1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

去年のこと

2008-01-31 09:27:17 | Weblog
今日も去年の「今日」に思いを馳せています。

呼吸も浅くなり痛みも強くなってきていたので痛み止めの麻薬の量は増える一方でした。
その頃、病院に会いに来てくれていたのはごく親しい知人だけになっていました。
主人の妹や小さい頃から親子の様に接してくれていた友人たち。

娘がポツリと言いました。
「わがままかも知れないけど、しばらく誰も来ないでほしいと言ってくれない?」

せっかく来てくれたのに体がつらくて笑ったり話したり出来ない。不機嫌な自分を見せたくない。もうちょっと元気になったらきてほしい、と言うのです。

その頃、あの子が送ったメールです。

「夜会うのはあんまり嬉しくない・・・だってちょっとのあいだだけしかお喋りできない(/_;)会うんだったら昼間がいいなぁ(^_^)」

あの子は大人になっていました。

カウントダウンのこと

2008-01-28 16:18:49 | Weblog
今日、このブログを読んでくれている友人からメールが届きました。
「先週からブログが更新されていないけど落ち込んでいない?」

このブログをいつも読んでくださってる皆さんにも、きっとご心配をおかけした事と思います。
先週、最後のブログを書いてから、あの子の腕の感触が私の首筋に生々しく残っています。あの言葉が耳に残っています。
私たちの選択はあれでよかったのだろうか?ひょっとしたら間違っていたのでは?と問い返す毎日でした。
ブログを更新しようとパソコンに向かうのですが言葉が出てきません。
いったい私は何をしようと、何をしたいと思っているのかわからなかったのです。
でも、やっと言葉にする事ができました。
私は、あの子が逝った2月10日に向けてカウントダウンしているのです。
去年の1月27日は何をしていただろう?じゃあ28日は何をしていたのだろう?
こうやって2月10日まで去年の「今日」にタイムスリップしているのです。
そうすることでもう一度、あの子を身近に感じようとしています。

昨日、主人が沖縄の写真を整理していました。
前回と同じ「幻の島」の同じ風景。
でも今まで気がつかなかった事に昨日はじめて気がつきました。

あの子がいない風景。




頑固な性格のこと

2008-01-20 18:01:43 | Weblog
娘は頑固な性格でした。
小さな頃から「嫌なものは嫌」嚇そうが、おだてようがテコでも動きません。
治療中もそうでした。
先生の言われることは絶対で、「骨を丈夫にするために小魚を食べなさい。」
といわれると、魚の骨せんべいをボリボリと食べ続けます。「そんなに一気に食べなくても...」と言っても聞く耳持たず。
そのうち食べ飽きてしまって見向きもしなくなり「少しは食べたら?」と言ってもやはり聞く耳持たず。

前にもお話しましたが、病院には外泊日数制限があります。
一ヶ月に外泊できるのは5日。
その月はすでに5日外泊していたのでもう帰れません。
でも容態も悪くなってきていたので「これが最後になるかもしれない」という予感がしていました。
私「今週末は家に帰ろうか?」
娘「もう5日外泊しているからダメ!」
私「先生、大目に見てくれるよ。」
娘「絶対にだめ!」

病院の消灯時間は9時。
その頃は、9時に飲んだ痛み止めが効き始めて眠くなるまで側に付いていたので
私が帰るのは10時頃になっていました。看護婦さんも見て見ぬ振りをしてくれていました。

私が帰るときは、唯一動かせる右腕を私の首に巻きつけて「おやすみなさい」を言います。
その日ポツリと言いました。
「帰りたい。」

パジャマのこと

2008-01-20 16:44:49 | Weblog
入院しているとおしゃれをすることもありません。しいて言えばパジャマにこだわる事くらいでしょうか?
パジャマは綿100%。柔らかい素材を選びます。縫い目も綿テープで押さえて肌に当たらないようになっています。
ピアノの先生に頂いた「私の部屋」のパジャマがお気に入りでした。
そればかり着ているので洗濯が追いつきません。
「私の部屋」に行ってパジャマを買占めました。
黒、グレー、白地にカラフルな小花が散らしてあり共布のフリルが付いていました。
綿ジャージでしたので薄手で柔らかく寝たきりの娘には心地よかったのでしょう。
写真のパジャマは入院当初に着ていた物ですが、結構気に入っていたのにある日突然「これは着たくない。」と言い出しました。
理由がわからず不思議に思っていましたが、数日後その理由が判明しました。
病院内の売店に行った時です。

