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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

週刊朝日のやけっぱち

2011-10-21 00:06:05 | 煽り週刊誌

今回の世田谷放射線問題の顛末をきちんと取り上げたのは週刊新潮だけであった。ほかのメディアは大方黙りを決め込んだが、中には開き直って騒動を自分たちの都合のいい結論に導きだすところもあった。典型が週刊朝日である。騒動の経過を紹介した後は保坂世田谷区長のコメントで結んでいる。「ホットスポットの調査を国や東京都は真剣にやろうとしない。都内の放射線は問題ないからという理由一点張りで、全て末端の区や市町村まかせだ」という内容である。当然週刊朝日の記事の結論もそれに沿うものになっていた。

「朝日の立場」からすれば新潮の「放射能ヒステリー」などの結論を導きだすはずがないことはわかっている。しかしこの期に及んでも国や東京都を批判して反原発派の世田谷区長をかばう「えげつなさ」には正直辟易してしまう。

確かに国や東京都はこのホットスポットに関して消極的だ。しかし都内を満遍なくすべき問題だろうか。いちいちやっていたら行政に支障が出るくることは明らかだ。ホットスポットはあくまでも「スポット」に過ぎない。なんでも「国が、東京都が」と騒ぐのも問題だと思う。

週刊朝日の記事は世田谷区長のコメントをあらかじめ当てにしていた節がある。それによって世田谷騒動での「失策」を挽回しようとあらかじめ目論んででいたとしか思えない。メディアなんて所詮そんなものだと思えばそうなのだが。


健康被害はあるのか

2011-10-14 00:21:48 | 煽り週刊誌

くどいようだがまたアエラである。「消えた1枚のファックス」というタイトルの記事だ。国の原子力災害対策本部(菅首相が本部長)に対し原子力安全委員会が3月の原発の水素爆発の際、原発周辺の住民に「安定ヨウ素剤を提供させるように進言する」ファックスを送ったようだ。しかし対策本部はそのファックスをないがしろにした結果、子供たちの「甲状腺被害」を起こしてしまったということだ。しかし対策本部は「受け取っていない」と主張して意見が食い違っている。

私はここで両者の責任の所在を論ずるつもりはない。確かに「安定ヨウ素剤」を十分に福島の子供たちに配った方がよかったのにこしたことはないだろう。しかし実際は本当に「甲状腺被害」を引き起こすほどの事態だったのか。そもそも被害があるのか。

アエラが「被害」の根拠としているのが、最近公表された信州医科大学での福島県の子供たちの検査である。つまり子供130人のうち「一人が甲状腺ホルモンが基準値を下回り、 7人が甲状腺刺激ホルモンが基準値を下回った」という例の報告だ。しかし「甲状腺の機能に異常がなったし、原発事故との関係もはっきりしていない」のが実情だ。

もうひとつ別の3月に行なわれた調査も有力な根拠としている。つまり福島県の住民1,149人のうち甲状腺被曝測定したら「44.6%が被曝したことが認められた」という国の対策本部の発表だ。しかしアエラはご丁寧にも「医療措置は必要でない」ともいう対策本部の方針も紹介しているのだからこれまた弱い。

以上2つの検査そのものが「甲状腺被害」と定義づけるのはあまりにも根拠が希薄であることがわかる。札幌医科大学の高田純教授の証言によれば福島県民の甲状腺被曝量はチェルノブイリの1千分の1から1万分の1だともいわれている。単に被曝したとか、甲状腺ホルモンの数値が少し基準以下といってもそれだけでは問題にならずで、決して「被害」とはいえないというのが私の感想だ。はっきりいって現段階で原発作業員はともかくとして一般市民には甲状腺を含めて「健康被害」は起きていないと考えてよいのではないか。将来はどうかといえば確かなことは言えないが、長崎大学の長瀧教授や広島大学の星教授の研究からしても問題にするほどではないと信じている。

その点からすればアエラの「被害」云々は明らかに事実を逸脱している。しかしアエラの嫌らしいところは記事中に自分たちの主張と反する意見もちゃっかり載せていかにもバランスを取ろうとすることだ。しかし大見出しや全体の記事のトーンはあくまでも自分たちの思惑を強く反映させていることには変わりはない。


芥川賞女流作家の苦悩

2011-10-13 00:08:33 | 煽り週刊誌

金原ひとみといえば3年前に「蛇にピアス」で芥川賞を受賞した女流作家として知られる。彼女の作品を読んだ事も映画化されたものも見た事はない。知る限りでは作品の主人公が舌にピアスをしたり背中に入れ墨をしたりすることに興味を持つ、ちょっと危ない現代風の女性だということ。これは当然彼女自身を反映していると感じていた。

