1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

原点

2019-02-13 20:13:53 | Weblog

12年前の12月、あかねの「ここに行きたい!」の一言で、私たちは小浜島のはいむるぶしに行きました。

それは簡単な事ではありませんでした。何度もあきらめかけては、誰かに励まされ、誰かに助けられて、ようやく行き着くことができました。

今回、当時のスタッフSさんとTさんとゆっくりお話をすることができました。

その中で、「はいむるぶしでも、ストレッチャーのお客様の受け入れは初めてでしたので、いろいろと試行錯誤しました。」とお聞きして驚きました。

あかねや家族に対する細やかな気遣い、優しい声掛け等等、とても試行錯誤とは思えませんでした。

幻の島のことは、むこうで知りました。Sさんが「幻の島に行きましょう!」と提案してくださったのです。

ただ、12月は風が強く、波も高いので強行突破といっても過言ではなかったでしょう。

実際、ボートの底を叩く波の衝撃はかなりのものでした。

 

Sさんは「あかねちゃんに海の水に触れさせてあげたかったんですよ。」と。

Sさんは3月で退職されます。「私も、これで最後でしょう。」と幻の島に同行してくださいました。

当時、船をだしてくださったアーキィさんも一緒でした。

ここ数年、お天気に恵まれませんでしたが、その日は快晴で、海が、島が輝いていました。

あかねの感謝の気持ちだったのかな?

 

 


はいむるぶしにて

2019-02-08 17:09:55 | Weblog

仕事のためにSurfaceを購入したけど、おかげで、はいむるぶしから投稿できます。

ここ、2,3年は雨ばかりでしたが、今年はお天気に恵まれました。

幻の島も久々の美しい姿を見せてくれました。

1年ぶりのはいむるぶしです。

もう、「ただいま」です。

我が家に帰ってきたようです。

あかねと一緒に帰ってきました。

ただいま!


幻の島へ

2019-02-06 18:24:42 | Weblog

今日、運転をしながら、あなたのことを考えていた。

あなたは、いつもお姉ちゃんの後を追いかけていた。

ピアノもバレエも塾も始めたけど、結局、続かなかったね。

4歳上のお姉ちゃんは、4年間、練習を続けて、今のお姉ちゃんになったのに、あなたにはそれが理解できなかった。

すぐに上手にならなくて、それが我慢できなくてやめてしまったね。

学校の進路希望に、「動物関係の仕事に就きたい」と書いてあったね。

きっとお姉ちゃんの進んだ大学を選んだかな。

あなたが亡くなったころ、こんな賃貸住宅のCMがあった。

姉妹が肩を並べて歩いている。

「ここが、お姉ちゃんが住んでる街。私もここに住みたい。」

そんなCMだったかな。

きっと、あなたも、お姉ちゃんが学生時代、暮らした街に暮らしたかっただろうね。

そんなことを考えていた。

明日は、幻の島へ向かうよ。