アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

対戦車攻撃

2005-06-28 08:20:55 | 思い出
ソ満国境付近より新京(満州国の首都、今の長春)まで陸路700キロの撤退作戦を開始した第107師団が、行く手を遮るソ連機甲師団との戦闘の口火を切ったのは撤退を開始して2日後、177連隊所属野沢大尉率いる第二大隊による。

当初野沢大隊は駐屯地五叉溝(ウサコウ)南方高地に布陣し、予測される敵軍の攻撃に対して陣地の死守を命じられていたが、ソ連軍はなかなか接近してこない。監視哨からの報告によればソ連軍機械化部隊は続々とハルハ川を左翼へ、左翼へと移動するばかりだと言う。そして開戦から2日後、部隊は急遽陣地撤収転進の命を受けた。
ソ連軍は107師団を一挙壊滅すべく、開戦に先立ってまずその退路を断つ作戦に出ていたのである。外蒙国境に布陣していた107師団が新京に向けて撤退する道は大興安嶺を縫うようにして細長く伸びる白城子ー阿爾山(アンシャン)鉄道に沿ったもの以外に無い。つまりこの道を断たれれば、部隊は前後からソ連軍の挟撃を受ける窮地に立つことになる。事実そのようにして師団は苦戦し、後に大興安嶺山中の地獄の逃避行をすることになった。
野沢大隊の任務は、師団本体の撤退のためにその途上にある索倫(ソロン)山への急行、彼の地における敵進撃の阻止だった。
部隊は夜陰に乗じて山を降り、貨物列車にて移動する。夏とは言え満州の夜は寒い。零度近くまで冷え込む無蓋貨車の中を、兵は夏服のままで移動することになった。臨戦下の急転直下する状況の変化に対応がまったく間に合わない。

翌朝索倫駅に着いた部隊は、駅前に兵器弾薬食料等を集積させたまま主力を近隣の潅木林に分散させた。まずは夜を徹した行軍の疲れを少しでもとるべく、数時間の休養と昼食をすることになった。林の中に分散したのは、敵機の襲撃を警戒してのことである。その後部隊は午後一番で物資を携行し索倫山に向かう予定だった。
しかし、その時ソ連軍戦車5台がその潅木林に直進して来る。
部隊は驚愕した。このまま砲撃を受ければ地勢状、部隊全滅の危機に瀕する。しかし敵は日本軍がこの潅木林に潜んでいることを、まったく気がつかないようだった。
野沢大隊長は命令を下す。

「至急肉迫攻撃班編成! 10名選抜、準備でき次第直ちに攻撃開始!」

「肉迫攻撃」とは、歩兵が敵戦車の進路上に隠れ、戦車接近時に爆雷を抱えて車体の下に飛び込み自爆する攻撃を言う。文字通り陸戦における「特攻」である。
これはよく朝鮮から動員した兵士が強制的にやらされたというふうに言われているが、実際は特にそのような人種的理由による差別はなされていない。ただ勝ち続けることが至上の戦闘において、特攻隊には練度が低くて総合的に戦力として劣る初年兵や臨時召集兵が選ばれることが多いのは結果的事実である。日本人であるなしを問わず、皇軍兵士としては何時いかなる時にも上官の命に従わざるを得なかった。

攻撃班は道路両側の潅木の中に配置され、5分のうちに戦車5台は爆破炎上した。ソ連軍としてはまったくの不意を撃たれる形となり、その後続部隊は丸一日近く進撃を中止する。
一方、この攻撃で日本兵8名が戦死している。

このように肉迫攻撃は戦争初期や、戦車の進路上に遮蔽物があるなど絶好の条件が揃った場合に効果を上げたのであるが、多くの場合大陸での陸戦においては身を隠す手頃な場所はほとんど無い。またソ連軍にこの手法を周知されてからは、ほとんどの兵が攻撃以前に砲撃や機銃掃射の的となって死んでいった。戦車の進路上にある岩塊・潅木などは、予め通過する遥か手前で潜伏した日本兵ともども爆破されるようになる。

その後夕刻に襲来した雷雨に乗じて大隊は潅木林を脱出する。駅前の物資を運ぶ時間の余裕も無ければ敵前に顔を出すわけにもいかない。現有の武力では敵機甲師団の攻撃に抗すべき術も無かった。
五叉溝川は幅50メートルを越える大河である。夜間、河川の偵察も意のごとくならないままに、部隊は大隊本部を先頭にして渡河を決行。首にまで達する水深と急流の中、横一列互いに腕を組みながら命がけの渡河に成功する。しかしこの過程で兵士数名の命と重火器のほとんどを流失し、爆雷も潅水して使用不能。残った武器は機銃3機の他は38式小銃と手榴弾のみとなる。これがその後の戦闘での第二大隊の致命傷となった。

翌朝ソ連軍は部隊が後にして来た潅木林に砲撃を開始。鬱蒼とした林は見る見るうちに丸裸になって行った。

この後野沢大隊は敵包囲網を脱するも敵の追撃厳しく、更に奥へと撤退を繰り返す。携行食料も水も武器弾薬も尽き、部隊機能も失って結果的に多数の戦死・行方不明・離脱者を出すことになる。しかし少人数ごとに山中を転々としながらも、残存者のうちの相当数が後日音徳爾にて師団に合流できたのは幸運と言えた。大興安嶺山中の逃避行は文字通り餓鬼線上を彷徨う「死の行軍」だった。



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