粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

郡山の少女からの投書

2012-04-05 09:16:41 | 福島への思い

4月3日付産経新聞の「談話室」という読者ページに福島県郡山市の少女(8歳)からの投書が掲載されていた。

【早く外で遊びたいです】

きょねんの春、げんぱつから、ほうしゃせんがでてきたときから、つらい毎日がはじまりました。

夏のたいようがもえるようなあつい日でも、まどを開けられず、家の中ではお母さんから「マスクをちゃんとして」「長そでのカーディガンを着なさい」といわれ、あつくてあつくてどうしていいかわかりませんでした。

一番イヤだったのは海のような青い空に真っ白な雲がうかんでいた日のことです。外であそぶにはさいこうのお天気だったのにお母さんに「外に出ちゃダメ」と言われたのです。

お母さんがイジワルで言ってるわけではないことは分かっていましたが、「うるさいな」と思いながら、かなしくなってしまいました。

お母さんは昼間は仕事で家にいないし、あつい家の中で一人であそぶのはとてもさみしく、苦しいです。

春がやってきました。はやく外であそびたいです。おねがいします。

8歳の児童の投書だから、全く他者の吟味がないかはわからないが、読んでとても少女の気持ちが素直に表現されているなと思えた。とかく、親の意向が働いたり、特定の市民団体の指示が背後にあったりするが、それもなさそうだ。それだけに彼女の置かれている厳しい現実を察し胸が痛んだ。

ここで東電や政府、自治体の姿勢を論ずるつもりはない。またこの母親の対応をとやかくいっても仕方がない。ただ大人は子供の胸の内が、本当のところはどうなのかを改めて思いやる必要があるだろう。その意味でこうした窮屈な生活は決して子供の情操教育にはよいはずがない。そのためには政府、自治体、学校など教育関係者が一部の偏向したメディアや世論に振り回されることなく、しっかりした科学的で実証的データに基づいて冷静に対応する必要があるだろう。まして「福島、郡山市に人は住めない」といった全く根拠のない自称「元ジャーナリスト」の発言など「百害あって一利なし」だ。

8歳の少女は今年学校が始まって、どんな春を迎えることだろう。外で思い切り新鮮な空気を吸って充分遊んで欲しい。青い空と真っ白な雲の下で。



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