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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

煽り週刊誌の終焉

2011-11-29 00:04:27 | 煽り週刊誌

11月28日は原発事故報道の記念日になるかもしれない。というのも煽り週刊誌の最後の砦アエラで今週号にて放射能記事が消えたからだ。サンデー毎日が先週から「平常記事」に戻りアエラの帰趨?が注目されていた。思えば放射能の煽りの先駆は3月19日発売のアエラ「放射能がやってくる」の特集記事だった。当初防毒マスクの表紙がどぎつく「風評被害」を煽ると世間から批判された。当時アエラの編集長がラジオのレギュラー番組で「風評被害を煽ることは真意ではないが、そのような誤解を与えたとしたらお詫びします」と答えつつ「記事の内容には自信がある」との強気なところも示していた。確かに原発事故での放射能物質の放出は東日本の広域に及びある面ではアエラの主張は正しかった点もあるだろう。それで気を強くしたのかその後は放射能の「驚くべき」「とんでもない」あるいは「無視できない」数値を報道し続けた。一時週刊現代などの、より過激な煽り週刊誌が現れた関係でアエラの「露出」も相対的に薄くは見えた。しかし週刊現代が7月に通常記事に戻ったのを皮切りに次々煽り記事は消えサンデー毎日とアエラを残すのみとなった。テレビ情報番組でもそれに比例するかのように放射能報道が激減していった。

そしてここへきてアエラの「撤退」だ。偶然にも福島第一原発の吉田所長が病気を理由に原発現場を去ることになったことを報じていた。まさかアエラの記事を見て辞任したわけでもないだろうが。

自分自身原発事故以来煽り週刊誌に疑念を持っていて毎週週刊誌の新聞広告をチェックしてきた。たぶん新聞広告だけを見ると見出し記事が過激なものが多い。これだけだと一般の読者特に小さい子供を持つ主婦は必要以上に放射能の恐怖を意識するのではないかと心配してしまう。アエラなど実際読んでみると見出しほど深刻でないものが多くその「羊頭狗肉」ぶりにはうんざりする。しかし多くの人は広告だけで判断してしまうのではないか。そんな煽りの記事が消えたことは大いに歓迎したい。

もちろん原発事故の傷跡はこれで消えたわけではなく依然深刻な点があることは事実である。しかしいまこそ煽りから離れて冷静に現実を直視すべきだろう。ちなみに最近の福島県内の放射線情報を見てみる。原発20km圏内の数値は場所によってかなりばらつきがある。一番高いところで毎時68.7マイクロシーベルト(双葉郡大熊町夫沢、3.0km西南西)一方で毎時0.5マイクロシーベルト(双葉郡浪江町北畿世橋、8km北、他)と相当低いところもある。反面20km圏外でも毎時33マイクロシーベルト(双葉郡浪江町赤宇木手七郎、24km北西)や毎時10.8マイクロシーベルト(相馬郡飯館村長泥、33km北西)と原発の北西方面で依然高い数値になっている。

したがって今後除染活動が本格化するであろうが、こういった細かなモニタリングをもとに実施されるはずだ。自分はいずれ福島県ほぼ全域で時期の差はあれ除染によって間違いなく通常の生活に戻れると信じている。まして首都圏のホットスポットなどさほど問題にすることはないと考える。この際煽り週刊誌は改心して罪滅ぼしに?避難民早期帰還のためのキャンペーンをはるくらいして欲しいものだ。いまだ「30km圏内は住めない」などとうわ言をいっている妄想好きなY.T君などがいるくらいだから。

お詫び:原発20km圏内の線量の数字(低い地域)に誤りがありました。お詫びして訂正します。(本文中訂正)


山本太郎君のインタビュー

2011-11-05 11:36:17 | 煽り週刊誌

週刊金曜日」を初めて購入する(580円)。アエラなど他の煽り週刊誌は見出し記事2,3個が原発関連であとは「通常記事」なのに対して、こちらは半分以上が原発関連で埋め尽くされて「読み甲斐」がある。

そんな中「俳優にして反原発活動家」で話題の山本太郎君のインタビュー記事が掲載されている。彼が言うのだから間違いないのだが、収入は以前の「10分の1」に減ってしまったようだ。銀行の融資も受けられない。一連の活動で芸能界から干されたせいと嘆くが、これは単に事務所を自分から止めて無職になったのが原因だと思うのだが。まずは就活、そして担保。

「吉永小百合さんや西田敏行さんが反原発の発言をしても「干されない」のは「かれら彼女らぐらいまでいくと無敵ですよ…」とその存在の違いを指摘するがはたしてどうか。「黙ってテロ国家の片棒をかたげぬ」(Twitter)と決めつけ文部科学省での反原発デモに参加する山本君のような言動をこれら有名俳優と比較する自体が見当違いではないか。小百合さんもこれには苦笑するほかないだろう。

そんな彼だから行動に走らない芸能人に対しては「最近テレビを見ても感動しないですね。彼ら彼女らの演技を見ても、歌を聞いても。そんなスタンスの人たちに愛が歌われても響かないですよ。本当の愛を歌っていない」とまでいう。山本君はどんな歌を歌うのだろうか。男スーザンボイルになって観衆をうならす?