初老のおじさんがこれと色違いのパジャマをきて向こうから歩いてきたのです。

あかね農園のこと

2008-01-16 17:19:23 | Weblog
去年の初夏のこと。
仕事にも本格的に復帰し始めた頃です。
現場で仕事を終え、ふと前をみると「あかね農園」という看板が目につきました。
トマトとイチゴを作って、そこで販売している農園でした。
「時期的にイチゴは無理かな。」と思いトマトでも買って帰ろうとウロウロしていたのですが誰もいません。「無用心だな。さすが田舎。」とかブツブツ言いながら帰ってきました。

そして今日。
同じ現場で仕事が入ったのですがイチゴのことはすっかり忘れていました。
現場に着いてから去年の事を思い出し、農場にそうっと近づくと
「アキヒメの予約は1月19日から」と書いた紙が無造作に張ってある。
「タイミング悪いなぁ」と帰ろうとしたとき、奥からゴソゴソ音がする。
のぞいて見ると、おばあちゃんがさっき摘んできたばかりのイチゴを箱に詰めているではないか!
やったー。
私「すいません。イ、イチゴ下さい。」
おばあちゃん「何箱?」
私「・・・4箱下さい。」たしか昨日買ったイチゴがまだ冷蔵庫に...。ま、いいか。

こうして我が家はイチゴ屋敷となったのです。

娘の名前は「あかね」


福祉タクシーのこと その後

2008-01-14 09:58:46 | Weblog
先日、長女の自動車運転免許の受講手続きに行ってきました。
ついでに「普通2種免許」の詳細を聞いてみると、料金は約23万円。おまけに2週間
朝から晩まで缶詰状態だそうです。
「普通2種を持っていると尊敬されます。」と受付嬢。それほど難易度の高い免許らしいです。
そういえば以前コメントで、インクルさんが「免許取得時には運転のプロになっているよ」とおっしゃってましたっけ。
まだまだ家計は苦しいし、仕事だってそんなに長く休めないし...。
でも年齢的にもタイムリミットが近づいている気がするし体力がなければお客様をお運びすることもできない。

先日、久しぶりに「福祉の足」のおじさんとお話したときのこと。
「○○さんも先月で引退されましたよ。」
個人で福祉タクシーをされていた女性です。「福祉の足」に先約があった時に紹介して頂いたのですが、いつも綺麗にされていて品格のある方でした。たぶん60歳は超えておられたと思います。

免許だけでもとっておいたほうがいいのかなぁ。
いろんな願いをかけて買った宝くじは7等3千円。
「まじめにコツコツ働け。」ということかな

さんご礁のこと

2008-01-12 10:15:43 | Weblog
一昨年、沖縄に行ったとき、娘と約束した事があります。
「今度来たら、魚に会いに行こうね。」

私は水が苦手です。持病もあって呼吸困難に対する恐怖が強いのです。一度おぼれた事もあって足の着かない所で泳ぐなんてもってのほか...。
でもあの子との約束です。
ホテルに着くなり「シュノーケリングの体験コースをお願いします。」

次の日、船に乗りシュノーケリングスポットへ。
真っ白な海底のところどころに黒いかたまりがポツポツとある。
どうやらその黒いかたまりがさんご礁らしい。私は大きな勘違いをしていた。さんご礁は白くてきれいな所だと思っていた。白くてきれいだと思っていたのはサンゴの死骸だった。

スポットに着くとさっそくウエットスーツに着替えマスク・スノーケル・フィン(足ひれ)を着け海中へ。
さんご礁まで1.5mなので立てば足がつくけど立ったら珊瑚を踏み潰してしまうので立たないよう指導される。
「浮き」にすがりつきながら海中を覗くと、まるで映画の世界。
きれいな色の魚が目の前を通り過ぎていく。向こうのほうにはあの「ニモ」がいる。夢中になっているうちに恐怖はすっかり消えていた。
一緒にもぐった息子は、たしか学校のプールでは泳げなかったはずなのに魚のように体をくねらせながら泳いでいる。彼も魚に夢中だ。水中カメラで魚を追いかけている。

