1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

医療費

2010-11-27 07:37:40 | Weblog

癌や腫瘍の治療には多額の治療費がかかる。

もちろん申請すれば、治療費の一部が返ってくる制度がある。高額療養費制度である。

高額療養費制度とは、長期入院や治療が長引く場合などで、1か月の医療費の自己負担額が高額となった場合に、一定の金額(自己負担限度額)を超えた部分が払い戻される制度(原則、申請することにより払い戻される)。

ただし、差額ベッド代や、食事療養費・入院時生活療養費などの自己負担額は対象にならない。 また、1か月とは1日から末日までのことで、自己負担額とはレセプトごとに計算され、

通院時と入院時に支払った費用なども、別々に限度額を超えている必要がある

その負担限度額は一般的な家庭で80,100円+(医療費-267,000円)×1%で計算された額となる。

しかし、これは後で申請して戻ってくるもので、一旦は多額な治療費を支払わなければならない。

特に子供が癌や白血病になってしまった場合、その治療期間は長く、多額な医療費の負担は家庭崩壊にもつながっていた。

そこで登場したのが小児慢性特定疾患医療給付制度である。

 県がその医療費等を公費で負担することにより、小児慢性特定疾患の治療を推進し、医療の確立と普及を促進するとともに、子どもとその家族の負担軽減を図っている。

病名が確定された時、病院側からその制度を知らされたが、親はそれどころではない。

しかし入院して、いくつかの検査を受け、抗がん剤治療を1クール行った後、もらった請求書の額を見て驚いた。100万円近い額だった。

娘は3回手術をしているが、その請求書には「4,370,000」の数字。えっ?0がひとつ多すぎない?

10クールに及ぶ抗がん剤治療、3回の手術、入院費、その他もろもろ。どれほど税金にお世話になったかわからない。

 

せっせと働いて、借りを返さなきゃ。


決行

2010-11-24 10:55:13 | Weblog

ようやく「小浜島に行ける」確信が持てたので、娘に旅の計画を打ち明け、

それと同時に、主治医にも「沖縄に行きたい。」旨を申し出た。

先生達からの言葉は意外なものだった。

「どうして、僕たちの意見を聞かずに先に計画を立てるのですか?」と叱られた。

看護婦さんたちの意見も同じだった。

行けるかどうかわからない漠然とした旅のことをどうして聞けるのか?

「こうなったときはどうする?ああなったときはどうやって切り抜ける?」そう聞かれたときに確かな答えがなければ先生たちだって許可が出せない。

私は、そう考えていた。しかし、結果は先生たちを裏切ったことになってしまった。

最終的に、主治医のW先生は「医者としては、とても行かせられない。しかし、親としては行かせてやりたい。」そう言って、

「最悪の事態になったときは、『延命処置はしない』というお気持ちでよろしいですね。」と島の診療所のドクターと連絡を取ってくれた。

そして離島の診療所でも、いつもと同じ治療を受けられるように、点滴の機材・抗生剤・消毒の機材を持たせてくれた。

一番若い熱血先生のI先生は結局最後まで反対だった。

婦長さんも「上空は気圧の変化が大きい。肺に腫瘍がある患者には危険だ。」と止められた。

結局、病院側とは「病院は許可できないということで、一旦、退院して親が勝手に連れて行った。」ということで落ち着いた。

今思えば、亡くなる2か月前だったのだから、病院がそう言うのも無理がないことだった。

私も、ホテルの部屋に着くまでは、この旅が決行されたとは思っていなかったのだから...

