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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

武田教授の甲状腺がん煽り記事

2013-02-15 08:11:07 | 煽りの達人

福島県が行っている18歳以下の子供の甲状腺検査で新たに2人の子供が甲状腺がんと判定された。これで全部で3人となったが、早速反原発派の論者がこの結果を誇大に解釈している。

武田邦彦中部大学教授に至ってはまだ疑いのある7人(今後追加検査が待っている。可能性は高いが)まで、既に甲状腺がん発症者と見なしている。教授によれば福島の子供18万人のうち10人が甲状腺がんだとして計算すると、通常の平均と比較して約10倍になるとしているが、どう見ても強引すぎる。

さらに教授の指摘で致命的なのは、チェルノブイリの事故を1988年4月としたことだ。教授は「チェルノブイリの近くのウクライナ、ベラルーシに限って言えば、明らかに2年後には増加傾向にあります。」としている。確かに教授が提示したグラフを見ると88年と比較すると2年後の90年には明らかに増えている。しかしいうまでもなく事故は86年4月に発生している。実際2年後88年を見るとさほど増えた気配はない。武田教授のこの致命的ミスを今後どう弁明するのか楽しみである。

鈴木真一県立医科大学教授は今回の結果を「甲状腺がんは最短で4~5年で発見というのがチェルノブイリの知見。今の調査はもともとあった甲状腺がんを把握している」と説明している。甲状腺がんの進行度からすると、どう考えてみても鈴木教授の説明が妥当な感じがする。その証拠として、今回の検査で問題だった者の平均年齢が15歳ということだ。原発事故ですぐ影響がでるのなら、外出の少ない乳幼児はともかく、発症する年齢層も広範に及び、平均年齢ももっと低くなるはずだ。やはり潜伏期間最低でも4、5年と見て事故とは無関係と考えた方が理にかなっている。

さらに鈴木教授によれば、「成人の超音波調査では3・5%に甲状腺がんが見つかったとの報告もある」という。にわかに信じがたいが、甲状腺がんの潜伏期間が長く、進行が遅いことを考えると成人になってやっと発見されるケースが多いことは確かだ。ともかくまだ事故以来2年も経たないのに事故の影響を問題にするのは無理がある。反原発派は、日頃「今はなくても20年後、30年後影響が現れる」といったことを口にする。しかし甲状腺がんに限っては早急な結論を出したがるのはいかがなものだろう。

追記:武田教授のブログを再度見たら、福島の甲状腺がんは通常の10倍から50倍といつの間にか上方修正?されていた。分母が18万人から3万8千人になったせいだ。しかしチェルノブイリ事故が起こった年は依然1988年4月のままだ。武田教の信者よ、教祖をいつまでも恥に晒すなどは破門に等しい?


小出京大助教の独善と煽り

2013-02-02 11:37:13 | 煽りの達人

1月19日千葉県柏市で行われた小出裕章京都大学助教と小林泰彦日本開発機構研究員との公開対談は、放射線の健康被害に対し双方、全く見解が違っていて非常に興味深かった。しかし、自分の目から見ると、小出助教の科学を逸脱した「独善性」と「煽り」そして「科学的知見の低さ」ばかりが強く感じられた。

まず独善性だが、「年間100ミリシーベルトの被曝は安全だと言う学者は刑務所に入れるべきだ」といった発言だ。被曝による人体への影響にしきい値がなく、たとえ低線量でも軽視すべきでないというLNT仮説は、リスク管理上の政治的な配慮(危険をできるだけ考慮した方が世間の支持を得やすい)に過ぎない。しかし小出助教はこれを仮説と見ないで科学的事実と見なす。しかも低線量ほど危険度が下がられないという極端な立場に立って、他者の主張を批判する。自分の側を善とし、それに反する人は悪で排除されなければならないという単純な善悪二元論だ。こうした独善性はカルトに近いと思う。

次に煽りだが、小出助教が広島の原爆と福島原発事故を同列に扱い、「福島の原発は広島の爆弾の168発分に相当する」と語っていた。都市部で核爆発し熱風と爆風と高線量で多大な死傷者を出した原爆とメルトダウンで放出された低線量の汚染とは全く事象が異なる。基本的には広島原爆で低線量の被爆ではその被害が確認されていない。むしろ比較するのなら、福島の事故チェルノブイリと比べるべきだろう。福島での放射性物質の排出はチェルノブイリの8分の1と言われる。しかし小出助教の口からチェルノブイリの「チェ」の字も出てこない。広島と比較して云々するのは煽りでしかないだろう。

