1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

外出

2010-08-22 10:59:24 | Weblog
介護用品に話が飛んでしまって...。
本筋に戻ります。

さて、例の車イスの出現で可能になった外出。
福祉の足のおじさん(以前の記事に出てくる福祉タクシーのおじさんです。)に乗せてもらって、いざバーベキューへ。
昔からの顔見知りのおばさまたちと楽しいひと時を過ごしました。
実は、この時のバーベキューが後に「縁」を結ぶのです。
この時、同じ空間で時を過ごしたことで、皆さんが娘を身近に感じて下さり、お別れの会のお手伝いを買って出て下さいました。
娘を失った悲しみの中で、皆さんの好意がどれほど救いになったことか。
本当にありがとうございました。

この外出がきっかけで、娘は外へ目を向けるようになりました。
これが岡本さんのコンサート・小浜の旅への始まりです。

しびん

2010-08-16 01:57:48 | Weblog
小浜への旅に欠かせなかった物がもうひとつあります。
それは尿瓶(しびん)です。
大抵の方は「しびん」という名前とその形は御存じだと思います。言い方を変えると手持ち式収尿器でしょうか。
寝たきりの患者さんにとって排尿・排便が快適かどうかは深刻な問題です。
娘の病院で使っていた尿瓶は、採尿部と蓄尿部が一体となった、ごく普通のものでした。
この形では、女性の場合、どうしても漏れやすくなります。シーツまで濡れることも度々ありました。看護婦さんは「もっと改良されると良いんだけどね。」と申し訳なさそうに話しながらシーツまで取り替えて行ってくれます。しかし、中にはしっかり確認せずにそのまま放置していく人もいました。その人が夜勤の場合、患者さんは朝まで不快なままで過ごさなければなりません。
そういった状況でしたので、素人の私が上手く採尿できるか気がかりでした。外出先で車イスや衣服を濡らしてしまったら(着替えることも困難だったので)大変です。
そんな時、みつけたのが採尿部と蓄尿部が別々に分かれたタイプの物でした。
さっそく取り寄せて使ってみると、漏れることがありません。
コンパクトなので携帯にも便利でした。
病棟にもそれを持ち込み、それを使ってもらうようにお願いしました。

病院は今もあの尿瓶を使っているのでしょうか。改善されているといいのですが...。


介護用品

2010-08-11 07:35:06 | Weblog
車イスのおかげで彼女の生活は変わった。
それともう、ひとつ彼女を救ってくれたのがエアーマット。

2回目の手術のあと体位を変えることができないため褥瘡(床ずれ)ができた。
病棟にはエアーマットが一つしかないらしく、「ごめんね~。今おばあちゃんが使ってて、もう少ししたら空くからね。」となかなか順番が回って来なかった。
やっと回ってきた時には、おしりに大きな穴が開いていた。
床ずれとは、「体重の集中する部位の骨と寝具に挟まれた皮膚組織が圧迫され、血の流れが
悪くなり、皮膚やその下にある組織が死んでしまう外傷」のこと。
床ずれは、表面から見えない内部組織のダメージが発生初期には目では確認できないために、キズ(創)の状態が急速に増悪することがある。
娘の場合も、「少し赤くなっている」状態から、5センチの穴になるまであっと言う間だった。
エアーマットが来て少し楽にはなったが、痛みから解放されることはなかった。
シーツの小さな皺一つでも、痛みの原因となる。看護師さんにも皺を伸ばしてもらうよう度々お願いした。
それから、外泊の時も快適に過ごせるようにとエアーマットをレンタルすることにした。業者さんが「患者さんの様子を伺いたい。」と病院に来て、症状を聞いてくれた。
「このマットは床ずれ予防のためのマットです。すでに床ずれがおきてしまっているお嬢さんには適切ではありません。」
驚いた。エアーマットにそんな段階があるなんて、看護師さんも知らないんだろうか。
病院に言ってもおそらく対応してくれないだろう。
自分で動くしかない。床ずれ対応のエアーマットを二つレンタルし、病院と自宅に置き
痛みは軽減された。
「知らない」ことは悲しいこと。病院の対応が最良だと患者側は信じている。それ以上の対策がある事を考えようともしなかった。

適切な道具を使うことで、療養生活も少しは快適になる。


過去への旅

2010-08-10 00:25:10 | Weblog
今から過去への旅に出かけます。よろしければ御同行下さい。

幻の島への旅の始まりは、その夏のバーべキューだった。
毎年、夏になると昔の生協班の仲間でバーベキューパーティが開催される。
会場はこのマンションから唯一、一軒家に引っ越して行ったHさん宅。
誰かが「あかねちゃんもいらっしゃい。」と声をかけてくれた。
娘は褥瘡(じょくそう)のせいで同じ姿勢で寝ていることができなかった。数分ごとに体を起こしたり寝かしたりしないと痛みを我慢することができない。
ちょうどその頃、市の福祉センターで「車イスを貸してくれる」と聞いて相談に行くことにした。
普通の車椅子は、座ることができない彼女には使えない。かといってストレッチャーでは、固定されてしまって痛みを散らすことができない。
福祉センターに着くと車イスがずらりと並ぶ部屋に案内された。
そこに、あの車イスがあった。

そう、この車イスとの出会いがその後の彼女の人生を変えたと言っても過言ではない。

回想

2010-08-05 06:11:13 | Weblog
毎回「小浜行き」が決定すると回想が始まる。

「治療を頑張った御褒美に、退院したらみんなでどこかに行こう。」
その一言から始まった。
友人Rが持ってきた旅行雑誌。その中の1ページに、その部屋は写っていた。
部屋の壁一面が窓。その向こうに美しい海が広がっている。
部屋に寝そべっていても海が見える。
「ここに行きたい!」
その一言で決まった。
あの子の中では、翌年の3月には治療が終わって退院。4月から中学に通う。そういうシナリオができていた。だから、沖縄には翌年の夏に行くつもりだった。
でも、本当は腫瘍が全身に転移していて、残された日はわずかだった。
「お姉ちゃんが大学に行ってしまうから。」「夏は旅行費用が高いから。」とか理由をつけて予定を早めた。
それまで暗くなりがちだった娘の表情が明るくなった。

こうやって回想するために毎年「幻の島」へ行くんだろうな。
「過去」へ旅をするために。

明るいニュース

2010-08-03 19:24:10 | Weblog
今年も「幻の島」に行ける!

ここのところ家計は火の車で、「小浜には行けないかも」と思っていた。
「行けないかも」より「絶対行けない。」の方が近いくらい、あきらめかけていた。
「行かない。」という結論を出すのが恐くて、その話を避けていた。
しかし、ここ数日がタイムリミット。
主人に相談し「毎年、行かなければならないと思わなくてもいい。今年は諦めるか?」という言葉が返ってきた時、自分の気持ちがはっきりわかった。
「行かなければ」ではなく「行きたい」。12月初旬、ここ(家)にいる自分が想像できない。
きっと、悶々として、鬱々として、がっかりして、後悔して、周りに当たり散らしていただろう。

来年は行けないかもしれない。
来年のことは来年考えよう。

目の前に人参がぶら下がった。しばらくは元気に頑張れる。
一日電話の前に座って、安いツアーを探してくれたRに感謝!