goo blog サービス終了のお知らせ 

粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

1年前の煽り週刊誌

2012-09-01 13:09:13 | 煽り週刊誌

昨日は週刊文春の報道姿勢の変貌について書いたが、本日はかつて「煽り週刊誌」とされた数誌のちょうど1年前の記事内容を振り返ってみたい。特に原発、放射能関連を取り上げてみる。


<アエラ2011年9月5日号>

ふつうの子供 産めますか福島の子どもたちからの手紙

100ミリ説作った機関前身は広島・長崎被爆者を調査した米機関

原発のある日常 「幸福感」の行方『「フクシマ」論』著者が「3・11」後を書く

<週刊朝日2011年9月9日号>

これが究極の放射能フリー食

<サンデー毎日2011年9月4日号>

放射能汚染地図が示す盲点「東北6県100地点」

放射能と食「秋の魚は大丈夫?」

<週刊文春2011年9月8日号>

除染の影響は子供たちに フクシマの切なすぎる新学期(グラビア)


以上、煽りのオンパレード、特にアエラの「ふつうの子供産めますか」には寒気でぞっとする。美人女優が微笑む表紙とは落差がありすぎる。原発事故から半年の頃、いまだ放射能の恐怖が盛んにこうしたメディアから流された。

実際雑誌を購入して読む人は少ないかもしれない。しかし新聞の雑誌広告や電車の中刷り広告でこうした週刊誌の見出しを見るだけで暗澹たる気持ちになる人は少なくないだろう。特に小さい子供を持つ母親や若い未婚女性にはインパクトが大きいだろう。

しかしそれから1年経った今、それが煽りで意図的な側面があったのが明るみになってきた。こうした週刊誌の報道行為は原発事故の「2次災害」と呼んでもいいのではないか。いたずらに放射能の恐怖を煽って人心を惑わし、風評被害を拡大させた責任は大きい。最近の反原発デモの根底にもこうした煽りに感化された側面があると思う。

冒頭に挙げた4誌の他に、当初毒々しい記事を毎週大特集に組んで盛んに流した週刊現代がある。この週刊誌は煽り度では最も悪質かもしれない。しかし、なぜか昨年の8月(13日号)にはいって原発、放射能恐怖特集が姿を消した。その後全くといってよいほど見かけない。それを取り上げる事がタブーであるがごとく。編集長が変わったという話も聞いていない。

この豹変ぶりは一体なんだろう。「煽り逃げ」というべきなのか。よく週刊誌は政権政党のマニフェスト違反を取り上げてその変節を批判するが、これでは言えた義理ではない。原発事故以来いろいろな事故調査委員会が立ち上がり、東電や政府の体質を批判しているが、こうしたメディアの「2次災害」を検証するのは見た事がない。今はかつての煽りなどなかったように他人事を装っているが、今後もっとこれらの煽りメディアの責任に焦点を当てるべきだろう。


本来の報道姿勢に戻った週刊文春

2012-08-31 14:23:50 | 煽り週刊誌

最近の文春は、昨年から今年の始めにかけての「煽り」偏重から従来の姿勢に戻ったようだ。編集長が変わったことが大きい。前の編集長の頃は現代やアエラかと見間違うほど、原発、放射能危険情報のオンパレードだった。特に上杉隆氏やおしどりマコ女史といった訳のわからない素人「ジャーナリスト」を執筆者に採用して、世間の不興を買ってしまった。

今週9月6日号「反原発デモ野田官邸にのり込んだ11人の正体」の記事は、かつての文春記事の煽りにいらだっていた者としては久しぶりに溜飲をさげた。

記事によると、デモを仕切っているといわれる、ミサオ・レッドウルフなる女性は、イラストレーターでミュージシャン、西洋占い師、果てはストリッパーで腕には刺青という得体の知れない?人物。まあそれは敢えて目をつぶるとしても、彼女が発する攻撃的ツッターはいただけない。

