1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

あなたならどうする?

2011-01-31 21:34:28 | Weblog

あなたの家族が突然亡くなったら、あなたはどうします?

お葬式をやりますか?

お坊さんにお経をあげていただきますか?

どの宗派を選びますか?

 

娘が亡くなるまで、そんなこと考えたことなかった。

「葬式」というものに疑問を抱いたこともなかった。

でも、娘が亡くなった時、「葬式」が無意味に思えた。

娘に、お経やお坊さんは似合わない。

もちろん、お世話になった方や友達との別れを、何らかの形にしたい気持ちはあったので

「葬式」ではない「お別れの会」を選んだ。

1か月くらい経ってから、近くのお寺で「戒名」をいただき、小さな仏壇を買った。

初盆。一周忌の法要を行った。

でも、しっくりこない。

遺骨だって、知っている人が誰もいないお墓になんか入れない。

今は家族と一緒にいる。

私か主人のどちらかが逝ったとき、考えよう。

 

あなたならどうします?

 

 

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記憶が...

2011-01-28 07:16:17 | Weblog

2006年7月21日。

三回目、最後の手術の朝の写真。

ずっと、最初の手術の時の写真だと思っていた。

でもバンダナを巻いているので「おかしいな」と思い日付を調べて、間違っていることに気付いた。

娘は、バンダナを嫌がった。

テレビドラマなどの「バンダナ=抗がん剤治療」というイメージが嫌だったんだろう。

はじめての手術の時も手術室に入るときは、ニットの帽子を深くかぶっていた。

「もうニットでは暑いでしょう」と言っても、「この帽子みたいに顔まで深く隠してくれる帽子はない。」と言って聞かなかった。

しかし手術室から出てきたときは、前もって看護婦さんに渡してあったバンダナが頭に巻かれていた。

この時からバンダナは、娘の一部となった。

 

私の記憶も怪しくなってきた。

 

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おやすみ

2011-01-27 07:16:11 | Weblog

我が家の一等地。

マンションなのに上階も下階も人が通らない。

電話コーナーに娘の仏壇がある。

そこには常夜灯があり、一晩中ほの明るい。

眠る前、家じゅうの電気を消して、常夜灯をつける。

いつもの笑顔が浮かび上がる。

少しの涙と少しの言葉で...

「おやすみなさい」

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悲しい気遣い

2011-01-25 08:17:35 | Weblog

娘は1月に入ると、急激に弱っていった。

ある朝、こめかみの「くぼみ」に驚き、涙が溢れてきた。

娘の前で、涙を流したのは、あとにも先にもこの時だけだった。

涙がこぼれ落ちる前に、顔をそらして何とかごまかした

この頃から娘はお見舞いに来てくれる人を拒むようになった。

メールで「病院に来ないでって言ってくれる?体が辛いから笑ったり話したりできない。不機嫌な顔を見せてしまうから。」と送ってきた。

せっかくお見舞いに来てくれても、不機嫌な顔しか見せられなくて申し訳ない。元気になるまで待っていてほしい。

病人がそんな気遣いしなくてよかったのに…

 

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一矢

2011-01-24 10:01:00 | Weblog

娘を奪った肉腫は、骨肉腫のなかでも数少ないタイプだった。

そのことを示した論文。http://www.jstage.jst.go.jp/article/jtca/27/4/161/_pdf/-char/ja/

娘が亡くなるその日、胸の骨から肉腫細胞を採取した。

その細胞は培養され、アカネ細胞として保存されている。

娘が亡くなる寸前に放った矢が病魔に一矢報いる、そんな日が来ることを祈っている。

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モモとサスケ

2011-01-21 06:41:01 | Weblog

フクロモモンガのモモが来て半年くらいたった頃、サスケがやってきた。

フクロモモンガは集団で行動する生き物で、孤独を感じるとそれがストレスとなり死んでしまう。

そこで、新たにオスのモモンガを飼うことになった。K市の〇〇〇〇ハウスというペットショップに予約を入れて、オスのベビーが入るのを待った。

電話が入り、家族総出でお迎えに。

ワクワクドキドキで、小さなサスケが我が家に迎えられた。

モモは最初サスケを威嚇していたが、2・3日すると落ち着いたので、同じケージに2匹を入れてやった。

二匹はいつも一緒で仲良しだった。1年経ち、モモのお腹の袋からベビーが顔をのぞかせる日を楽しみにしていた。(フクロモモンガは有袋類です)

ある朝、サスケがヒーターの上で震えていた。食欲もない。それから数時間後、サスケが死んだ。

あっけない死だった。

それから間もなくモモの元気がなくなった。あちこちの獣医さんに電話したが「フクロモモンガは診ていない。」と断られた。何軒めかの獣医さんで診てくれることになりモモを連れて行った。

「フクロモモンガの生態はまだわかっていない。おそらくサスケがウイルスか何かを持っていて腎不全になり、モモにも移ったのだろう。彼らは頑張り屋さんで最後の最後まで症状が出てこないので、症状が出た時はもう手遅れなんです。」と獣医さん。

ブドウ糖や薬を飲ませたが、次の朝、モモは冷たくなっていた。

 

この時の体験が、お姉ちゃんの将来を決めた。

お姉ちゃんは、4月から動物の看護師さんになる。

 

