1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

免疫療法のこと

2007-11-08 16:51:27 | Weblog
免疫療法は自分の血液を採取して血液の中のガンに対する免疫力を科学的に高めて、体内に戻すという方法です。資料を見ていると2年前と比べて随分進歩したように思われます。
最初の病院で治療断念を告げられた後、いろんな治療法を探しました。そのとき出あったのが免疫療法でした。病院に連絡を取り、娘の病状を話すと「骨肉腫の場合、症例がほとんどなく効果があると申し上げられません。」
もし治療を始めるなら100万円を用意するよう言われました。
先日見た資料には骨肉腫に対する項目もありましたので症例が出できたのでしょうか?「1回21万円から」と表示されていました。
今日の新聞に「混合診療の全額負担は違法」と東京地裁が判決を下した記事が載っていました。「清郷さんという男性が腎臓ガン治療のため活性化自己リンパ球移入療法という治療を受けておられた。」とありました。これも免疫療法のひとつです。
活性化自己リンパ球移入療法とは、がん細胞を攻撃するTリンパ球を体外で活性化した後、体内に戻す非特異的細胞免疫療法で、元来、肝臓がん術後の再発予防に効果が認められるとして始められた治療法です。しかし現状では未だ十分な抗腫瘍効果は認められていません。今後更なる抗腫瘍効果を目指したより特異的な特異的活性化自己リンパ球移入療法、樹状細胞療法、がんワクチン療法などへのシフトが進んでいます。
リンパ球の体外での活性化等、費用がかさむため自己負担は家計に重くのしかかります。早く抗腫瘍効果が認められ保険診療となることを願っています。



東京公演のこと

2007-11-08 05:59:31 | Weblog
お医者様や看護婦さんのひんしゅくを買ってしまった沖縄旅行。この旅行に出かけるきっかけになった東京公演のことをお話しましょう。
娘が亡くなる4ヶ月前、肺に腫瘍が目立ち始めた頃です。
今まで使っていた薬が効かなくなり、最後にシスプラチンとカフェインを併用する治療を始めました。この治療については改めてお話します。
このときの副作用は大変過酷なものでした。本当は間をおいて2クール行うはずでしたが、1回目の投与で体力を激しく消耗したこと・効果が見られなかったことで1クールで終わりました。
娘はこの治療のために、体調を崩していましたし、股関節の脱臼、床ずれの悪化のため精神的にもまいっていました。
毎日笑顔もなく、ただ憔悴していく娘を見ていて「これではいけない。何とかしなくては。」と思っていました。そのとき、岡本真夜さんの東京公演があると知ったのです。
娘が治療を始めた頃、私の友人が岡本真夜さんの曲を娘に聞かせてくれました。
その曲に励まされながらつらい治療を乗り越えてきたのです。
公演は東京10月、名古屋2月でした。名古屋なら介護タクシーで運んでもらえば簡単に行けそうでしたが母親の直感で「2月には行けないだろう」と思っていましたので、なんとか東京まで連れて行こうと決心しました。
幸い公演会場は東京駅から歩いていける所でしたので後は新幹線です。
新幹線には車椅子の人や、妊婦、体調のすぐれない人のために「多目的室」があります。車椅子のまま付き添いと一緒に入る事ができる畳1畳分くらいの部屋です。
娘の場合、車椅子を平らにして入るのでぎりぎり一杯でしたが何とか入りドアを閉める事ができました。
あとは部屋を出てから、帰ってくるまで8時間、車椅子で寝たきりに娘が耐えられるかどうかです。
行きは順調でした。JRのスタッフの方も本当に良くしてくださいました。新幹線を降りてから会場近くまで車椅子を押して案内して頂きました。
エレベーターが狭いため、車椅子が乗るかどうかハラハラしたことも何度かあります。
会場に着くと車椅子のファンが何人かいらっしゃいました。娘と同じように岡本さんの曲に励まされて闘っているのでしょう。

公演が終わったときには、病院を出てからすでに5時間たっていました。これまで車椅子に乗っている時間は長くて1時間。公演に行く事が決まってからはなるべく長く乗っていられるように自分で練習をしていましたが、こんなに長く座っていたことはありません。
帰りの新幹線に乗ったとたん「痛い」と言い始め先が思いやられました。
そのとき下の息子が多目的室に入ってきてくれて娘も気がまぎれたのでしょう。なんとか帰り着くまで持たせる事ができました。
この旅行も最初は先生や看護婦さんに反対されていました。白血球が減っているので、感染しやすく人ごみに出ることは危険でした。
でもこの公演に行けた事で自信が持てました。娘の顔に笑顔が戻りました。「沖縄に行こう。」なんて無謀なことを企めたのもこの公演のおかげです。