1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

もうすぐ3年

2010-01-27 21:52:24 | Weblog
あと少しで、また2月10日がやってくる。
「もし、あの子が生きていたら?」と考える。

最後の手術をする前に、先生が話された事。
「蝶骨の手術をすると、まっすぐに歩くことが出来なくなります。」
「ヒョコタン、ヒョコタン」という表現が一番近いと思う。そういう歩き方になると
「娘がショックを受けるのでは」と先生は心配された。
すでに肺に転移が見られ、生還の可能性はほとんどない一か八かの手術だったが
先生も親も治った時の娘の精神面を気遣っていた。
手術が終われば、退院して、リハビリを頑張って、学校に通って...
と、希望にあふれていた娘だったが自分が歩く姿を想像したことがあっただろうか。
死の淵から戻った時は、きっと、それだけで幸せだろう。
しかし、その後、生きていくのは難しい。
以前のようには暮らせない。抗がん剤の後遺症はどうなんだろう。子供は持てるのだろうか?
などなど、心配の種は尽きない。

今年は何をして2月10日を迎えようか?

2月20日

2010-01-17 01:14:36 | Weblog
3年前、2月20日に名古屋でライブがあった。
娘が大好きな岡本さんのライブだった。

年末から容態は悪化し2月の頭から酸素吸入を始めた。
「ライブに行きたい」と病院に言えば、絶対反対されるだろう。
幻の島に行った時のように一旦退院して、親の我儘で連れて行くしかない。
それでも「絶対行く!」
「福祉の足」のおじさんの車に乗って、彼女に会いに行く。
そう誓って、一日一日指を折って数えていた。チケットも買ってある。
彼女のライブは、車いすのファンが多い。娘と同じ様に、彼女の人柄と歌に励まされている。

「あと10日」という日に、その夢は絶たれた。
2月20日娘は写真になってライブに参戦した。
その写真が彼女の目に触れて涙で歌えなくなることが心配で、写真を目立たないように
持っていた。後で考えると、プロの彼女には無用の配慮だった。
彼女の選曲・歌すべてが心にしみ込んでいった。涙が止まらなかった。

わたしは彼女のライブに、2回しか行った事がないのでわからなかったが
何度もライブに行っている友人は「いつものライブとは違った」と言ってくれた。

帰り道、スタッフの方から渡された色紙には娘へのメッセージが書いてあった。

あと10日、たった10日...