反対運動で動いたりデモや抗議に参加している仲間がその過労や心労のせいで病気になったり死んだりしたら、ぬくぬくと高給とって原発推進しているあんたらを殺すからね。

野田首相と面会した他のメンバーもパンクロッカーやベ平連礼賛学者と異色な人物が名を連ねる。彼らが決して民意を代表していないのは、その主張が「原発即ゼロ、再稼働反対」で凝り固まっていて、政府が提示する案の一つ「2030年ゼロ」とは相当開きがあるからだ。おまけにこんな過激な物言い、とても国民の民意を代表しているとは思えない。

記事の最後は、今回の首相面会に異議を唱える社会学者の橋爪大三郎東工大大学院教授のコメントで締めくくられる。

「デモが直接に政治的効果を求めることは危険です。なぜならデモに参加する人は多数でも、国民の中では絶対的少数なのです。絶対的少数が、最も効率よく政治的インパクトを持つ手段がテロです。デモも同様の効果をもつとしたら、少数派はみなデモに走り、言論の自由の範囲を逸脱する。議会を飛び越して首相に狙いを定めている点は天皇を直接動かそうとした2・26事件とも似通っている。今回が危険な前例になるとは思いませんが、危険な前例の一歩であるとはいえるでしょう。」

記事の本文とは別に櫻井よしこ氏の寄稿文が掲載されている。内容的には橋爪教授とほぼ趣旨は一緒だが、一つだけ紹介しておこう。

坂本龍一氏の「たかが電気」発言に象徴される、電気が社会の根幹をなすものであることに目をつぶり、お祭り気分で反原発を煽る一部の人たちと会うことが、国民の要求に答えることではありません。野田首相は「サイレントマジョリティ」の声にこそ、もっと公平に耳を傾けるべきです。

櫻井さんや橋爪教授のこうした主張はなかなか今のメディアで見聞きすることはできない。しかしそこは文春、本来の硬派ジャーナリズムの意気を示してくれた。


セシウム花粉というフィクション

2012-03-18 09:04:41 | 煽り週刊誌

報道によると、東大の研究所の調査で、東京、福島の一般市民のマスクに付着した花粉からは放射性セシウムは検出されなかったという。土ほこりから微量のセシウムが検出されたが、とても健康に影響するレベルではないということだ。

このニュースに接して「やっぱり」と思ったのは、これを煽った週刊誌の「空想ぶり」についてだ。「セシウム花粉の恐怖」を指摘したのは、自分の知る限りでは、アエラ「セシウム花粉が飛んでくる」(昨年10月17日号)、週刊文春「セシウムスギ花粉が放射性物質を日本に拡散する」(今年3月1日号)の2誌だ。タイトルだけをみればその煽りは「図星」だ。

ただ自分のブログ(昨年10月25日今年2月26日でも取り上げたように、記事内容は「羊頭狗肉」あるいは「竜頭蛇尾」も甚だしい。つまり見かけ倒しそのものだ。記事中2誌とも「専門家の証言」では共に「心配のレベルではない」との結論を出している。

したがって、今回の東大の調査と基本的には乖離していない。2誌とも今回のデータを予想して「予防線」をはっていたのだろうか。しかし共に「用心するのに越したことはない」との「懸念」を付記している。これを煽り週刊誌の「迷走」とみるのか「心憎さ」と解釈すべきかわからない。しかし記事の見出しだけをみれば「人騒がせ」にしか思えない。

最近、在日米国詩人の講演が相次ぐ抗議で中止された。「さいた、さいたセシウムがさいた」なるタイトルだが、講演の趣旨は「花が咲く春の訪れを台無しにした原発事故の現状」を訴えることらしい。(3月13日ブログ)しかし実際はそんな「セシウム花」など咲いてはいない。こんな煽り米国人の言葉など「アウト・オブ・プロブレム(問題外)」だ。

今月末には関東地方でも桜が開花するとのことだ。例年よりは若干遅いようだが、震災で自粛気味だった昨年とは違い、今年は本来の花見を大いに楽しめそうだ。日本の春はもうじき花盛りだ。

 


おしどりマコと夫婦漫才

2012-02-27 00:09:13 | 煽り週刊誌

昨日取り上げた文春の特集はやっぱり記者の煽りと暴走の色が濃い。記事に登場する内科医が抗議したからだ。ここではその後追いをする気はない。ただ記事を書いた「おしどりマコ」なる女性芸人に興味が湧いた。

