1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

ドキッ!

2015-04-28 07:41:04 | Weblog

不思議なことが起こった。

携帯に、メッセージがあった。

見ると、「LINEがつながりました。」というお知らせだった。

LINEを開くと・・・・なんと「あかね」の文字が。そして後ろには、きれいな海の写真。

「えっ?えっ?えっ?」

恐る恐るトークボタンを押して「あかね?」と送ってみた。

堪らず、無料通話でかけてみた。

「はい。もしもし。」あかねの声じゃない。

返事もせずに切ってしまった。

あかねが使っていた電話番号が復活して、また使われるようになったからだろうか。

相手の方に不快感を与えてはいけないと、トークで事情を伝えた。

まもなく返事がきた。

相手は知り合いの「〇〇あかね」さんだった。「電話番号は15年前から使っているし、LINEは2年前からやっている。なんで今つながったんでしょう?」と不思議がっていた。

彼女の電話番号は、私の携帯に登録されていたはず。少し前にも、彼女に連絡しようとしたが、私の携帯に彼女の電話番号がみつからなかった。

「おかしいな」と思いながら、そのままにしていた。

 

背景に使われていた写真は、彼女の新婚旅行の思い出の1枚。それが、はいむるぶしの海岸で撮った写真にそっくりだった。

あの世からLINEが届くわけはないんだけど、ちょっとワクワクドキドキしてしまいました。

偶然と誤作動が重なった出来事でした。

そこに、あかねの意志があることを期待してしまう...

 


おつかれさま

2015-04-02 02:23:51 | Weblog

2015年4月1日、友人が亡くなった。

あかねが骨肉種を発症して、病気と闘っていたころ。

「乳がん検診でひっかかって、再検査なんだ。」

「再検査したけど、何でもなかった。」ってよく聞くから、大丈夫だよ。

「やっぱり乳がんだった。」

あかねの時も、判定はどんどん悪い方に転がっていった。

普通なら、「やっぱり大丈夫だったね。」で終わるのに。

彼女は手術を受け、抗がん剤治療を始めた。

壮絶な闘いだった。

彼女とあかねは、ともに癌と闘う同志だった。

母親の私でさえ、理解してやることのできない恐怖、抗がん剤治療のつらさ。

 

手術から3年後、肺に影がみつかる。

PET検査を受けに病院へ。その日は彼女の息子の大学院の合格発表の日。

PETの検査室では携帯電話を切らなくてはいけないので、「その間に連絡がきたらどうしよう」と

自分の事より、心配していた。

再発するたびに新しい治療に挑んでいった彼女。

「余命6か月」の宣告を受けてからもうすぐ2年になる。

入院して、「在宅は無理だろう」と言われてからも、信じられない回復力で、帰宅。

愛娘の手厚い看護を受け、家族に見守られながら、彼女は、眠るように息をひきとった。

 

おつかれさま。よく頑張ったね。

むこうで、あかねに会えるといいな。