しかしアエラ今週号に掲載された彼女の手記は、そんな作中のドライな感覚は微塵もみられず、二人の幼い娘の放射能汚染を案ずるひとりのそれも過敏な主婦にしかみえない。原発事故の時に妊娠中で影響を心配する夫の勧めで東京から夫の地元の岡山に「疎開」し、無事に次女を出産した。しかし岡山にいても「放射能からの恐怖」からは逃れられず、逆にますばかりのようだ。手記にはこう綴られている。

乳中のため内部被曝には特に気をつけている。肉と魚は輸入品。野菜は岡山以西のものを選ぶ。パンや飲み物、粉ミルク、おやつは外国産のものをインターネットで購入。保育園には弁当と出納とおやつを持参する。外食はほとんどしていない。

『安全だ」というニュースを見ていると本当に安全な気がしてしまうし、どんどん考える力が萎えていってしまう。ネット上でも必要な情報が得にくくなったきたと感じてからは、海外のニュースを見るようになりました。心が折れそうになるたびに、ユーチューブでチェルノブイリ爆発事故関連の動画や、児玉龍彦さんや小出裕章さんの講義を見ています。

私自身、ときどき人の言動を自分の基準で見てしまうことがある。特に若い主婦の放射能恐怖にはしばしば首を傾げてしまう。しかし本人にとっては目の前の幼子をみれば、なんとかこの児を放射能から守りたいと思うのは本来の母性であってけっして他人が云々すべきものではないと自戒している。

しかしこの女流作家のコメントには、それでも疑問を覚えずにはいられない。岡山へ疎開してなおもこれだけ心配する必要があるのか。安全であると思うことが「気持ちが萎える」ことなのか。彼女はむしろ物事を悪く考えることで心の拠り所をみつけようとしている。そしてついにはあの児玉教授や小出助教など特定の立ち位置の人々だけの声に耳を傾けてしまう。

それでも一度は東京に帰ってみたこともあるようだ。しかし、普通の母親の鈍感さに絶えきれず疎外感を感じて2週間で岡山に戻ってきてしまう。

雨の日に抱っこひもに次女を入れ、長女に「絶対に傘から出ないで」とがみがみ言いながらタクシーまで急ぐ道を、他の親子が傘もささずにワーと走り抜けていくのを見た瞬間、「なんか無理かも」と思いました。

岡山に戻って大分落ち着いたようだが、それでも「放射能の影響は何十年つづくかわからない」と不安は消えない。「もっと西にいくことも、海外に行くことも検討しています」ということだ。

しかし彼女が海外に移って果たして心の平安を得ることができるだろうか。話に聞けば日本よりも通常時放射線量が高いところのは多いようだ。不安は絶えないだろう。

ずいぶん前のある日、ものすごい悪夢を見て、ゼイゼイいいながら跳び起きたんです。自分の手違いで汚染されたものを食べさせて、子供が被曝させてしまった。どうしようという夢。ああこれが私の生きている世界で、もう後戻りできないんだと実感しました。

悪夢にまでみる放射能汚染、自分が子供たちへの汚染を防げなかったという自責の念が消えないようだ。ここまで手記を読むともはや、単なる放射能アレルギーを超えて、精神的病理の世界へ踏み込んだとしかいいようがない。


アエラを買って読む「煽りの車窓から」

2011-10-12 00:02:26 | 煽り週刊誌

アエラの第1特集が「食品の放射能検査17都道県での実施状況」だ。記事によると政府が東日本の17都道県の約700市町村に食品の検査を指導したが120市町村が検査を一度も実施していなかったと「驚いている。」

しかし内容を見ると岩手県、青森県、秋田県、静岡県、長野県・山梨県のそれぞれ一部である。これらの県は岩手県の牛肉と静岡のお茶を除けば食品に暫定基準値を超えたものはなく出荷規制された食物はない。周知の通り岩手の汚染牛のエサは宮城県の稲わらであった。お茶に関していえば基準数値そのものに問題があることを9日のブログで疑問を呈した。

こうしたなか、記事でも新潟大学の教授が指摘するように「(日本の土壌の性質上)今後は、野菜からそれほど高いセシウムが検出されることではないのではないか」と結論づけている。つまりこれら「不検査」の市町村に基準値以上の放射性物質が検出される可能性、特に野菜は極めて低いといえる。

そこでアエラの矛先は果物に移る。8月にゆずが基準値を超えたが、それ以外の秋の味覚モモやナシ、ブドウは検出されていない。これらは主に落葉樹で事故当時葉がなく汚染を免れたと分析している。またもや空振りだ。

最後にアエラは隠し球をだす。キノコ類だ。記事によればキノコ栽培に必要な菌床を含む原木やそれを砕いて粉末にした「おが粉」の全国一の生産県が福島県でそれが全国で出回っているという。政府が8月に福島の原木やおが粉の流通に規制しようとしたが、それ以前のものはすでに市場に流れてしまったと警告を発する。「牛肉の稲ワラの二の舞」になりかねない…と。