さらに会場になった柏市の汚染に対する認識も煽り、それ以上に「脅し」に近いといえる。「柏は街が汚染れている。建物も森もどこも汚染されている。柏の土壌4万ベクレル/m2は管理区域に相当する。避難すべきなのに政府は見捨てた。」といった扇動的な発言には彼の道義性さえ疑う。日常暮らす柏市民を侮辱するものだからだ。

彼は汚染度をベクレル計算で解釈するが、肝心なのはシーベルトで評価すべきはずだ。柏市内でどれだけの線量があるかで汚染を判断すべきだと思う。しかしそんな視点が全く見られないのが不思議だ。チェルノブイリ事故で柏市に相当いやそれ以上の汚染地域はヨーロッパ各地でざらにある。特に北欧ではそれが顕著であり、今でも年間線量が年間5ミリシーベルト以上のホットスポットが広く存在する。しかし健康被害が生じているという話を聞かない。

柏市の線量をホームページで調べてみたが、幼稚園、小中学校の校庭では除染が終了して毎時0.1マイクロシーベルト前後である。当然室内ならもっと低い。もちろん各家庭内でも同じようなものだろう。小出助教は年間1ミリシーベルト以下の被曝をことさら主張するが、彼の基準からしても柏市内の日常の被曝はクリアーすると考える。それを「柏は住むところではなく避難が必要」であるがごとく、会場の市民に煽る様子はとても科学者の姿には思えない。

科学的見地に関しても、同席の小林氏と比べたら、その差は歴然としていた。特に内部被曝に対する認識は、首を傾げてしまう。小林氏が、自然界の食物摂取で被曝する線量がこれまで年間0.4ミリシーベルト台とされていたが、最近の調べでは実際は0.9ミリシーベルトに上方修正されたことを報告していた。内部被曝も外部被曝も遺伝子に及ぼすエンルギーは同じ。内部被曝は外部被曝より、被害が大きいと主張する人がいるが完全に間違い。むしろ食中毒の健康被害の方を心配した方が良い、と小林氏は淡々と発言していた。

これに対して、小出助教は外部被曝は移動で避けることが出来るが、内部被曝は人間が移動しても取り込んだものは逃れられないと暗に内部被曝を危険視するような物言いだった。しかし、放射性物質は数ヶ月のうちに多くが排出される生理を無視していてどこか滑稽にさえ思える。

これまでの報道では、福島県を含めて1日の食事によって取り込むセシウムは5ベクレル以下と言われている。これを毎日取り込んでも年間0.03ミリシーベルト程度の被曝にしかならない。従来の食事で年間0.9ミリシーベルトも被曝しているのに、これにわずかな被曝が加わるに過ぎない。小出助教は東日本の食物は汚染されているから極力控えるべきことを発言しているが、実態を全く把握していないと思う。

以上小出助教の主張をみると、武田邦彦中部大学のそれと変わらず、偏狭で扇動的に見えてならない。武田教授と違うのは小出助教の「思想性」である。反原発のイデオローグは40年の経歴を持つ。筋金入りといってよく、それが支持者の間にカリスマ性をもつ。一種のカルトといってよいだろう。会場で小出助教の危険発言の度に拍手が起こるのが異様に思えた。地元柏が汚染されていることを喜ぶ心理とは一体何だろうか。そこには一種社会的病理さえ感じてしまう。


追記:100ミリシーベルト以下はだいじょうぶという学者が逮捕されるなら、おそらく学者の大半9割方が刑務所へ護送されることになると思う。安政の大獄ならぬ平成の大獄に?



上杉隆氏と退会騒動

2013-01-30 14:47:14 | 煽りの達人

自由報道協会の上杉隆氏が、経済ジャーナリストの池田信夫氏やその運営サイトを名誉毀損で訴えた裁判は、昨日最初の口頭弁論が行われた。裁判の今後はどう見ても上杉氏に不利なことは明白だ。上杉氏は自分が提供した資料を読売の資料と同じ内容だと認めたが、記事の発信は読売が先になっているので記事盗用疑惑は遺憾ともしがたい。

ここでその記事云々を論ずるつもりはない。驚いたのは昨日の口頭弁論に原告としては上杉氏本人が出席せず「老弁護士1人」だけだったことだ。被告の池田氏側が6人の大弁護士団だったのとは対照的だ。池田氏が「こんなやる気のない原告ははじめてみた」と酷評していたのもうなずける。自由報道協会の内紛を乗り切りためのアリバイづくりといわれても仕方がない。