漫才師にして自由報道協会理事という奇妙なキャリア、どうやら接点は国立大学医学部中退という経歴にあるようだ。夫婦漫才をやりながらも、原発事故での放射能汚染に触発されたのかも知れない。それも自由報道協会理事に名を連ねるぐらいだから「感化度」は尋常ではない。なまじっか医学部で学んだことが影響している。

彼女の動画をみると、自由報道協会理事の立場から東電や細野原発担当大臣に質問するものが多い。しかし本業?の漫才の動画がなかなか見つからない。グーグル3ページ目にやっと見つかった。夫婦漫才といってもやっていることは曲芸、いわゆる色物だ。彼女がアコーディオンを演奏しながら進行役をつとめ、相方である夫がそれにあわせて針金を動かしながらいろいろな物をつくっていくパフォーマンスだ。

正直言って、あまり面白くない。曲芸の鮮やかさもない。場所は福島の放送局のようだが、被災地の人に元気を与えたいという言葉とは裏腹に、見ててとても元気にならない。失礼だが素人の隠し芸の域を出ていないようだ。これでは夫婦曲芸にもならないし、夫婦漫才にもならない。ボケとツッコミがなく、間延びした感じがする。その限界を意識して、異色のジャーナリストとして執筆業の華々しいスタートに、この文春の特集をもってきたのだろうか。しかしその結果はこの通り芳しいものではなかった。

この際何かと問題の多い協会から足を洗って、夫婦漫才に全力投球して欲しい。夫婦漫才といえば大阪では古くは南都雄二とミヤコ蝶々、そして鳳啓介と京唄子といった名人芸の伝統がある。夫(元夫)がボケで妻がツッコミだが、最近の宮川大助・花子ではそれが逆転している。キワモノとしては敏江・玲児の「ぶっ飛ばし漫才」があった。なぜか敏江という妻の名前が先にきているのが不思議だが、自分は全盛時のこの夫婦漫才が大好きだった。

おしどりマコの芸名は、コンビ名「おしどり」から来ている。曲芸も今イチ、話芸も今イチであるが、もしかしたら敏江・玲児流の体当りパフォーマンズで活路を見いだせるかもしれない。AKBの歌をアコーディオンで奏でながら、夫が不意打ちでマコを突き倒す。寝転びながら今度は「マルマルモリモリ」を演奏する、なんていうのはどうだろうか。

あるいはぴんからトリオのように、ぱっとしない漫才師ながらも演歌で大ヒットさせるのも夢とはいえない。おしどりマコ自身作詞もしているようだが、アコーディオンを三味線風?に弾きながら夫婦曲「おしどりじょんがら」なんて歌を歌うのも面白いかもしれない。吉田兄弟や長山洋子が友情出演すればヒットは堅い?

 


文春に煽りは似合わない

2012-02-26 00:10:01 | 煽り週刊誌

昨年のうちに週刊誌の煽りが終わったと思ったら、こんな時期にこともあろうに週刊文春が煽り記事を出してきた。3月1日号(380円)を買って読んでみた。特集「郡山4歳児と7歳児に甲状腺癌の疑い」(一部抜粋)がそれだ。郡山から北海道に自主避難してきた親子309名(うち子供139名)を対象に地元の内科医がボランティアで甲状腺の超音波検査(エコー検査)した。すると冒頭の見出しのように「7歳の女児に喉の部分にある甲状腺に8ミリの結節(しこり)が、4歳男児に10ミリと4ミリの結節が、石灰化を伴ってみられた」という。その医師は「児童にはほとんどみられない。癌細胞に近い。二次検査が必要です。」と「警告」した。

その後もこの記者の「懸念」が続く。普通は児童に見られない結節が2例も見つかるのは、「原発事故の影響」ではないかと。女児の母親は2歳の妹も同じ検査で2ミリの結節が見られたことで一層不安を募らせている。昨年6月の自主避難の際、夫ともめて離婚した上に、将来甲状腺癌で娘が苦しむことはないかと親子で悲嘆にくれているという。

これだけ読むといかにも放射能の恐怖が高まり、原発事故許すまじの気になる。ただ、この記者が例の自由報道協会理事というところがひっかかった。この特集に関してネット上で議論されていないか検索してみたら、あるサイトが目に入った。

