粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

硬直化する韓国メディア

2013-05-25 10:21:24 | 厄介な隣国

韓国紙中央日報の記者による「原爆投下は神の懲罰」という報道は、日本政府の抗議で同紙のネットでは記事が削除されたようだ。しかし、それは日本語版だけであって、韓国語版と英語版は依然ネット上に残ったままだ。しかも中央日報自身は、この記事は一記者の論評であって、自社の公式見解ではないと責任逃れとも思える姿勢を崩していない。

こういうのを姑息な手段(その場しのぎ)というのだろう。韓国の報道を見ると、その後この問題の記事に対する反応が見られない。さすがに賛同する意見はないが、積極的に批判する記事もない。黙殺しているというのが正確なところだろう。おそらく「神の懲罰」の内容を率直に韓国内で批判する意思を表明すると、無言の圧力が加えられる空気が充満しているのではないか。韓国マスコミの重苦しい環境を感じないわけにはいかない。

韓国のマスコミは、北朝鮮報道に関しては保守派と親北派に二分され、論調も相違が明確だが、こと反日に関しては双方にその差はほとんど見られないという。しかも鶏と卵の関係ではないが、世論とマスコミは反日ということでは完全に一心同体と言ってもよい状態だ。

当然こうした国民の声は政治に反映される。本日の報道でも稲田朋美行政改革担当相の一部慰安婦制度是認とも思える発言に早速噛み付いている。どうも最近の韓国政府、メディアなどの日本への反応はかつてないほどに過敏だ。本来政府や世論とは距離を置くべき司法機関さえも反日ともいえる不可思議な判決が見受けられる。安部内閣への特別な警戒心があると思うが、それにしても異常といってよい。

どうしてもこれは、韓国内の反日教育の徹底ということを考えないわけにはいかない。これは独立後既に始められ、現大統領の父親、朴正煕政権で本格的に推進されて今日至っている。さらに教育現場で日教組並みの左翼的な教員たちによってそれが徹底されてきた。

したがって、今日のメディアの反日報道は、その反映であって「原爆懲罰」記事もその延長といえるのではないか。韓国内を包む日本に対する重苦しい空気を、日本人は十分に意識し、対応しないわけにはいかない。皮肉をいえば、日本にも韓国のような国民的「結束力」が欲しい。せめて韓国の半分くらいでも。


土下座?の橋下市長

2013-05-24 15:25:22 | 厄介な隣国

つくづく日本は自由すぎる国だと思う。昨日は日本の「学者」が韓国の民族団体と竹島に上陸し「独島は韓国の地だ」と拳を上げて叫び喝采を浴びている。韓国人がもしそこで「竹島は日本領土だ」と叫べば国内で袋だたきに遭い、生命そのものさえ危うくなるだろうが、日本では非難は受けてもそんな酷いことはないだろう。

今日、橋下徹大阪市長に面会する予定だった韓国人の元慰安婦女性2人もこんな「敵地」を訪れて自分の主張を堂々と訴えることができたはずだ。これを支援する団体が全面的にフォローしてくれる。まさに自由な国、日本ここにありだ。

その2人の慰安婦がドタキャンした。本人から面会を申し出ていたのに不可解だ。支援団体がいろいろと理由を述べていた。来日当時は橋下市長の一連の発言前であったが、発言によって傷ついたという。しかし、それなら先週に態度を表明できたはずだ。

さらに首を傾げる理由は、面会時に橋下市長が慰安婦たちに土下座パフォーマンスをするという情報が入り、面会が橋下市長の都合の良い筋書きで演出されるというものだ。

しかし、この情報の出所が不確かで、最初は日本のメディアからとしていたものが、実は韓国メディアからの情報ではないかと変わってきた。その辺の状況説明に支援団体の会見では極めて曖昧なものだった。どうも橋下土下座情報はガセネタの色が濃い。

おそらく想像するに、慰安婦やその支援団体が、弁が立つ橋下市長からきわどい質問をされて、慰安婦が口ごもりボロがでることを恐れているのではないか。それも面会の注目度が急激に高まっていることが原因している。面会が行われる予定だった大阪市役所には、日韓の多くのメディアはおろか、欧米のメディアが一斉に集合しており、その注目度は最高潮に達しているからだ。

もともと慰安婦の証言は不確かなものが多い。特に強制連行を裏付けるものは全くといってない。被害者の慰安婦の証言も二転三転していて疑問が多すぎる。「私自身が証拠」と言い張っているが、実際そんなな理屈は通らない。

自分は実際この面会を注目していた。橋下市長がどんな言葉を発するか、慰安婦がどんな「被害状況」を話すか。しかし、それも世界中が関心を注ぐイベントに慰安婦のプレッシャーは大きすぎた。自分たちのボロがでることを慰安婦や支援団体が極度に恐れたのだろう。この面会如何によっては慰安婦問題への評価が大きく変わる可能性を秘めていたのに。はっきりいって「敵前逃亡」という他ない。

