1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

おかえり

2008-03-19 08:07:17 | Weblog
昨日、中学校に娘を迎えに行きました。
校長室に飾ってあった写真と卒業アルバムを受け取りに...。

いました、いました。
校長先生の机の横で笑っていました。
校長先生が「この笑顔に救われました。むずかしい年頃の子供たちにどう対処してよいか悩む日々です。この机に戻ると彼女の笑顔にホッとさせられました。」と話されました。

感謝の気持ちを伝えるために色々な言葉を考えて行ったのですが、役には立ちませんでした。言葉を発しようとすると涙が出てきて声になりません。
ただただ頭を下げ続けるだけでした。
こんなことでは、まだまだ病院に近づけないなぁ...。

「おかえりなさい。」

ホワイトデーのこと

2008-03-12 10:35:52 | Weblog
もうすぐホワイトデー。

4年前のことです。
娘がバレンタインデーにチョコを買いました。
「誰かにあげるの?」と聞くと「友チョコだよ。」と答えます。
しかし母は見ていました。1つだけ違うチョコを買っているのを。
「1つ足りなかったから...」とかなんとか言い訳してましたが。

そして3月14日。
その日、娘は朝から友達の家に遊びに行って留守でした。
お昼頃、男の子が自転車で訪ねてきました。
「あかねさんは?」「いません。」
その後、3回くらい訪ねてきましたが、娘はまだ帰ってきていませんでした。

その日の夜、8時くらいでしたか...。
ピンポーンとチャイムが鳴りました。
「あかねさん、いますか?」

ニタニタと嬉しそうな顔で娘が帰ってきました。
遅くなったので、お母さんの車でクッキーを渡しにきたそうです。
細いワイヤーで編んでところどころにビーズが飾ってある籠に入ったクッキー。

「おぬし、やるな!」

昨日、小4の息子と歩きながらその話をしていました。
息子は「窓から脱走事件」の彼が遊びに来ている時も娘の部屋に出入りしてましたので娘が面食いであることを知っていました。

「母さん、アカはあんなに早くから彼氏がいて良かったの?」と聞きました。
突然の質問に戸惑いましたが
「きっと急いでたんじゃないの。」答えました。
理解できたかどうか分かりませんが息子は黙って歩いていました。

「ひょんなきっかけ」のこと

2008-03-07 16:30:35 | Weblog
昨日は卒業式に出ないで仕事をしていました。
あの子が病気になって、亡くなって...それでも仕事を続けてきました。
仕事がなかったら、もっと落ち込んでいたでしょう。
どんなに辛い時でも、外に出かけなければならない。人と会わなければならない。
忙しく動いている間は、何も考えずにいられる。
今は仕事があって良かったと思っています。
家族もそうです。ほかの子供たちのためにも落ち込んでばかりはいられません。ご飯を作って、洗濯して、学校に送り出さなければなりません。
あと1つ、私には音楽がありました。一緒に音楽をやる仲間がいました。
娘の病気がみつかった日から半年、それまで日課になっていた練習をやめ楽器を封印しました。
しかし治療が功を奏しないとわかった頃からまた練習を始めました。私が平常の生活をすることで、「この生活が続いていく。」そんな気がしたのです。病院から帰って家事をすませて寝る時間を惜しんで練習をしました。
最後の手術が終わったあとに新しい病巣がみつかって「もうこれまでか。」と覚悟したとき、私は娘に「母さん、音楽やめるわ。」と告げました。
娘は「なんでやめるの?手術が終わって後は私がリハビリを頑張るだけじゃん。続ければいいよ。」そう言いました。

「ゴージャス」という曲の中にこんな言葉があります。
 
 ひょんなきっかけで、生まれた人もいる。
 ひょんなきっかけで、あの世行きもある。
 ひょんなきっかけで、君とここにいる。

太陽系が出来たのも「ひょんなきっかけ」である。その中に地球という惑星が生まれたのも「ひょんなきっかけ」。地球に生命体が生まれたのも「ひょんなきっかけ」。原始の海で生まれた単細胞生命が人間に進化したのも「ひょんなきっかけ」だっただろう。数億個の精子の中から1つの精子が生き残るのも「ひょんなきっかけ」。娘が私の娘であったのも「ひょんなきっかけ」。
きっと娘の病気も突然変異が引き起こした「ひょんなきっかけ」。

たくさんの「ひょんなきっかけ」をくぐり抜けて今がある。



ちょっと後悔したこと

2008-03-06 18:02:33 | Weblog
今日は、もちろん快晴。すばらしい卒業式日和。
なぜ「もちろん」かと言うと

あの子は、お天気女なんです。
小さい頃からの行事で雨で中止になったことがない。
寸前まで降っていた大雨が上がり、決行となった運動会。
幼稚園の夏祭りもそうでした。
最後の沖縄旅行もしかり。
天気予報は連日雨の6日間。到着した石垣空港は直前まで降っていた雨で濡れていました。でも、あの子が沖縄にいる間は快晴でした。

式が終わった後、友人からメールが来ました。
友人の娘が在校生として式に参加していたのですが、帰ってきてから式の様子を話してくれたそうです。「とてもよい式だった。」と。
答辞に娘の事が登場しました。命の重み・何気なくすごす普通の生活が如何に大切かを教えてくれたと。

今日は1日、うわのそら。
こんな事なら、式に出ればよかったかなぁ。

今朝のこと

2008-03-06 08:04:29 | Weblog
いよいよ今日が卒業式。
朝から落ち着きません。
そわそわ、うろうろ、はらはら、どきどき。
何時からだろう?時間くらい聞いておけばよかった。

あの子は朝に強くて、どんなに遅く寝ても、時間になるとふら~っとリビングに
現われます。本当に「ふら~っと」という表現がぴったり。
ひょろ~と伸びた肢体で音もなく現われ、いつの間にかコタツに入り込んでいるのです。
コタツから首だけ出して、まるで亀のよう…。よく「コタツガメ」と呼んでいました。

そろそろ制服に着替えて、「福祉の足」のおじさんの車で中学校へ。
あの子の予定では、リハビリを頑張ったので今は松葉杖で歩いているはずだから介護タクシーは要らないか?

さあ、そろそろ出掛けましょう。

卒業式のこと

2008-03-04 17:22:34 | Weblog
3月6日は中学校の卒業式です。
娘は写真という形で参加します。
この一年間、あの子は校長室で過ごしました。

治療が終わっても、車椅子で登校することになるので
「私は校長室に登校する。」と娘は話していました。
「車椅子を3階の教室まで運ぶのは大変だから校長室でいい。」と言うのです。
「授業が終わると友達が校長室に遊びに来てくれるからそれでいい。」と。
「じゃあ勉強はどうするの?」と聞くと
「勉強は嫌いだからやらなくていい。友達と話せればいいの。」

その話を耳にされた校長先生が「お嬢さんの写真を校長室に」と提案してくださいました。
あの子は大好きな学校で1年間過ごしました。

もし、病気が治っていたら今頃はどうなっていたことか?
同級生の子達は今、受験の真っ最中。
まじめに勉強していたかしら?

校長先生は今年度で退職されます。
あの子は校長先生といっしょに卒業します。