1本のわらしべ

骨肉腫と闘う子供とその家族とともに

医療ミス

2008-06-18 10:22:47 | Weblog
今日の朝刊に医療ミスに関する記事載っていました。
「54歳の男性が抗がん剤の過剰投与が原因で死亡。」という記事。

確かに単なるミスだったのかもしれません。
でも、ひょっとしたら…

前にも書いたように抗がん剤は正常な細胞とガン細胞を区別することができません。正常な細胞をも攻撃します。
抗がん剤による治療は「肉を切らせて骨を断つ」という捨て身の治療です。
抗がん剤の効き目が現われない場合、医師としては「もう少し量を増やせばこの患者を助けられるのでは?」という気持ちが出てくるのではないでしょうか?

あの子が最初に入院した病院での、最初の抗がん剤投与。
すさまじい副作用でした。
「このまま死んでしまうのでは…」と思うほどでした。
あとで移った病院の先生が、その時の「治療データ」を見て言われました。
「担当の先生は余程焦っておられたのですね。通常の倍の量が投与されていますね。」

最初にお世話になった先生はいかにも「外科の医者」といった感じの先生でした。
常に冷静で、自分の仕事に誇りと自信を持った方でした。
親の無知な意見など即座に却下されました。

あの先生が、あの冷徹な仮面の下でそんな風に焦っておられた。
それほどあの子の病気は深刻なものだったということですが、それを聞いた時、先生の別の一面を垣間見た気がしました。人間らしい一面。


抗がん剤の治療は死と隣り合わせです。
新聞記事は事実だけをとり上げます。
そこに至る人間模様がきっとあったはず。

きっと。



幻の島?

2008-06-13 19:07:36 | Weblog
今日、友人Rから電話があった。
次の仕事に入る直前だったが急ぎの用だといけないので出てみる。
「幻の島が…。」なんだか感極まっている様子で何を言っているのかわからない。
時間になったので「ごめん。今から仕事。切るよ。後でね。」と電話を切った。
「きっと怒ってるだろうな。」と思いながら仕事を片付けて、それから電話を掛ける。
「何だった?」
「郵便局で『幻の島』を見つけた。」
なんと今年の暑中見舞いのデザインに『幻の島』が使われている。

ハガキを見ると本当に幻のよう。
昔、森村桂さんの「天国に一番近い島」という著書があったけど
ここは私にとって「あの子に一番近い場所」である。

はやく行きたい。


信じる力のこと

2008-06-10 15:16:35 | Weblog
秋葉原で悲しい事件が起きてしまった。
事件の報道、犯人の人物像、生い立ちなどを聞いていると更に悲しくなってくる。
「こんな奴のために、7人もの善良な人たちが亡くなった。」そう思うと腹が立つ。
でも、「こんな奴」と自分に共通点を見つけた。
彼は小中学校は優等生、高校生になって落ちこぼれ、大学進学を断念している。
それからは就職も上手くいかず人生を嘆いて生きてきた。
自分を「不細工」と呼び、身長にもコンプレックスを持っていた。唯一頼りにしていた学力も落ちていき「すべてを失った。」そう思ったのだろうか。

彼に欠けていたのは「人を信じる力」ではなかったか。
家族を信じる力、友達を信じる力、同僚を信じる力。
小さい頃からスポーツ万能で勉強が出来た。そうでなければ家族が自分を認めてくれない、愛してくれない。そう思い込んでいたのだろう。
自分が不細工で小柄だったから、彼女も出来ない。そう信じていたのだろう。
家族、特に母親は息子がどんなに出来が悪かろうがかわいいはずだ。昔から「出来の悪い子ほど可愛い」と言う。
世の中に「美女と野獣」と思われるカップルはたくさんいる。
世の女性を見くびるな。

