、こんどは戻ってきてしばらく一緒に生活していた。
ふつうに、当たり前に暮らしていた。
突然、口から紫色の玉を吐き出した。
次から次に出てくる紫の玉。
「やっぱり(この世で生きるのには)無理があるのかな。」

そこで目が覚めた。
夢は、やはり夢。訳がわからない。
あの紫の玉は何を現わしているのだろうか。

なんでもいいや。
また夢で会いましょう。

ぱく子が死にました

2008-09-04 13:35:42 | Weblog
先週ぱく子が死にました。
静かに眠るように息をひきとりました。
同じ部屋で仕事をしていて、ちょっと目を離した間に、息絶えていました。
病院でもらった療法食も前日から食べなくなり、シリンジ(注射器)で与えていました。
その日は、数日出ていなかったウンチもたくさん出たので一安心していたところでした。
翌日、娘を荼毘に付した火葬場に連れていきました。
動物なので、もっと粗雑に扱われるかと思っていたのですが、お線香を上げるところもあり、職員の方が「丁重に葬らせて頂きます。」と言ってくださいました。

雨の中、遺族の方がバスから降りてこられました。
あの日を思い出します。

火葬が終って骨を拾いに入った途端、目に入ったのはたくさんの金属片。
ステンレスの板、板、ボルト、ボルト、ボルト、ナット、ナット、ナット...。
「私が生んだ子はサイボーグだったのか」不謹慎にもそう思いました。
それほどたくさんの金属片が白い骨と共に転がっていました。
普通なら骨に変わってしまったことを悲しむのでしょうが、そこにいた誰もが悲しみを忘れました。

レントゲンを見ながら、先生に聞いた事があります。
「この金属板は、また手術で出すんですか?」
先生はこう話されました。

「お母さん、その日が来ることを祈りましょう。」