支援団体は「(橋下市長に)会う価値が微塵もない」ということをいっているが、どこかで聞いた言葉だ。そう、開城団地の閉鎖で揺れる南北の危機を打開するために韓国の朴槿恵大統領が北朝鮮に対話を呼びかけた際に北が返した言葉だ。苦し紛れさが滲む。橋下徹と土下座、最も想像できない組み合わせだ。メッカに向かい礼拝するイスラム教徒でもないし。



新脱亜論

2013-05-23 15:31:55 | 厄介な隣国

産経新聞で評論家の石平氏が「謝絶中韓のすすめ」と題して最近の中国、韓国による日本への理不尽極まりない干渉に両国関係の見直しを提言している。それも明治時代の福沢諭吉の脱亜論を引用しての再構築だ。

今から百数十年前、福沢諭吉翁は当時の清国と朝鮮を「亜細亜東方の悪友」と名付け、この両国との交渉を「謝絶するものなり」と提言した。21世紀になった今でも、この提言は依然、現実的な意味を持っている。

 日本は今後、この2つの「悪友国家」との関係を根本的に見直すべきではないかと思う。できるだけ、彼らとは一定の距離をおきながら、両国を除外した国際大戦略を再構築すべきであろう。

確かに石平氏が指摘するように、最近の中韓両国の日本への不当な発言や軍事的な挑発行為は目に余る。朴槿恵韓国大統領が日本に対して「加害者と被害者の立場は千年過ぎても変わらない」と言い切り、「未来永劫、被害者の立場から日本を恨み続ける」ような執念深さを吐露している。とても対等な外交関係で未来志向で友好関係を築こうという姿勢が見られない。

一方中国は尖閣諸島への領海侵犯を執拗に繰り返し、最近では潜水艦を継続水域に侵入させ挑発の度を高めている。さらに琉球独領有さえも唱えて基地問題で揺れる沖縄に揺さぶりを掛けている。

両国とも建設的な外交関係を築こうという意図がとても見えないどころか、敢えて日本を非難し続けるばかりで離反をけしかける態度を取っている。

ただ反日アジアといっても、中国、南北朝鮮だけであり、石平氏は周辺の国家は友好国が多くその関係強化を重視している。

インドやベトナム、タイやフィリピン、ミャンマーやモンゴル、それらの国々は日本との間で「歴史問題」や「領土問題」などの厄介な問題を抱えておらず、中国大陸からの膨張を食い止めなければならないという日本と共通した危機感がある。日本は今後、こういった「亜細亜の良友」と連携すればよいと思う。

さらには米国、欧州との伝統的友好関係やロシアとの関係修復を推進すれば日本の立場は盤石だ。

アジア外交を超えたより大局な戦略としては、米国との同盟関係を基軸にしてEUとの伝統的友好関係を保ちながら、もうひとつの大国・ロシアとの関係を深めるべきだ。「米・露・欧」という中国以外の世界の3極との強固な関係を構築できれば、日本外交の腰も据わってくる。

日本の政治家が過去の歴史に対して発言したり、靖国神社に参拝する度に、中韓が反発し一部メディアは「あまり中韓を刺激するような言動は慎むべきだ」と逆に日本の政治家をたしなめる論調を繰り返す。これは中韓が隣国で重要なパートナーだからという理由によるが、はたしてそれで本当に今後仲良くできるのか疑問だ。

石平氏のように、日本ばかりが低姿勢で中韓に接してもなんら明るい未来は開けそうにもない。必要最低限の関係は維持すべきだし民間レベルの交流を深めることは必要だが、自国の誇りを捨ててまで付き合うこともないように思う。

最近も韓国紙に「原爆投下は神の罰」というとんでもない記事が掲載されたが、韓国内であまりこれをたしなめる意見も聞かない。正直いって韓国人の民度の低さには呆れる。さらに韓国は日本以上の格差社会であるが、同時に経済の失速も囁かれている。本日、日本の株価が大暴落したが、これは中国経済の先行き不安が大きく影響しているようだ。日本に威圧的だが、自身が今後問題を多く抱えている国とはやはり一定の距離を置いて、周辺の友好国や欧米との関係を強化していくことが適策のように思えてくる。


ローマの松、イタリア人の誇り

2013-05-22 11:02:30 | 音楽

自分がよく聴くクラシック曲に「ローマの松」がある。イタリアの作曲家レスピーギ(1873~1937)が作曲した交響詩だ。交響詩は交響曲と違い形式にとらわれないで、思い描く詩想を音楽として自由に表現したものだ。「ローマの松」は、レスピーギが「単に松のことを描こうとしたわけではなく、松という自然を通して古代ローマへ眼を向け、ローマの往時の幻影に迫ろうという意図をもって」(ウィキペディア)作曲した傑作だ。

曲は4部に分かれてそれぞれの松からイメージした古代ローマの各名所名跡の情景が描かれている。特に第4部の「アッピア街道の松」はその迫力に圧倒される。古代ローマ軍の進軍がテーマだ。