先月も12人の理事の一人畠山理仁氏が会を離脱した。畠山氏が退会の経緯を自分のブログで激白していた。

「取材者たちが自由に取材する権利を確保することで、多様な情報が世の中に流通する」ことを目指して彼もその設立メンバーに名を連ねていた。しかし、現実には組織の中核になる理事会が、即席の寄り合い所帯といった性格が強く、その経済的基盤も脆弱だ。自由報道協会のサイトを見て、まず気がつくには「寄付」の依頼の文字である。協会の理想とは裏腹に運営面での資金的な厳しさが窺える。

各省庁で記者会見を開くにも自前の会見場をもっていない。会見の運営費(会場費、人件費など)も当初会員の持ち出しによって工面するほどであった。しかし、それで運営は立ち行かず広く寄付を募っているのが現状だ。

畠山氏自身も慣れない事務の雑事に没頭され、本来の報道活動の障害になっている。しかしブログで明らかにしていたが毎月の10万円程度の手当てさえも、厳しい財政事情を考えたら心苦しく感じていたようだ。

しかし、関連書籍出版を巡る畠山氏への不当な嫌疑が協会不信を引き起こし、今回の上杉氏の盗作疑惑が決定打になって彼を退会に追い込んでしまった。自由報道協会の理事らが共同出筆した書籍(被災支援を趣旨とした内容)を出版するに当たって、出版元から印税と制作費が支払われた。普通編集は外注するのだが、経費節減のため自前で編集作業を行った。編集は協会とは別に協会の有志が独自に進めていたが、畠山氏も理事として唯一その作業に加わっていた。100万円近くなる印税は被災地支援の活動資金に回され、制作費25万円が編集者たちに分配された。畠山氏はそのうち3万6千円を受領した。原稿料は無償だという。

しかし協会仲間からは印税をも「つまんだ」のではないかと疑われてしまう。会計報告が遅れたことはあるが、こうした嫌疑は彼には身に応えたようだ。そして今回の上杉盗用疑惑。協会規約に「ジャーナリストの職業倫理の向上」を唱っているのに上杉氏は満足な回答をしない。報告書を出すといっていたが、一向にその気配がない。仕方なく畠山氏が裁判所で訴状を閲覧し「真相」確認する有様だ。(まちろんそれを読んでも納得するには程遠かった。)

それでころか上杉氏は自分から緊急理事会を招集して、先の出版での「不明瞭な運用費」を問題にして畠山氏を追求する始末。ここに堪忍袋の緒が切れたということだ。

協会の理念は素晴らしい。しかし、会員の言動が良きにつけ悪しきにつけ注目を集めれば、結果として「会員の評価」が「会の評価」に影響を及ぼす可能性があります。いくら「自由報道協会はメディアではない」と内部の人間が力説しても、外部からは理解されないのではないか。

その理念とは裏腹に、協会内部のドロドロした世界から畠山氏が弾けだされた印象が強い。理想を掲げて旗揚げしただけに、こんな現実を見せられては幻滅に転じるのは早い。まして寄付を募るのなら尚更だろう。

私はその責任を取るためにも、協会を退会することにいたしました。精神面での疲弊とともに、経済的な面での疲弊も一因だったことも申し添えます。

上杉氏以下、依然協会で留まる理事たちはこの悔悟さえ窺える無念の思いをどのように感じているのだろうか。



閑古鳥が泣く反原発ネット

2013-01-11 12:03:11 | 煽りの達人

最近テレビの報道番組を見ても原発関連の話題がめっきり減ってきた。もはや放射能被害を煽るにも恣意的な嫌らしさが目に付き視聴率を稼げないのだろうか。

そういえば今週から始まったNHKの大河ドラマ「八重の桜」も出だしはよさそうだ。「福島の元気」を番組も強調したいようだが、ネットのリアルタイムを見てもこれにケチを付ける輩はほとんどいない。おそらく1年前なら、口さがない反原発派の連中がここぞとばかり、「今のフクシマの現実を忘れるな」なんて見当違いのチャチを入れたりしただろう。しかしそんな反原発派の饒舌も今は昔、「失語症」に悩む?日々だ。

これも先の衆議院選での反原発派の大敗北が影響しているのだろう。反原発希望の星未来の党も完膚無きまでに打ちのめされてしまった。ただでさえ後退傾向にある反原発ジャーナリズムを挽回しようという最後で一縷の期待もあえなくついえた。今は敗北感、虚脱感が全体覆っているのが現状だ。