それによると、児童に結節が見られるのは決してあり得ないことではなく、これまで児童がエコー検査をあまりしてないだけの話だ。原発事故に関係なく幼児の結節は珍しくないとあった。

もし結節が見つかったら、2次検査として、血液検査で甲状腺癌やより軽度の甲状腺腫の病状を調べることが出来る。そこで「良性」となれば特別今心配することはない。良性であることは、甲状腺癌の症状が出ていない証拠であるといってよい。実は問題の女児はその後血液検査をして「良性」と見なされているから、余り心配しなくてのよいと思うのだが、不安は消えないようだ。

自分自身、こうした医学のことは全くのド素人で、これに論評を加えることは困難だ。ただこの記者が福島の避難民だけの結果で原発の影響を云々するのはどうか。たとえば札幌の親子と比較せねば、意味がないと素朴に思う。それに血液検査で良性となっているのに「甲状腺癌の疑い」とは飛躍しすぎではないか。自主避難のこの親子をまるで「悲劇の親子」のように書き立てるのには違和感を覚える。普通なら「そんなに不安になることないのでないか」となだめるべきなのに、トーンは放射能の恐怖へ持っていこうとする意図がありありだ。

福島県の「健康管理調査検討委員会」の座長を務める山下俊一福島医科大学副学長に対しては当然ながら批判的だ。「3年かけて18歳以下の県民の甲状腺を検査する」のは、遅速で危険性を放置し無責任だとする論調だ。しかしエコー検査、血液検査、細胞検査と精度を高めていく手順は格別非難されるべきいわれはない。18歳以下の全ての福島県民を3年かけて検査する」ことも、早くても4,5年で発症する甲状腺癌の性質(発症後の経過はゆっくりで極度の悪化も少ない)からいって別段遅速の批判は当たらない。山下氏から問題の医師へは「独自の検査は遠慮してください。」といわれたというが、福島県が避難民を含めて無料で検査していることを考えると、言葉尻はともかくとして、県外の医師にとやかく言われたくない心情は理解できる。実際、県の最初のエコー検査で3,465人中26人が結節等の異常が見られたが、2次検査で全て良性だと判明したという。避難民どころか地元住民も児童を含めて原発事故の影響は皆無といってよい現状だ。

文春の煽り記事はもうひとつあった。「セシウムスギ花粉が放射性物質を日本に拡散する」なる記事だ。読んでみるとあっけにとられた。最大キロ25万ベクレルのスギの雄花は、濃度的には花粉も一緒でその飛来が心配されているという。しかし林野庁の話だと、たとえこの濃度の花粉が住宅地に届いても、呼吸による被曝の放射線量は毎時0.000195マイクロシーベルトで、シーズン全体でも累計で0.000553ミリシーベルトの被曝で超微量である。(筆者自身も文中で認めている。)原発に近い最高値でこの数字だから、首都圏では濃度は30分の1に過ぎない。記者はそれでも服に花粉がかかったりしたら危ないのでないかと、山内和也神戸大学教授のコメントを載せているが、果たしてこの微量でどんなもんだろうと思ってしまう。「苦しいときの山内頼み」にしか見えない。

というわけで文春の記事は、自分からすると煽り以外の何ものでもないように思える。花田編集長の頃は硬派で読み応えがあったが、最近の文春はこうした煽り記事と芸能界のゴシップばかりだ。煽りはアエラやサンデー毎日、東京新聞くらいでいい。芸能記事はそれこそ「アサ芸」で充分だ。ただ今週号で一つ感心したグラビア写真があった。韓国と北朝鮮での南北の違いを、同種の施設や同年代の人々の各写真を配置することで際立たせていた。そのなかで女子学生の比較があった。北朝鮮の女学生が無理して笑顔を繕っているのがありありとわかるのに、韓国の皆が好き勝手にポーズをとり自然な笑顔で自己主張を楽しんでいる。デフォルメの感もあるが、同じ民族で体制の違いでこんなに差がでてしまうのかと驚く。文春はもっとこんなハッとさせるような企画を増やしてもらいたいと願うばかりだ。文春に煽りは似合わない。