1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

後悔

2010-10-19 19:27:46 | Weblog
もうすぐ中学校の文化祭。
クラス対抗の合唱コンクールが行われる。
4年前、娘はこの合唱コンクールを楽しみにしていた。
文化祭の一日目は、オーディションで選ばれた子達の発表の場。
ダンスあり、楽器演奏あり。先生達のバンド演奏もあった。
この日の為にストレッチャー搬送ができるリフト付きの介護車をレンタルし、
娘を乗せて中学校へ。娘が到着するとクラスメイトが集まってきて声をかけてくれた。2時間ほど楽しい時間を過ごして、家に帰った。
次の日、文化祭の二日目。
この日は、娘が楽しみにしているクラス対抗の合唱コンクールが行われる。
出掛ける用意をして、車イスに乗り移り、階段を下りる。
大人4人の手を借りて、ようやく介護車に乗り込もうとした時、バケツをひっくり返したような雨が降り出した。しばらく様子を見ていたが止みそうもなかった。
「もういい。」娘がポツリと言った。
そうして家に戻り、文化祭は終わった。
次の日、担任の先生が、コンクールの様子を撮ったビデオを持って病院に来てくれた。
娘のクラスは合唱コンクールで優勝したそうだ。

あのとき、どうして娘は「もういい。」と言ったのだろう。
多少濡れても、車に載せることはできたのに...

2010-10-18 17:32:08 | Weblog
今朝、娘の夢を見た。
この前、夢に現れてからどのくらい経つだろう。
ほんの5分くらいの短い夢だった。
7、8才の娘が、家に帰ってきた。
誕生日でもないのに、「誕生会をやろう」と思い立ち、ケーキを買いに行こうとしたが
出かけている間に、何処かへ行ってしまう気がして目を離せないでいた。
そこへ目ざまし時計の音が...

目が覚めてしまった。

こんどは、いつ逢えるだろう。

お姉ちゃん

2010-10-09 01:00:42 | Weblog
あの子にはお姉ちゃんがいる。
可愛くて、賢くて、ピアノが得意でバレエも上手。(あくまでもあの子の評価ですが)
お姉ちゃんの様になりたくて、バレエもやった。ピアノも習った。
でも、お姉ちゃんのようにはできない。4才違うのだから4年分の努力が必要なのに
それを飛び越えてお姉ちゃんの様になろうとするのは無理。
おまけにコツコツ努力するタイプではないので、「私には無理」とすぐにあきらめた。
「将来何になりたいか」という質問には「動物関係の仕事に就きたい。」と答えた。
やはり、お姉ちゃんが進んでいる道を追いかけていた。
可愛がっていたフクロモモンガをよく観察していたし上手に育てていたので、この夢はきっと実現しただろう。
あの子が亡くなった頃、テレビで流れていた賃貸アパートのCM。姉が下宿している街に妹が遊びに来ている設定のCM。お姉ちゃんは「いつか自分達も」と思っていたのでは..。

お姉ちゃんは大学生になり一人暮らしを始めた。
同級生の一人が「いつも隣に女の子が見える。」と言ったそうだ。

いまも大好きなお姉ちゃんのそばにいるのだろうか。

カレンダー

2010-10-01 19:43:22 | Weblog
娘の入院生活が詰まったカレンダーが出てきた。

娘が亡くなった時、身の回りの物をできるだけ持たせてやろうと思った。
たった一人で旅立つ娘。できることなら一緒にいてやりたいと思うけれども、残された子供にも責任がある。
一緒に寝ていたぬいぐるみ。中学の制服。お気に入りのタオル。
寂しくないようにと何でもかんでもお棺に放り込んだ。
後で考えると、あの子の思い出に残しておけばよかったと思う物もたくさんある。
そのカレンダーも一緒にお棺に入れたものだとばかり思っていた。
入院、退院、外泊、手術、抗がん剤の投与。すべてが書き込まれていた。
6月1日の欄に「1年記念日」とあった。
「何の記念日か」最初はわからなかった。一年前に何があったか考えると、中学校の自然教室だった。この時に、ボーイフレンドから「告られた。」と言っていたので、「6月1日」は
お付き合いを始めた記念日だったのである。
手術の日程は「4月21日」「5月26日」「7月21日」である。
いまから考えると、驚異的な日程である。
右ひざ・左上腕骨。一か月おいて左ひざ・右股関節。2ヶ月後に蝶骨・肋骨3本・左鎖骨。
その間に、抗がん剤の治療が行われている。

本当に、よくがんばったね。