「アッピア街道の霧深い夜あけ。不思議な風景を見まもっている離れた松。果てしない足音の静かな休みないリズム。詩人は、過去の栄光の幻想的な姿を浮べる。トランペットがひびき、新しく昇る太陽の響きの中で、執政官の軍隊がサクラ街道を前進し、カピトレ丘へ勝ち誇って登ってゆく。」

その執政官は古代ローマの英雄カエサルだろうか。大勝利に湧くローマ軍の凱旋行進。今残るアッピア街道の石畳が地響きするくらい激しい勇猛兵士の足音。当時世界に冠たる大帝国だった。レースピーギは古代ローマの栄光を通じて、イタリア人としての誇りを高揚させたことだろう。

確かに古代ローマはギリシャで生まれた政治形態や文化を集大成して、それが今日のヨーロッパ世界の源泉ともなった。「全ての道はローマの通じる」という言葉はそんな古代ローマの輝かしい物語を言い表している。

イタリアに限らず、どこの国でも誇るべき物語を持っている。それが民族の誇りアイデンティティともなって生きていく上での指針にもなっている。日本にも過去の輝かしい物語がある。明治から戦前までの時代もそうだ。しかし、現在もいまだにその時代を否定する論調が根強い。中国や韓国が日本は反省していないと騒ぎ立てる。余計なお世話だと思うが、もっと許せないのは日本人自身が過去の日本を糾弾することだ。

たとえば、慰安婦問題はそもそも日本人が焚き付けた側面が強い。旧日本軍の一軍人による虚偽証言、それを拡散した朝日新聞、弁護士たち、市民団体、左翼政党、非難決議を連発する地方議会、はてはカトリック教団に至るまで多岐にわたる。彼らは慰安婦の実態を調べることもなく、「人権」を盾に旧日本軍の「悪行」を非難し続ける。

遠いイタリア人の傑作を聴いてもこんな愚痴がでてしまう。考え過ぎかもしれない。早く純粋に美しい音楽として素直にこの交響詩に浸りたいものだ。


追記:レスピーギはこの「ローマの松」のようなローマをテーマにした3つの作品が有名だが、もう一つポピュラーな作品がある。「リュートのための古風な舞曲とアリア」という長たらしいタイトルの曲だ。

この作品も3つあるが、そのうち第3集がよく演奏される。第3集はさらに4曲で構成されている。特に自分自身第1曲の「イタリアーナ」(Youtubeでは最初の3分間)が大好きだ。優美で弾むような曲調は聴いていてワクワクする。


3つの架空被害

2013-05-21 14:50:33 | 国内政治

自分の過去のブログをいろいろ読み返すと、つくづく自分自身「ネトウヨ」すなわちネット右翼だなと実感する。「リベラル派」と称する人々が、現在の安倍政権の右傾化を警戒しているが、自分には彼らがいかにも左に偏っているようにしか見えない。自分の独断で敢えていわせてもられば、現在保守と反日左翼のせめぎ合いが続いているように思う。

その争点として特にメディアで火花を散らしているのは原発問題、沖縄基地問題、慰安婦問題であろう。そしてそれぞれには特定の被害が声高く反日左派から強調されて、保守派を攻撃していると考えている。しかし、彼らにとりそれは一つの便法であって最終的な目的は別のところにある。簡略化すると以下のようになる。

1、原発問題→被害強調:放射能による過剰な健康被害→最終目的:原発廃絶、原発輸出反対

2、沖縄基地問題→被害強調:オスプレイの欠陥性と墜落被害→最終目的;普天間基地移転阻止、沖縄の米基地全面撤去

3、慰安婦問題→被害強調:旧日本軍による慰安婦狩り、性奴隷として朝鮮女性虐待→最終目的:戦前の日本の体制を否定、その復活を阻止

各被害とも誇張や虚偽的な面が強く架空被害といった色彩が濃い。それを強調することにより、恐怖心や憎悪感情を国民に訴え、広く拡散させようとする。そして最終目的に共通するキーワードは「反日」ということに他ならない。

安倍政権は3つの争点に対して以前の民主党政権時代の迷走から抜け出し、再構築しようとして登場した。最終目的は日本再生である。反日色に凝り固まり、前政権では自分たちの主張がもてはやされ、わが世の春を謳歌していたに人々には、安倍政権は最も警戒すべき政権と見えてくるのだ。それはある面憎悪に近いものがある。

最近、沖縄選出の国会議員が自分のブログに「沖縄独立」願望を憚ることもなく激白したのもその一例だろう。安部首相の歴史認識でも中韓の反発にむしろ同調する動きが国内でみられるのもその反映だ。慰安婦問題では橋下徹大阪市長の発言ばかりが目立ち安倍首相はむしろ抑制気味だが、本心は橋下市長に近いところがあるのではないかと想像する。

ともかく安倍首相にはこの3つの「架空被害」を払拭してもらいたい。払拭しないとこれが国民の間にもやもやとして残り、日本再生の障害になってしもう。「ネトウヨ」(開き直り?)として心配する。