粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

相も変わらず原発危険に終始する天声人語

2014-11-08 15:25:28 | 反原発反日メディア

本日8日の朝日新聞天声人語を読むと、「危険だからともかく再稼動反対」という反原発のイデオロギーが先行している。まさに結論ありきで記事を展開させる朝日新聞の体質は変わらないと改めて痛感する。(以下全文引用)

ある男が美しい妻と仲むつまじく幸福に暮らしていた。ところが、犬に脅かされて妻が狐(きつね)の正体をあらわす――。評論家の故加藤周一さんがかつて、本紙連載の「夕陽妄語(せきようもうご)」でこんな説話に触れていた。「噓(うそ)について」と題した一編だ

▼狐にだまされていたと知って男は驚く。しかし、だまされていたときの幸福を忘れられず、もう一度化けてくれと頼み、狐も応じる――。類似の民話は各地にあろう

▼狐が化けていた妻を原発に置き換えてみたい。福島の事故で安全神話のまじないは解け、正体が露(あら)わになった。それなのに昔が忘れられず「もう一度化けてくれ」と頼み込む。人の心の機微を突く古い民話は、現代の寓話(ぐうわ)でもある

▼鹿児島県の議会と知事が九州電力川内(せんだい)原発の再稼働に同意した。「地元の同意」を得て歯車は回りだす。経済優先の変わらぬ国政。動かすほど儲(もう)かるという電力会社の変わらぬ意識。地元経済の原発依存も変わらない。そうしたものが渦を巻いて、原発回帰へと日本を流していく

▼住民の避難計画も大きな不安を抱えたままだ。理屈ばかりで役に立たない訓練を畳水練(たたみすいれん)と呼ぶ。畳の上の水泳訓練の意味だが、その「理屈」にあたる計画作りも、国は地元に任せ切った格好だ

▼加藤さんの話に戻れば、もう一度化けた狐の妻と男は、その後幸せに暮らしたという。物語は美しく現実は厳しい。地震と火山の国の原発は、事あれば幾万の幸せをたちまち吹き消してしまう。福島から学んだ、つらい教訓である。

事故前の原発行政が国の経済を優先させ、地元経済も原発依存の体質だったことは自分自身も否定はしない。また、それを狐の妻が騙すように地域住民を騙したと例えるのも現実の安全神話の崩壊を考えれば無茶な論理ではないかもしれない。しかし、原発再稼動することが「騙された幸福が忘れられず、もう一度化けてくれ」と願うことなのか。

いうまでもなく川内原発は事故を起こした原発でもないし、運営する会社も違う。元々川内原発は福島第一原発よりも一段と安全面で改善された原発で過去に安全性で問題になったことはない。そして、原発事故が世界一と言われる新しい安全基準の審査にも通過し、事故の教訓に十分配慮している。どこに騙す狐が潜んでいるのか。

経済優先を天声人語は否定的に考えているようだが、しばしば言われるように年間4兆円近くに上る化石燃料の輸入で国富が失われている。さらにそれに伴う電気代の値上げは1度にと止まらず、再度実施せざるを得ない状況だ。これが国民生活特に中小企業の経営を圧迫するほどの深刻な問題になっている。

原発に代わる次世代電源と期待された再生可能エネルギーはその不安定な供給性からここへきて急激なブレーキがかかってきた。その煽りを食って、再エネバブル崩壊が現実のものとなっている。

報道で休耕田を利用して太陽光発電の事業を始めた農家が2億円の借金返済の目処が立てられず苦悩している現実を紹介していた。再エネの未来を囃したてたのは誰なのか。朝日を始めとした反原発メディアではないのか。それこそ再エネで投資した農家にとってみれば、まさに狐に騙された心境でだろう。「福島で学んだつらい教訓」などといってられない。

しかし、朝日新聞はそんなことおかまいなしに「地震と火山の国の原発は、事あれば幾万の幸せをたちまち吹き消してしまう。」などと大上段に構えて反原発原理論で押し通す。この原則からすれば、どんな厳しい安全基準で綿密な審査を施しても朝日は納得することはないだろう。安全云々よりもともかく原発危険、再稼動反対ありきだ。危険を相対化する思考がないところに原発問題での受容はありえないのだ。