しかしこの力は私にも欠けていた。
小さい頃、私はコンプレックスの塊のようだった。
末っ子で生まれ育ったせいかどうかはわからないけど、人に対する思いやり、心配りに欠けていた。小学生の頃からそれを自覚していた。意識して「人に優しく」と努めていた。そうしていなければ自分には友達もできないと。
「こんな事を言ったら、この人は自分から離れていってしまうのでは。」
そうやって生きてきたので自分の心を開くことはなかった。
しかし、大学生になり、社会人になり、主婦になり、母親になり沢山の人たちと関わり合った。ある人は私の本質を見抜いてくれた。ある人は厚い壁を破り、ズカズカと私の心に入って来てくれた。ある人は「なんで仲間を信じないの?」と叱ってくれた。
そうやって今、私は生きている。
しかし人間の本質はそう簡単に変わるものではない。
いまでも、昔の私が顔を出す。
「こんな事を言ったら、この人は離れていってしまうのでは?」と不安になる事がある。でも、その後、思い直す。「私はこの人を信じよう。」と。

あえて私が人を信じる「力」と呼ぶのは、それが簡単なことではないと思うからである。



髪のこと

2008-06-05 12:17:29 | Weblog
1本1本に癖があり櫛を通そうものなら手の施しようがないほど広がってしまうお姉ちゃんの髪。いつも三つ編みをしたり編み込みをして縛っていた。
長じてその髪は、ゆるいウエーブのかかった素敵な髪型をつくっている。(本人は嫌がっているが)
妹はお姉ちゃんとは正反対の髪質だった。細くてまっすぐなストレート。
三つ編みも編み込みも頑なに拒絶する。
小さい頃から、ずっと、おかっぱだった。
前髪はすぐに伸びるので、一度思い切って短くした事がある。生え際から2cmくらいのところで切りそろえてある。証拠写真が残っている。
このときは自分でも「やばいな」と思ったが相手は3歳、文句も言わないので「まっ、いいか。」とやり過ごした。
しかし、お洒落に関心を持つ年頃になると、その写真を嫌がった。
前髪パッツンも嫌がるようになった。
小学4年の頃から、前髪を伸ばし始める。
最初はゴムで縛っていたがだんだん延びてきて俗に言う「ワンレン」である。ちょっと古いかな。
ラーメン食べてて汁に髪が浸かってる。「耳に掛けなさい、耳に。」よく言ったものだ。
私は目が腫れぼったいのがコンプレックスだったので前髪をいつも下ろしていた。母によく「前髪上げたら。貧弱な顔が余計に貧弱よ。」と言われていた。

娘はその髪型とひょろっと延びた姿態のせいで大人びて見えた。
ふてぶてしい態度もそれを助長していたかも

治療で抜けてしまった髪は、それでも頭皮を隠すくらいまで伸びてくれた。
もう少し早く治療をやめていれば、髪は長く伸びてくれたかな。


最近思うこと

2008-06-03 11:39:32 | Weblog
最近よく思うこと。

あの子を亡くした後、私はどうやって生きてきたんだろうか。
上の子の大学進学が迫っていたので、その準備に奔走した。
大学受験の大変な時期だったのに、親は妹にかかりきり。毎晩弟にご飯を食べさせ
お風呂に入れて寝かしつけてくれた。
せめて快適な大学生活を送らせてやりたいと思った。
4月に入り、長女は下宿生活を始めるために家を出た。

その後は残された息子と夫婦、3人の生活が始まった。
5人の生活が3人になって、あれほど狭いと思っていた部屋が急に広くなった。
洗濯物も「たったこれだけ?」料理もあっという間に終わってしまう。
子供の行事も1人の子についていけば良いだけ。網の目のように絡んだ3人の子供の予定に振り回されることもなくなった。
「一人っ子のお母さんてこんなに楽なの?」(一人っ子のお母様、ごめんなさいね。一人っ子はそれはそれで大変ですよね。)

量は減らしていたが毎日入る仕事は有難かった。
とりあえず起きて着替えて外に出なければならない。
生活のリズムは心の健康のためには必要だと思う。
落ち込みそうなときは無理にでも外に出なければならない状況をつくるのも1つの手だと思う。

美容院にも行かずに伸ばしっぱなしにしていた髪。
最近ちょっと気に入っている。似合うか似合わないかは問題ではない。

鏡の向こうにあの子がいる。