粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

アエラを買って読む「序章」

2011-10-11 00:05:25 | 煽り週刊誌

これまでいわゆる「煽り週刊誌」のうち、「週刊朝日」と「サンデー毎日」を独断と偏見で批評してきたが、今回はその第3弾になる。「アエラ」、10/17号380円だ。正直言うと私は一番アエラが始末が悪いと思う。一般紙で高級誌を装いながら、その実態は「放射能の危険」が事故以来定番になっている。私の記憶では「アエラ」と「サンデー毎日」が、一度も欠かしたことだない。「皆勤賞」である。

あの「週刊金曜日」でさえ、時々はずす。もちろん原発問題は毎週論じてはいるが、原発行政や東電の体質といった「本質」を問うものも多くまだ「良心的」だと思う。まして私自身、週刊金曜日は「専門誌」だと考えている。雑誌の立場が「反権力、反米、反核」を標榜しているのだから、始めからそういう雑誌として読めばいい事だ。ちょうど岩波書店の月刊誌「世界」と同じである。専門誌ともいえるし「機関誌」ともいえる。

その点、アエラは公平中立を装いながら明らかに親会社の朝日新聞に劣らず反権力・左翼的偏向がみられる。しかも全体が上質のコート紙を使い、いかにも高級誌にみせている。実際、都会の山の手のミセスを意識した記事も多い。しかしその実態は毎回が「放射能」「放射能」のオンパレードである。

週刊金曜日のようなもっと原発の本質を問うものはまずない。いわば「反原発」でも「下世話」に終始している。ときどき「子供」をキーワードに放射能の危険を煽る「禁じ手」まで行なっている。「福島の子供からの手紙」とか「脱原発のジャンヌ・ダルク」などと子供の純真さを前面に出して情緒だけで物事を論じたりする。原発問題を真摯に追求するのにそんな情緒は禁物のはずである。

アエラ今週号を論じるのに前置きが長くなってしまった。これ以上書くと目覚めが悪くなりそう?だから翌日に記事の話は回そう。