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はーちゃん

2011-01-20 18:06:19 | Weblog

引越しから1年くらいで、ようやく仲良しさんができた。

彼女は「はーちゃん」

はーちゃんとの出会いは「こうもりを知ろう!」という講演会だった。

公民館のような小さな会場で、15人くらいが参加していた。

そこに、はーちゃんと、はーちゃんのお母さんがいた。

講師が、はーちゃんのお父さんで、彼女は、講演の「お手伝い」に来ていたのだ。

ケージに入っていたキクガシラコウモリが逃げ出し、みんなで部屋中追いかけて、講演会は盛り上がった。

 この辺りは蝙蝠がたくさんいて、民家の雨戸の戸袋で夜を過ごす横着者がいるらしい。

引っ越してきたとき、雨戸の戸袋に黒い糞が山のように溜まっていた。(その時はネズミの糞だと思っていた。)

冬のある日、雨戸を開けた時にボタッと何かが落ちる音がした。

戸袋を覗いてみると、黒いものが見える。

カチカチに固まった蝙蝠だった。どうやら冬眠中に落ちてきたらしい。

このまま戸袋に返して、雨戸に挟まってもいけないし...「どうしたものか?」

箱に入れて、ストーブの前に置いておいたらモソモソ動き出した。

リンゴ一かけとモモのフードを入れて一晩お泊り。

明け方、箱を外に出したら、どこかへ飛んで行った。

 

そんなこんなで娘は、はーちゃんと仲良くなった。

はーちゃんの家では、自分の家以上にくつろいでいたみたいで、はーちゃんのお母さんが笑いながら様子を聞かせてくれた。

6年生になる時、こちらに戻ることになって「一緒に修学旅行に行こうね。」という約束は守られなかった。

しかし、二人は旅先の若草山で偶然出会う。二人の執念の為せる技か。

娘は二日目の日程で、はーちゃんは1日目の日程。バスの駐車場で出会ったらしい。

娘は、帰ってくるやいなや「かあさん、奇跡だよ!」と嬉しそうに話してくれた。

 

4月になって退院したら、はーちゃんに会いに行くと言っていた。髪の毛も伸びて、松葉杖で会いに行くつもりだった。

元気なうちに合わせてやりたかったが、勝手に連絡を取るわけにいかない。

娘が眠り始めた日、はーちゃんのお母さんに電話を入れた。会いたがっていたことだけ伝えて受話器を置いた。

次の日、はーちゃんが来てくれた。風邪で高熱があったのに、無理をして来てくれた。

もう意識はなかったけど、娘は気づいていただろうか。

その夜、娘は逝った。

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モモ

2011-01-19 06:55:08 | Weblog

小4の時、三重県の津市に引っ越した。

持家だったマンションを売って、社宅の一軒家に移り住む。

子供たちは、慣れ親しんだ環境・友達と離れ、新しい学校へ。

娘は、もともと積極的に友達を作る性格ではなかったので、新しい環境に溶け込むのは大変だっただろう。

私には「友達できた。」と言っていたが、親しい友人には「友達なんかいない。」と本音を洩らしていた。

物を投げる・椅子を蹴っ飛ばす。

「社宅だから傷をつけてはいけない。」と注意すると「こんなところ来たくなかった。自分の家が良かった。」泣きながらそう言った。

単身赴任という選択もあったので、子供たちには「どうしたいか」確かめた。

家族の絆を、誰よりも大切に思っていた娘は「一緒に行く」選択をしたが、ずっと後悔していたのかもしれない。

そんな娘の心のよりどころとなったのが、フクロモモンガだった。

主人の新しい勤務先の事務員さんがフクロモモンガをつがいで飼っていて、そこで赤ちゃんが生まれた。

その中の1匹が「モモ」だった。

小さくて、3時間おきにミルクをあげなくてはいけない。警戒心が強く、匂いに馴らさなければ「ギギギ」と機械音のような警戒音を出す。

学校に行っている時間以外、娘とモモはいつも一緒にいた。

フクロモモンガのようなエキゾチックアニマルの生態はよくわかっておらず、診てくれる獣医さんも少ない。

2年目の冬、娘がモモの異変に気付いたときは、もう手遅れだった。

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もうかりまっか?

2011-01-18 07:24:12 | Weblog

家族で常滑に行った時の一枚。

やきもの散歩道の一角のある商家の中。そろばんのパチパチという音が聞こえてきそうだ。

おすまししてパチリ!

この構図、けっこう気に入ってました。

2月10日にむかって、昔の写真を見直してみようとしているのだけれど、この写真の頃より前は

デジタル写真ではないのでブログにアップできない。

ネガもなくなっているので劣化すれば、それでおしまい。

なんとかしなきゃ。

 

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秘蔵の1枚

2011-01-15 23:55:07 | Weblog

思わず笑ってしまう、ひょうきんな1枚。

公開しようかどうか迷ったけど、笑顔を誘ってくれるからいいかな?

小学校4年生のとき、転向した小学校の体操服を着ている。

 

慣れ親しんだ地域・友達と離れ、新しい学校に通う。

そのストレスに反抗期が重なったせいか、よく暴れていた。

そんななかで、フッとみせたひょうきんな一面。

この写真を見ると、当時を思い出す。

 

 

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