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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

オスプレイ危険を煽る共産党のアイドル

2014-07-21 22:32:55 | プロ市民煽動家

今月20日に札幌で開かれた航空ショーで垂直離着陸輸送機オスプレイが展示され大変な人気を呼んだようだ。しかし、会場となった自衛隊基地や途中給油のために立ち寄った東京の横田基地の前では数十人規模の市民団体が「オスプレイ」反対の気勢を上げていた。

すでに、オスプレイの事故率は他の輸送機と比べても低く「欠陥機」というイメージは海外ではない。しかし、いまだに日本では左派系の市民団体が危険性を煽り、一部メディアも相変わらずこれに同調する報道を続けている。

そんな中、共産党のアイドルとして人気の若手女性議員のツイートが物議を醸している。昨年の参議院選挙の東京選挙区で初当選した吉良よし子議員だ。

オスプレイ来るな!横田抗議行動。墜落事故が相次ぎ、低周波によりペースメーカーの不調を訴える人までいる危険なオスプレイの全国飛来NO‼ 負担軽減というなら基地撤去。国民の命と安全のためにはオスプレイ撤退!日本共産党を代表して挨拶。(7月19日)

しかし、「ペースメーカーの不調」は専門家の証言よりなんら根拠がなく、明らかなデマといってよい。つまりペースメーカーに影響を及ぼすのは低周波が物理的に体に触れて電流として体内に流れる場合であり、オスプレイの騒音による低周波は無関係ということだ。

しかし、吉良議員のリツイートは千件を超えてその影響力は無視できない。これが根拠がないということであれば、吉良議員は謝罪しなければならない。ただ、これを問題にするメディアが皆無であることが情けない。

こうしたデマはオスプレイ危険説をさらに拡散させるものであり、特別な政治的意図が背景にあるものと考えられる。日米安保強化や安部政権の防衛政策に反対するために攻撃材料として使っていることは想像がつく。

そして吉良議員の所属する共産党に限らないが、日本の防衛では沖縄の基地問題が政争の最前線となっている。オスプレイは現在普天間基地に24機配備されているが、移設に反対するために左派勢力が「危険機オスプレイ」といった煽動を有力な宣伝材料にしているのだ。

しかし、沖縄県民でもすでに危険説が虚偽であることが認識され始めている。実際に配備され実働の訓練にはいって2年近くもなるがなんら問題にはなっていないからだ。沖縄では一部の市民団体が騒いでいるだけだ。

まだ本土では認識が十分ではない。だからこんな吉良議員のデマがまかり通ることになる。今後は沖縄だけでなく、東日本でもオスプレイが頻繁に飛来し、これに反応する市民団体やメディアが騒ぐことも多くなるだろう。原発事故の低線量被曝や集団的自衛権での徴兵制などとんでもないデマと同質のものが。


首都圏反原発連合の反論

2014-07-15 18:30:51 | プロ市民煽動家

7月2日で福島民友によって、今も東京都内で続けられいる官邸前反原発デモを取り上げられた内容が波紋を呼んでいる。記事タイトルが「反原発デモに違和感『福島差別』助長した側面」とある通り、デモを批判的に書いている。(「濱佑旅館・家主の日記帳」という方のブログに当時の記事が書き起されていて、その感想が述べられている。)


一時期は主催者発表で20万人を超えた動員数を誇っていたが、現在は2千人程度だ。最盛期ほどではないが、デモで掲げるラルプラカードには、現在でも「食べて応援なんて絶対だめ」といったような明らかに福島に対する風評被害を助長させるものがある。

これについて、デモ代表者の一人であるミサオ・レッドウルフが「原発事故に県境はないが、自分も事故の当事者という意識が希薄な人がいる」と答え、「デモをやめれば、反原発の思いが消えたと解釈される。続けるのが重要」とも考えている。

しかし、福島ではこうした反原発運動を「冷ややかに見る向きが多い」として、福島県民二人のコメントを載せている。まず田村市の農業坪井和博氏(66)。

「声を上げるのは大事だが、どうしたら原発をなくせるか、政治や世論をどう動かすか考えるべき。自己満足に終わってるんじゃないか」

続いて福島大特任研究員の開沼博氏(30)。

「福島のためと言いながら、一方で『あんなところ住めない』とか『障害児が生まれまくっている』とか平然と言う人が、(運動の)内部にいることが、嫌悪感すら呼び起こしている面がある」「反原発の活動、言動が福島差別を助長してきた面はある。社会運動として非常にまずいことをした」


この開沼氏のコメントでこの記事は文字通り締めくくられている通り、記事全体が反原発デモ批判で貫かれており、日頃こうしたデモを否定する、というより反原発運動そのものに不信感をもっている自分自身にとっては、よくぞ自分の思いを代弁したくれたと溜飲を下げた気持ちになる。

しかし、当然ながらこの記事で批判の槍玉に上がった相手方はこれを看過できない。早速デモの主催者「首都圏反原発連合」の代表が新聞社に電話で抗議をしたが、話し合いは物別れに終わった。結局抗議文を提出しネットでも公開していて新聞社の返答待ちだ。

抗議文は二つの観点から構成されている。つまり1公正性と情報の精密さの欠如(偏向報道である)2取材の信頼性の欠如、ということだ。1は記事の内容が不正確で根拠も十分でなく、また一方的に偏った立場(すなわちこの団体に批判的)で書かれているということだ。