ただ四国徳島県の第3セクターが福島県から取り寄せたおが粉から1キロ当たり最大410ベクレルが検出されたというが、栽培されたキノコそのものがどの程度の数値になっているのか記事にはない。さらに秋田県で福島産おが粉を使ったナメコからキロ当たり5.2ベクレルのセシウムが検出されたというが「トーンダウン」も著しい。

もちろん現在のところ安全性を軽視するわけにはいかないが、今週の第一特集にしては、それこそ羊頭狗肉、あるいは竜頭蛇尾といった見かけ倒しの感を免れられない、というのが私の感想である。

第2特集、今度は魚介類の汚染である。タイトルが長たらしく日本語としてどうかかなと思ったりする。

「もう『危ないかもしれない』を避けるしかない…魚介類100種の安全指数」だ。

ご丁寧にマグロ、カツオ、サバなどの魚を始めエビ、カニ、タコ、イカ、貝さらに海藻などあらゆる魚介類100種で「宮城、福島、茨城、千葉」4県で捕獲・採取される比率(昨年度実績)を築地市場と全国レベルで算出している。つまり築地に出回っている魚介類のうち4県を除いたシェアをA類、全国産出量から4県を除いたシェアをB類として数字をだしている。

それによるとA、Bとも大半は90%前後と今年であっても「安全度」は高いが、カツオはAが38%(Bは86%)ワカメはAが42%(Bは95%)と築地市場で「不安」な食品も一部ある。しかし、この数字福島県はともかく宮城、茨城、千葉を含めているのには疑問を感じざるを得ない。というのも同じ記事で紹介されている資料には原発事故後に魚介類で暫定基準値を超えたものが列挙されている。それによれば63品目中58品目が福島県内あるいはその沖でとれたものだとわかる。残りは5品目のうち4つは群馬県前橋市の赤城大沼の淡水魚で残り一つが茨城県日立市沖のエゾイソアイナメ(キロ当たり540ベクレル)である。つまり千葉、茨城、宮城の「3県」でいえば、1品の例外はあるものの全く魚介類は安全といってよいレベルだ。

残念ながら福島県産の魚介類が風評被害を含めてほとんど市場に流通していない現実を考えると、福島県と隣県3県を同一比するのは問題が多すぎるといえる。福島県をを除いた海産物の今年の数字はA、Bともほぼ「安全指数100%」になるのではないはないかというのが私の印象である。

以上アエラ今週号の特集を見てきたが、放射線医学と食品汚染の素人である私でも、記事の大見出しと実際の内容に落差を感じてしまう。見る方が意地悪いといわれればそれまでだが。記事そのものはウソは少ないが、大見出しだけを見た人は放射能に対する偏見だけを増幅させてしまうのではないか。もしそれを週刊誌が意図していないとしても、結果的には思惑通りになってしまう恐さがある。そんな事を改めて考えた今週号であった。




アエラを買って読む「序章」

2011-10-11 00:05:25 | 煽り週刊誌

これまでいわゆる「煽り週刊誌」のうち、「週刊朝日」と「サンデー毎日」を独断と偏見で批評してきたが、今回はその第3弾になる。「アエラ」、10/17号380円だ。正直言うと私は一番アエラが始末が悪いと思う。一般紙で高級誌を装いながら、その実態は「放射能の危険」が事故以来定番になっている。私の記憶では「アエラ」と「サンデー毎日」が、一度も欠かしたことだない。「皆勤賞」である。

あの「週刊金曜日」でさえ、時々はずす。もちろん原発問題は毎週論じてはいるが、原発行政や東電の体質といった「本質」を問うものも多くまだ「良心的」だと思う。まして私自身、週刊金曜日は「専門誌」だと考えている。雑誌の立場が「反権力、反米、反核」を標榜しているのだから、始めからそういう雑誌として読めばいい事だ。ちょうど岩波書店の月刊誌「世界」と同じである。専門誌ともいえるし「機関誌」ともいえる。

その点、アエラは公平中立を装いながら明らかに親会社の朝日新聞に劣らず反権力・左翼的偏向がみられる。しかも全体が上質のコート紙を使い、いかにも高級誌にみせている。実際、都会の山の手のミセスを意識した記事も多い。しかしその実態は毎回が「放射能」「放射能」のオンパレードである。

週刊金曜日のようなもっと原発の本質を問うものはまずない。いわば「反原発」でも「下世話」に終始している。ときどき「子供」をキーワードに放射能の危険を煽る「禁じ手」まで行なっている。「福島の子供からの手紙」とか「脱原発のジャンヌ・ダルク」などと子供の純真さを前面に出して情緒だけで物事を論じたりする。原発問題を真摯に追求するのにそんな情緒は禁物のはずである。

アエラ今週号を論じるのに前置きが長くなってしまった。これ以上書くと目覚めが悪くなりそう?だから翌日に記事の話は回そう。