いろんな人達の協力で、物理的に旅は可能になったが、この頃、娘は一日おきに高熱を出していた。

眠っていると思ったら、突然、ベッドが揺れ始める。娘の体が大きく震えているのである。急激な体温上昇が、ガタガタとベッドを揺らす。

看護婦さんに電気毛布を借りて体を暖める。30分ほどで体の震えは止まる。

こんなことを繰り返していたので、出発の日の朝、熱が出たら旅は中止になる。タクシーの中で、飛行機の中で、空港で、船で、ホテルで、何が起こるかわからない。

何かが起きれば、旅はそこで終わる。娘はあの部屋にたどり着くことができない。

しかし、娘は病院に帰り着くまで、熱を出さなかった。

娘と私たちの夢は、かなった。


予測不能

2010-11-22 18:43:55 | Weblog

大概のことは予測できたが、細かいことは見逃しがちである。

 石垣まで飛行機に乗れることになり中部国際空港や那覇空港では、何の問題もなかった。大抵の空港の搭乗には、建物から直接飛行機に乗り込めるブリッジ方式が採用されているが、石垣空港は、タラップを登って飛行機に乗り込まなければならない。娘を飛行機に乗せるには、担架に移して4人がかりで階段を上る必要がある。消防法によると、担架に人を乗せてタラップを昇り降りできるのは消防士さんだけで、一般人にはできないらしい。実際に行ってみないと状況が分からないと言われていたのでドキドキしていたら、消防士の方が4人来て娘を運んでくれた。「わざわざ、このために集まってくれたんだ。」と思うと感謝で胸が熱くなった。帰りの搭乗には、荷物運搬車が用意されていた。この車は荷台がエレベーターのように上下するので娘は車いすのまま飛行機に乗り込むことができた。

私たちは何気なく暮らしているが、障害を抱えた人にとって不便な事は沢山ある。

あの子が亡くなったいまも、車いす目線で見ている私がいる。


感謝

2010-11-21 01:07:04 | Weblog
問題は、まだまだ山積みだった。
石垣のホテルイーストチャイナシーにはバリアフリールームがあり、リクライニングする介護ベッドが置いてあったが、
褥瘡用のエアーマットがなかった。特に娘が使っている重症者用マットはどこにでもあるものではなかった。
また「はいむるぶし」には介護ベッドもなかった。
介護ベッドの方は、Hさんが紹介してくれた「介護の店」で手配してもらった。わざわざ石垣から小浜島まで、船でベッドを運び、組み立ててくれた。
エアーマットに関しては後日談があるので、またの機会に。
 
娘は毎日、抗生剤の点滴と褥瘡の消毒が必要だった。
滞在には土曜、日曜がかかっていたので病院が休みでは困る。
また、ホテルから病院までの移動はどうするのか。
もちろん、小浜には介護タクシーなんてない。
途方にくれて、ホテルに電話を入れた。
「この島には、診療所があります。送迎はホテルのワゴン車でいかがですか?」
診療所の電話番号を教えてもらい、医師に連絡した。
事情を話すと、快く引き受けてくださり、土日も診てくださることになった。

みなさん、ありがとうございました。心から感謝しています。

一難去ってまた一難!

2010-11-20 00:52:50 | Weblog
これで石垣島まで行ける。
当日の搭乗機が飛ぶ他の路線との兼ね合いで、沖縄空港で3時間待ち時間があった。その分、車いすに乗っ
ている時間が長くなる、それが気がかりだったが、それ以上の問題が発生した。
石垣到着が20時30分。前もって探しておいたタクシー会社の営業は17時で終わる。事情を話したが、
「運転手がいない。」と断られた。ほかにタクシー会社はなく、どうしようもなかった。
一番近いホテルでも、車で8分。車いすでは30分以上かかってしまう。
「やはり無理か!」
予約していたイーストチャイナシーホテルに宿泊キャンセルのメールを入れた。

その3日後、ホテルの予約係のHさんからメールが届いた。
「事情をお聞きした後、何か方法がないかと探しました。福祉用品を扱っているお店が、福祉車両を持っていて乗せてくれるそうです。」

Hさんのおかげで、また道がつながった。

プライオリティゲストサポート

2010-11-16 19:42:43 | Weblog
さっそくJALのプライオリティゲストサポートに電話をかけた。
「車椅子の娘を連れて小浜島まで行きたい。」と希望を伝えると
「お席を手配いたしますが、実際に乗っていただけるかどうかは出発の2,3日前までわかりません。」とオペレータの返答。