「逆境」にもめげない彼のことだからいまだ反原発活動に意気盛んだ。

福島県での女子駅伝の中止と集団疎開裁判を突破口に高線量地域の子供たちを動かすところにつなげたい」と当面の抱負を語る。さらに「(核廃棄物の最終処分場について)三十キロ圏内を国有地にして、置場にするしかないと考えていて、地元の人の考えを知りたくて現地に聞きに行きました。…南相馬で聞いたら『俺たちだって、二十キロ圏内なんて住めるとは思っていない。置場にすべきじゃないか』と言ったんです。…福島の人たちがどういう想いなのかは、実際に聞かないとわからないですね、と彼の持論と現地での印象を吐露する。

やはり彼の中に反原発活動家としての典型を見ることができる。30キロ圏内すべて危険地域とみなす過激な原発被害認識。そして住民もそのことに絶望しているに違いないという勝手な思い込み。ここには「福島再生」という前向きな志向は決して見いだすことはできない。

彼の反原発論はさらに遠大な展望へとつづく。

おそらく民意と国がやることは、真逆です。ここははっきりさせるためには国民投票しかないと思っています。…区切りをつけられない運動だったら意味がない。市民運動が大きなうねりになって日本を変えられないのであれば、北半球にはいられないと思いますね。だけどそのままでは日本を見捨てられないので、日本の外に出て人を逃がす方法を編み出したり、環境を勉強することを考えています。

せいぜい勉強してほしい!頭を冷やしながら。でも冷やせるかな?なにしろ彼の被害妄想は「地球的規模」だから。M78星雲・光の国からウルトラマンを呼ぼうなんて言い出したりしないだろうね、山本君?



物づくり日本の将来

2011-10-28 00:26:41 | 煽り週刊誌

最近ブログでアエラ関連が多くなった。正直この雑誌は好きでない。結果的に批判したり皮肉ったりする。本当は本望ではない…?(なくはないか)それでも何か注目すべき記事はないかと探そうという気持ちはある。でもあまりないのは自分の欲するものと方向性が若干違うからかもしれない。

そんな中ひとつ気になったコラムがあった。養老孟司東大教授の「江戸時代が長く続いた理由」がそれだ。教授によれば、江戸時代ではエネルギーになるものは乏しかった。当時はまきや炭が中心で木材を乱獲できず結局少ないエネルギーで暮らすほかなかった。

それでも生活できていたのは、人間が持てる財産、すなわち人間の能力を最大限に生かしたからにほかならない。…当然ながら、能力の高い人間を見つだす必要がある。「人を見る目だ」

それが時代の活力を維持し続けた。

かしながら今の時代は人を見る目はさほど必要とされないという。たとえば田んぼをいまは耕耘機で耕すが、これを動かすのは石油であって人間でない。

20世紀、アメリカが強国になったのは、大量に石油をもっていたからである。持っていたばかりでなく、石油をつかうシステムを考え出した。

しかしその結果どうなったかというと

カネだけの社会になった。カネだけというのは、実体経済で言い換えればエネルギーである。エネルギーを上手に使ったやつが出世する。そのものさしで人間を計ったとき人間の価値はゼロに近い。あの国の物づくりの能力が落ちて産業が空洞化したのもこのせいであろう。

と結んでいるしかしこんなエネルギーを国力と見なす「あの国」(アメリカ)にここへきて強敵が出現した。中国である。いま両国が世界の資源とりわけエネルギーの中核である石油を巡って激しい争奪戦を繰り広げている。中東のイラク戦争や最近のリビア政変とてこれに無縁ではない。

その中国もアメリカ同様「ものづくりの能力が落ちて産業が空洞化」する危険をはらんでいるのは間違いない。

日本はしたがって今後エネルギー偏重ではなくあくまでも物づくりに努めねばならない。ただし江戸時代と根本的に違うのは鎖国で自給自足だけで生きていけないことだ。よくも悪くも外国との通商を前提に考える必要がある。ただ単に「物づくり」だけでは十分ではない。よく例に挙げられるのは携帯電話の「ガラバゴス化」だ。単に機能的に優れているばかりでは世界市場の欲求を満たせない。そこが落とし穴となる。昨日のテレビでアパレル業界の社長が「企画力と感性がこれから必要だ」と語っていたが確かにそうである。単に製品に「付加価値」を付けるだけではこれからの世界での競争には勝てない。それ以上のものが必要だろう。

養老教授はアメリカの産業は空洞化していると述べているがしかし決して侮れない。たとえばアップルのアイフォーンはなんと世界の携帯電話の利益の半分を占めているという。アップルは単に物づくりのみならずそれを介しての新しい生活スタイルを創造した。自動車でこれから主流になるであろう電気自動車でもIT大国のアメリカのこと、その動向は見逃せない。

