粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

塩谷町長の問題ある提言

2014-11-09 16:42:56 | 過剰不安の先

高濃度の放射性物質を含む指定廃棄物は福島県以外周辺5県(栃木、群馬、茨城、千葉、宮城)では地元の最終処分場で処理することが決まっている。栃木県では、塩谷町が処分場と指定されたが、地元町長を始め町民が大反対している。挙げ句には町長自身が「指定廃棄物を福島第一原発周辺に集約すべきだ」だと提案して、波紋を投げ掛けている。

当然福島県側からは反発が出ている。福島では県内の廃棄物をまず東部の中間貯蔵施設に集約、処分をした上で高濃度の廃棄物を30年以内に他県に移送させることで立地住民が施設設置に向けて動き始めた矢先であったからだ。塩谷町長の発言はそんな福島県民の感情を逆撫でするもので到底受け入れられるものではない。

関東の電力を提供してきた結果、こんな事故にあって苦しめられているのに、今更勝手な理屈は許せない。そんな福島県民の怒りは自分自身理解できる。ただ、塩谷町民からすれば、栃木県でもなんで自分の町が最終処分場なのだ、他の町ではいけないのか、という気持ちが起るのは自然かもしれない。厄介物を抱えるだけで何のメリットもないという不公平感だ。

また、環境省の資料によると栃木県の指定廃棄物の総量は1万トン程度で福島県の12.7万トンと比べたら圧倒的に少ない。他の千葉、茨城、宮城はさらに栃木の3分の程度、群馬に至っては1186トンに過ぎない。その点では塩谷町長の「福島第一原発周辺で集約」という提案も必ずしも理不尽なものとは言えない。

しかし、政策というのも必ずしも全て合理性だけで片付けるられるものではないと思う。福島にとっては中間貯蔵施設であって30年以内に高濃度廃棄物は他県に移送するという前提で立地住民の容認が得られているのだ。したがって他県にはこの理解のため粘り強い説得をしていくしかないように思う。

そして、塩谷町長の提案理由(資料3ページ)で引っかかる箇所がある。「最終処分場ができると近い将来県北の市や町は消滅の危機に瀕します」として危険を煽っているのだ。最初の部分は風評被害を懸念する内容だが、後の方で「また、低線量の子どもたちへの影響を懸念する若い世代の人口流出は避けられません。最終処分場ができると、塩谷町は町として存続できなくなってしまうでしょう」としているのだ。被曝の健康への影響を語る際に必ずいわれる「子どもたちへの影響」がここでも登場する。

こうした提案に日頃反原発で鳴らすメディアやジャーナリストが沈黙を守っているのはどうしたものか。彼らは川内原発の再稼動問題には喧しいくらいに騒ぐが、県民間の複雑な食い違いには無関心を決め込む。原発事故では、再稼動云々よりはるかに重要で深刻な問題ではないかと自分は考えている。これを解決しなければ東日本の真の復興はあり得ないからだ。

お詫び:読者の方から「塩谷町」と表記すべきを「塩屋町」となっているとのご指摘がありました。ご指摘には感謝申し上げるとともに訂正しておわび致します。