車椅子といっても娘の場合、寝たきりで座席に座ることができないためストレッチャーが必要だった。
ストレッチャーは、担架のようなベッドで、座席の背もたれの上の高い位置に取り付け体をベルトで固定する。
ストレッチャー1台は座席約6席分。朝、ストレッチャーを取り付けた飛行機は、その日ストレッチャーを付けたまま飛ぶので、実際の利用便だけでなく、その機材の運航に関係するほかの区間にも座席の確保が必要となる。
たとえば、当日その飛行機が中部国際空港→那覇。那覇→羽田。羽田→釧路と運航する場合、その3区間すべての便で6席を確保する必要がある。
那覇行きで席が確保できても、那覇→羽田便で席が取れなければストレッチャーを取り付けることができない。
中部国際空港から那覇まではJALの飛行機が飛ぶ。JALの場合、出発の3週間前には席の確保ができるらしい。しかし、那覇から石垣に飛ぶ飛行機は日本トランスオーシャン航空なので、
出発の2,3日前にしか席の状況がわからないというのである。
今回の旅の事情を話すと、オペレータのMさんは申し訳なさそうに「JALの手配なら、私達にも何とかできるのですが、トランスオーシャン航空のことはどうしようもないんです。」と言われた。
とりあえず、希望の日程を伝えて電話を切った。

楽しみにしている旅が、2日前に中止になるかもしれない。
娘は悲しむだろう。残された日は、わずかだった。
あの部屋はあきらめて、沖縄本島に変更したらどうだろう。
そう思って、沖縄本島のホテルを探した。
海に面したホテルは沢山あったが、部屋のベッドから海が見えるホテルはなかった。
それでも行けないよりはマシだろうと決心して、JALプライオリティゲストサポートに電話をかけた。
オペレーターのMさんに、「小浜はあきらめて、沖縄本島にしようと思うんですが」と伝えると
Mさんは強い口調で「お母さん、あきらめないでください。私たちもできる限り頑張っています。きっと、小浜島にお嬢さんを連れて行けると信じましょう。」

それから数日後、Mさんから電話があった。「席が確保できました。小浜島に行けますよ。」
それは出発の3週間まえだった。

旅の始まり

2010-11-16 07:42:15 | Weblog
雑誌の1ページから始まった旅。
「当然行ける」ものだと思っていた。
近くの旅行会社に行き、「車椅子で小浜島へ」と伝えた。
受付の人が検索してくれると「車椅子に対応しているのはJALだけですね。
そしてここでは受付ができないので、こちらでご相談ください。」と言って
教えてくれたのがJALの「プライオリティゲストサポート」だった。
呑気な私は、この先の煩雑な手続きを予想することができなかった。

海がみえる部屋

2010-11-04 08:58:00 | Weblog
小浜島のはいむるぶしには部屋が3タイプある。
ガーデンヴィラ・スーペリアヴィラ・ラグジュアリーオーシャンヴィラ。
娘と過ごした部屋はラグジュアリー。
小浜行きを決めた、あの雑誌に写っていた部屋である。
南面の壁一面が窓。ベットに寝たままで海が見える。
一昨年までは、この部屋に泊っていたが、料金が高い。
毎年、厳しい経済状態の中で小浜に行っている我が家。部屋をワンランク落として、その差額を来年の旅に残そうと、昨年はスーペリアにした。
スーペリアも素敵な部屋である。少し遠くなるがバルコニーから海がみえる。
「これで十分。幻の島に行ければそれでいい。」そう思っていた。
今年もスーペリアで予約をとってあった。
しかし、出発まであと1カ月となった昨日、部屋を変更した。
一年かかって「ここじゃない」と気が付いた


やっぱりここじゃなきゃ、ね。