ところでカラーテレビのシェアー競争で韓国に日本が遅れをとってしまうのはある面やむを得ないことであり、決して悲観することではないと思う。物づくりで日本は人間の能力を最大限生かして「企画力と感性」で常に先進性をめざして突き進めばそう簡単には追いつかれないのではないか。江戸時代に能力重視で活力を維持したように。



身体の中を除染する食品

2011-10-26 00:07:40 | 煽り週刊誌

「ある雑誌」によればリンゴを乾燥・粉末にした製品が体内の放射性物質を「すみやかに対外に出す」との評判から事故以降注文が殺到していると言う。チェルノブイリ事故ではリンゴのエキスが体内のセシウムを取り除くことが「報告」されたためらしい。特に皮と果肉の間の有効な成分があるという。ただし3歳以下の子供は大人の量では逆に身体に必要なミネラル分も排出してしまうので大人の半分以下にする必要がある。

他にも甲殻類やキノコに含まれる「キトキン」を化学処理したサプリメントも動物実験で放射性ストロンチウムを除去する効果が報告されている。昆布、野菜、大豆、味噌、ブドウ、ワイン、牛乳などに含まれるエキスも同様に除染の効果があることが知られている。

ただこれらの食品は動物実験での研究結果がほとんどだ。この場合高線量の被曝には適しても、今回の事故の低線量の被曝で人間の場合効果が実証されていない。子供にサプリを与えてはいけない。むしろ飲んだ方が悪いときだってあるようだ。また冒頭に挙げたリンゴの場合もベラルーシでの66人によるリンゴのサプリメント飲料の研究で限定的だ。「リンゴを食べれば同じような効果が出ると証明されていない」という。

放射線のよる身体の影響でもっとも恐いのは癌だが結局「食生活の改善」によって減らせれるということだ。そのためには野菜や果物を1日400グラム、バランスよく摂ることだ。放射線汚染が心配で野菜の摂取を減らすと、むしろ癌の発生を増やす可能性がある。……

「ある雑誌」と珍しく意見があった。でもその後がいけない。記事中に登場する専門家の「これらの(食品エキス)摂取で被曝が減らせるのか、低減対策についてももっと積極的に研究するべきだ。」という証言に対して「東電社員の給料を民間企業並みに引き下げれば費用はまかなえるはずである。」なんていうのはちょっと悪のりが過ぎるんじゃないだろうか、アエラさん?


アエラ編集部員のビール

2011-10-25 00:08:37 | 煽り週刊誌

相変わらず煽りのアエラ、今週号は「セシウム花粉が飛んでくる」だ。つまり杉や檜のセシウム入り花粉が来春飛散して「被曝の恐れ」があるというものだ。記事の説明ではこうだ。原発事故で山林の杉や檜の葉にセシウムが付着していてそれが枝に吸収される。さらにやがて雄花の花粉に移行する。植物はカリウムを栄養分として吸収するがセシウムはカリウムと性質が似ていて勘違いしてセシウムを吸収するというものだ。その根拠としてこの夏の新茶の汚染をあげる。当初原発事故当時旧葉に付着したセシウムが新葉に移行したというわけだ。

これだけ読むとさもありなんとも思うが記事に登場する専門家が指摘するように問題は「その量や質」だ。そこでまたもアエラは煽りをトーンダウンして逃げ道をつくる。

際どの程度の放射線量をもつ花粉が飛散するのか、現段階ではわからないが、防護対策については多少安心できるかもしれない。としつつ記事中の専門家の言葉として

「通常の花粉症対策をすれば大丈夫でしょう。セシウム花粉の放射線量はある程度希釈されているので、それほど高くないと推測できるからです」と結論づけている。

な~んだ、心配することはないのか!

それも一番セシウム花粉を心配する学者にしてこんな感じだ。ご丁寧に「花粉などへのセシウムの移行はないという専門家も少なくない」とセシウム花粉そのものを疑問視する意見も付記している。

自分もこちらの立場に賛同したい。そもそも事故でどれだけ杉などの葉に付着しているのか疑問だ。たとえ付着したとしてもそれがどれだけ来春の雄花の花粉に移行するのか。さらにどの程度それが我々のところに飛散するのか。それぞれの段階でどんどんセシウムの量が減少していくことは充分考えられる。

それはともかくアエラの記事はいつもこんな調子だ。見出しを見ると驚くが読んでみると「がっかり」する。危険なくらい超美人の見合い写真、それを当てにしたら実はドブスのお姉ちゃん、失礼!それにしてもよくも毎週煽りの題材を探してくるものだと感心してしまう。編集長はともかく編集部員はこういった記事につきあわされて日頃どう思っているのだろうか。自分も以前雑誌の編集の仕事をしたことがあるが、こんな煽り記事ばかりでは仕事の後のビールはまずいだろうなあと他人事ながら心配してしまう。