かつて反原発のヒーローとして華々しくメディアを飾った人々もその落日は遺憾ともしがたい。普通のメディアはとうの昔、見切りをつけたために、彼らは自分のネットで細々と精彩を欠く近況を綴るばかり。あるジャーナリストは自分の盗作問題で苦境を吐露したりしている。悪名高い「御用学者wiki」も敵前逃亡さながら退散してしまった。

最近の武田邦彦中部大学教授のブログも、もはや目を覆うばかりの空虚な記事が目立つ。たとえば1月10日「福島原発温度上昇と福島空間線量率の上昇についての質疑応答」はわずか6行の記事。ただ二つの問題点指摘が読む側の興味を誘う。

1) 福島原発の温度が上昇している、

2) 福島の空間線量が上がっている、

教授がもしかして原発の緊急異常情報を独自に入手したのかと一瞬色めき立って、添付の音声をダウンロードしてみた。しかし、その内容は全く中身のないものであった。

教授の結論は「特別異常なことはなく、以前からの状態が続いている」ということだった。温度も充分冷えていて問題ない。空間線量も「暮れの大掃除で一時的に上がったのではないか、去年もそうだった」ので特別警戒の必要もない。まさに「安全宣言」に近いものだった。ならば、こんな雑誌の「袋とじ」のように音声に期待を持たせるやり方は羊頭狗肉の最たるものだろう。

話によると最近、教授はパチンコ店の店内トークイベントに出向いているとのこと。一昔、パチンコの新装開店にはチンドン屋が派手な出で立ちと賑やかな音楽で街頭を練り歩いていたが、いまや大学教授を呼ぶほどこうした稼業は廃れてしまったのだろうか。

最近、武田教授には本来のメディアや講演のお呼びも少なくなっているようだ。そろそろ、「近海のマダラ、ヒラメ、カレイ…に注意」などと専門外の食品健康学?に浮気することなく、本業の資源材料工学に専念されてはいかがか。


反原発派の生き残り策

2012-12-18 12:59:42 | 煽りの達人

日本未来の党9議席、社民党2議席、日本共産党8議席、反原発を旗印にした政党が今回の総選挙で大敗した。480議席中19議席は約4%で25分の1に過ぎない。あの「再稼働反対」を叫ぶ過激な官邸前デモは一体なんだったのだろう。多くのメディアが「空前の国民のうねり」と持ち上げて熱い視線を送った。しかしこれが、いかに皮相的で一過性なものかがわかる。

もちろん「脱原発」の基調自体は、今後も続くだろう。これは「反原発」とは一線を画し別物である。したがって今後こうした反原発ジャーナリズムはもはや存在意義をなくし衰退していくだろう。この世界に住む人々はお払い箱になりそうだが、ただそこは彼らも生き残りに必死だ。

ここへ来て彼らの多くは「反戦」にシフトしたようだ。安倍自民党が新政権を発足させるに合わせて、安倍総裁の「右傾姿勢」に注目し、政権の危険性を盛んに喧伝している。自衛隊が国防軍になり、憲法も改正されて「戦争ができる」ようになる。さらに徴兵制も復活し若者が隣国への進軍に駆り出される。若者たちは戦争好きな政治家の犠牲になっていく、そんな暗黒の時代がやってくる、と。

とんでもない「想像力」だ。安倍総裁は日米関係を強化して中国には毅然とした姿勢をとることが真意であって、そんな冒険主義だけで解決するとは思っていないはずだ。第一、同盟国のアメリカがこうした日中激突を望んでいない。日中、そしてアメリカのとってなんら利益のない戦争をそう簡単にできるはずがない。

今朝のラジオに出演していた評論家の森田実氏が、しきりに前述のような安倍政権の危険性を指摘して、「お母さん方女性はそれを許さないでしょう」と母性に訴えていたのには唖然とした。この人が果たして政治評論家かと疑いたくなるような情緒中心の反応だ。反原発派の最近の「反戦主義」を聞いていると、大方森田氏のような一方的な論法の人が多い。

反原発の主張と共通しているのは、またしても「子供の生命、その将来」である。そして同じように母性に訴えるやり方だ。原発とは違い、外国が絡んでくるだけにこちらの方が複雑で、影響も大きい。放射能は「20年後にガンが発症するかもしれない」ということなら少しは気楽?だが、戦争殺傷にたいする人々の「想像力」ははるかに大きく深刻だ

お詫び:当初に挙げた数字に誤りがありました。大変失礼しました。