アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

小さな社会

2008-03-17 19:05:58 | 思い出
 もうだいぶ昔のことになるけれど、ふと思い出したことがある。
 その時僕はある小さなグループの世話役を務めていた。ひとつひとつの細かいことは忘れたが、確か何かのプログラムを決める話し合いをその時していたのだと思う。五六人の子どもがテーブルを囲んで、期間中の行動計画を立てようとしていた。どの子もその日か前日に初めて会ったばかりで、洗いざらしのジャケットの上にみんなよそ行きの顔を拵えていた。
「できるだけ外からは口をはさまない」というのが、そのキャンプの主催者の主義である。だから始めから終わりまで、そのグループの正規のメンバーだけが討議に加わることができて、またそこにどのように関わるかもそれぞれが自由に決めることができた。予め用意されたのは部屋と机と椅子といった最低限のお膳立てだけだった。後は行き着くだろう結論も、集団討論や行動という場でみながわきまえておかなければならない暗黙の決まりや不文律も、何も一切知らされてはいない。この場はそのようなものを殊更告げるべきところではなかったし、ある意味では社会の中でこれからいかに生きるべきか、それをなによりも優先して、この場を借りて体得してほしいとみなが期待されていたのである。
 まずおずおずとではあったけれど、ある者が口火を切った。それは今何を論ずべきかの一座への周知と確認で、勇気の要ることではあったけれども至極心細げな声だった。それに対してテーブルを囲んだすべての参加者が同意したことによって、会議は始まった。
 次の者が、そのためにはまず何を話し合うべきかを提案した。目の輝いた利発そうな少年だった。彼はむずむずしていて、先刻来発言の機会を伺っていたかのようなふしがあった。けれどどことなくなにかうっかり一言言い過ぎてしまいかねないような、そんな危うげな風があった。
 それから一座の発言は二順、三順としたけれど、その頃にはもう居並ぶメンバーの性向や関心の度合いが、傍で見ている私の眼からも一目瞭然になってきていた。すなわち熱心な者とそうでない者。テーブルに前向きに関わる者とそれほどでもない者である。そのあり様はけれど単純に一把一からげには括れず、まさしく同じ腹から生まれた子猫にもそれぞれの個性があるように、見れば見るほど種々雑多で特異的と言ってもよかった。
 当初活発だった者が、ひとつかふたつ、自分の提案が会議の趨勢で否定されたのを潮にそれから手のひらを返すように後ろ向きになってしまった場面もあった。また当初さほど関心なさそうに見えた者が議題の変遷に応じてとたんに目を輝かせ、それからはうって変わってがっぷりと会議に加わるようになったりもした(こいつあんなふりして、意外と聴いていたんだな)。けれど面白いことに、そういう者に限って状況の変化に応じた適応力や持久力というものが身についてないようだった。
 案外と人間の性格とはその場の状況次第でいかようにでも変わるものらしい。そんな考察を加えるに充分なほど、議題の含む範疇は広く話題も多岐に亙っていて面白いほど変化に富んだものだった。
 また別の者は発言を求められれば一応しっかりした言をするのだけれど、しかし滅多に自分から手を上げることがない。手元を覗くとテーブルの上には会議の資料に混じって何か他の冊子やら風変わりな道具やらがどっさりと載ささっていて、普段の注意はあらかたそちらに向けられている。席上彼がリードしてくれればどんなにいいか、という場面も一度ならずあったのだが、いかんせん確かに利発には違いないが、どうやら彼には今ひとつの「本気さ」が欠けているのかもしれない。
 中にキョトキョトとあたりの顔色ばかり窺っている者がいた。みなが発言すると終いの方で彼もやはり(当たり障りのないことではあったけれど)発言する。みながうぅん・・と腕を組んで考え込んでしまうと、彼は決して発言しない。そのうち彼の示す行動パターンは手に取るように予測できるようになった。なるほど彼は自信がなくて、いつも側に誰か格好の「模範」を必要とするらしい。そうだな同じ「模範」にするならば、積極的なあの子の真似なんかをしたらいいのにと思うのだが、あにはからんやほとんどの場合に彼が追随するのは、えてして一座の中でも最悪の行動をする者のそれだった。なんだかこれが彼自身の今と今後とを暗示しているような気がして他人事ながら暗澹として気持ちになってしまった。
 見ているうちにいつしか会議は座礁し、ある微妙な一点からまったく進まなくなってしまっていた。10分が過ぎ、20分が過ぎ、そのうち誰も何も発言しなくなった。唯一最期まで積極的だった彼も、せっかく搾り出した発言に誰も応じてくれないのではどうしようもない。やがて机の上でカタカタと、図形を描いたり他の関係ない道具を広げたりする音が聞こえ始めた。相変わらず発言はない。こんな場合、会議を進めるために僕になにかできることはないだろうか。またはここに集った集団のために、なにかできることはないだろうかとその時本気になって思案したけれども、その場では結局なにも思いつかなかった。
 いやかえって、なにもしない方が正解だったのかもしれない。実のところ彼らはみな、年齢的にはみんな既に結婚して子どもをもうけてもおかしくないほどの歳であり、外見的にはまぎれもない「大人」だったのだから。彼らがこれからもまたそれぞれの道を歩み続ける過程で、他からの意図的な働きかけは往々にして逆の効果を産む可能性の方が大きい。これがもし本当の「子ども」だったならば、あるいはなにかいい方策が見つかったかもしれないのだが。



 
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