あっという間にシュノーケル体験コースは終わってしまいました。
「次はダイビングだね。」と息子と話しながら帰ってきました。

あの子がいなければきっと沖縄に来ることもなかったし海にもぐるなんてこともなかったでしょう。

すばらしい贈り物でした。


ミクシィ mixi のこと

2008-01-10 12:10:37 | Weblog
ミクシィって聞いたことありますか?
私がミクシィの存在を知ったのは去年の夏。
下宿で一人暮らしをしている娘が貧血で倒れたことを、娘の幼馴染のお母さんが知っていらっしゃったのです。親の私でさえ聞いたばかりだったのに...。
思わず「どうして知ってるの?」と聞いてしまいました。
ミクシィという掲示板のようなものがあって「娘が書き込んだコメントをそのお嬢さんが読んで、お母さんに話した。」という事だったのです。
そのときはミクシィは「若者の交流の場」くらいに考えて気にもとめませんでした。その後、このブログを始めたころに友人が「ミクシィを始めれば?骨肉腫に関するコミュニティもあるよ。」と教えてくれました。
とりあえず紹介してもらってホームページを持ったんですが、テンポの速さに戸惑いそれっきりになっていました。それにコミュニティには今、現在病気と闘っている人や治療を終えたばかりの人が元気なコメントを残されていました。私のように娘を亡くした者の体験など、かえってその方たちに恐怖と不安を与えるのではないかと思ってしまいました。それで敢えてそのコミュニティには参加せずに遠くから見つめていようと決めたのです。
ときどき、皆さんのコメントを見せていただいたりしていたのですが、手術で人工関節になったり足を切断されたお子さんのお母さんが今後のことを心配されているコメントを見て、ついメールを送ってしまいました。
病気が発覚してどん底に突き落とされて死の恐怖と闘う。そのときは生き残ることだけを祈ります。治療が功を奏し死の恐怖から遠ざかる事ができると、それ以上のことを望みます。それが人間です。その時、「自分が他の人と違うこと、不自由な生活を強いられること」を嘆かないでもらいたかったのです。「今、生きている」事が素晴らしいことなんだと胸を張って生きて行ってほしいな、と思ったのです。

でも、その心配は無用でした。
そこには強く元気に生きている仲間がたくさんいらっしゃいました。
やはり私は遠くから見守ることにします。

輪廻転生のこと

2008-01-08 15:21:40 | Weblog
死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを輪廻転生と言います。仏教など東洋思想で知られていますが古代のエジプトやギリシャなどでもあり、輪廻転生観が存在しないイスラム教でも、アラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持っているそうです。

チベット仏教の教えによれば、すべての生きとし生けるものは輪廻転生すると考えられている。輪廻転生とは、一時的に肉体は滅びても、魂は滅びることなく永遠に継続することである。我々のような一般人は、今度死んだら次も今と同じように人間に生まれ変わるとは限らない。我々が行ってきた行為の良し悪しによって、六道輪廻(神・人間・非神・地獄・餓鬼・畜生)のいずれかの世界に生まれ変わらなければならないのである。例えば現在、人間に生まれていても、次の生は昆虫・動物・鳥などの形に生まれ変わるかもしれない。しかし、悟りを開いた一部の菩薩は、次も人間に生まれ変わり、すべての生きとし生けるものの為に働き続けると信じられている。

昨年、私が住んでいるマンションで娘も含めて4名の方がお亡くなりになりました。
でも数日前、このマンションに新しい命が生まれました。私の姪も3月の始めに
出産の予定です。命のバトンは確実に受け継がれています。
もし生まれ変わりがあるとすれば娘もまたどこかに生まれてくるのでしょうか?
あれほど立派に生き抜いた彼女です。きっと、また人間として生まれてくるでしょう。
前世のことを覚えて生まれてくることがあると何かのテレビで言ってました。
あの子が生まれ変わった人とすれ違うことがあるかも知れません。

楽しみにしていようっと。


障害者手帳のこと

2008-01-08 15:02:43 | Weblog
娘は1級の身体障害者手帳を持っていました。
人工関節置換術を受ける患者さんは、多くの場合医療福祉の対象となります。娘の場合、右腕と顔しか動かせなかったので1級になりましたが障害の程度により級数が決まります。普通は退院時に担当医に書類に記入してもらい市区町村の保健福祉課や福祉事務所で申請を行います。しかし娘のように退院の見込みがなかったり、退院時に必要な車椅子、介護用ベッドなどを購入しようと考える場合、早めの申請がよいと思います。
申請を行なってから、障害者手帳が発行されるまで時間がかかりますし、その後、介護用品購入の申請、許可が下りるまでも時間がかかります。
娘のルームメイト(病室のおばさま達)は人工関節置換術のベテランばかりで、すでに障害者手帳を持ってみえました。「映画はいつでも千円で見られるんだよ。万博も待たないで入れるし...。」という話をよく聞いていたので娘も抵抗なく障害者手帳をもらう事ができました。「ディズニーランドへ行っても並ばなくていいね。」結局ディズニーランドへは行けませんでしたが、介護ベッドやマットの購入、介護タクシーのチケット、飛行機の運賃など利用させて頂きました。小児慢性特定疾患医療給付で医療費はかかりませんでしたが、駐車場代、タクシー代、食費など目に見えない出費はかさみますのでとても助かりました。
「障害者」という言葉に抵抗を覚える方も見えるかもしれません。
「娘は嫌がるのでは?」と心配もありましたが同室の元気な先輩方のおかげでその心配も消えました。

一度相談されてはいかがでしょうか?