その具体的な詳細は、結局のところ団体側の独自の見解であって決して記事を論破するものではない。例えば抗議文では、記事は県外の参加者があたかも「福島差別」としているように書いているが、「避難」「健康被害」といった声は福島県民からも出ているといった具合だ。しかし仮にそうだとしても、本当に多数の県民を代表しているのか、特殊な市民団体の声ではないかと自分自身反論したくなるが、これは水掛け論になるだろう。開沼氏への反論もこれに類したものだ。

次に2の取材の信頼性の欠如についてだ。まず、ミサオ・レッドウルフのコメントが「本人の本意に反するかたちで言葉だけ切り取り使われている。」としている。

・記事中に「福島に対する発言について『当事者性の薄い人がいる』と認める」とあるが、この言葉は「福島に対する発言について」発したものではなく、運動全般的に「当事者性の濃さの差は大勢の運動参加者の中ではある」と言ったものである。
・記事では「福島差別の発言を容認する」背景に「デモの継続の必要性」があるとしており、これは都合良く発言をつぎはぎしているものであり事実に反する。

こうした見解からして、確かにこの団体の主張に一理ある。記事から推測するとミサオ・レッドウルフは「福島差別の発言を容認」してまでデモを継続させたいとは考えていないように思われる。団体側の「本意に反するかたちで言葉が切り取られた」という言い分もわかないではない。

ただ記者が「一口に反原発と言っても、健康への影響や原発への考えはさまざまで、それを表面化させれば運動は行き詰る」と書いているのがポイントだ。おそらく、これに類したことをレッドウルフが語ったことも事実ではないか。彼女が福島差別と意識はしていなくても外から見ると明らかに差別と思われても仕方がない主張が見られ、それを黙認していることはあり得る。これはこちらの勝手な推測であり、なかなか微妙でその判断は難しいが。

次は両論併記を記者が事前に申し出たことを問題にしている。

小泉記者から「運動に冷ややかな意見の人とデモ側との意見を、お互いに分かりあえるよう両論併記にしたい」と、メールと電話で説明をされた上で取材を受けたにも関わらず、記事では公正な両論併記になっていない。

取材した小泉記者は本当にこんなメールを事前に出していたのだろうか。「お互い分かりあえるように」というのは本心なのか。実際両論併記であっても、そのコメントの順番によって印象は異なる。普通は後に登場する方に記者の意向が反映されることが多い。今回の記事でもデモに批判的な側のコメントが結論のように配置されている。ただし、レッドウルフのコメントも「一応」入っているので両論併記といえなくもない。ただ「お互い分りあえるように」というのは無理がある。こんなフレーズが入っているとしたら、記者もちょっと苦しい気もする。

しかし、記者といえども人間だ。記事には自分なりの主張や意図があって悪くはない。そもそも中立そのものではまるで八方美人でしかなく全然面白くない。その意味では朝日新聞が自分にとっていつも気に食わない記事ばかり書いているのは致し方ないのかもしれない。記事内容に首を傾げたり怒ったりするのは、ある面こちらの関心をそそっているからだ。中立だけでは無味乾燥でしかなく見向きもしない。ブログを書いていたら、予想外のジレンマに陥りそうだからこれくらいにしておこう。

 

「たかが電気」に命を托す坂本龍一

2014-07-14 15:39:50 | プロ市民煽動家

あの反原発の旗手で音楽家の坂本龍一が中咽頭がんを患っていることを公表して、当面治療に専念するという。坂本龍一といえば、原発事故以来反原発の集会に度々参加して熱いメッセージを発していた。特に「たかが電気のために命を危険に晒してはいけない」といった発言は物議を醸し、「たかが電気」が彼の代名詞になってしまった。

一部報道によると、彼は、反原発の立場からがん治療では一般的になっている放射線治療を拒否して外科手術だけで臨む決意を示したというが、これは本人が否定している。「放射線拒否」報道は坂本を反原発のカリスマと偶像視する者たちの勝手な願望に過ぎないようだ。

専門家の話だと中咽頭がんの治療は、初期的症状を除けば、放射線治療か外科手術との併用になるという。したがって、坂本の治療には放射線治療が行なわれる可能性が高い。治療でなんと数十シーベルトの照射が必要とされる。もちろん局部だけの照射だから健康には問題ないが、本来全身を浴びたら即致死レベルである。

外科手術でも当然電気は使用される。放射線治療にはその何倍もの電気が必要になる。「たかが電気」の話ではなく「大事な電気」に命を托すことになる。さらに「排除すべき(毛嫌いする)放射線」ではなく「命綱の放射線」として彼を救うことになるはずだ。

彼が治療を成功させて再び社会生活に復帰した際にどんな言葉を発するか注目である。彼は「たかが電気」などと再び発言するほど傲慢とは思わないし、放射線の認識も変わっているはずだ。おそらく放射線のことをマスコミで問われても沈黙するだろう、相変わらず原発問題で表面は厳しいことを発言したとしても。 


なかにし礼氏の反戦詩とイラクの老義勇兵士

2014-07-13 17:41:29 | プロ市民煽動家

作詞家なかにし礼氏が毎日新聞夕刊に寄稿した反戦詩が話題になっている。「回りはじめたら最後 君もその中に巻き込まれる」で始まる長大な詩は、先ほど政府が決定した集団的自衛権行使容認をうけたものだ。

詩の中盤に

平和しか知らないんだ 

平和の申し子なんだ

平和こそが君の故郷であり…

と「平和」を含んだ語句が3回続き最後も「平和のために!」と結ばれている。全体では「平和」の言葉が8回も登場するように、まさに「平和こそ全て、そして正義」ということだ。だから平和が奪われないように「泣きながら抵抗する」ことを訴えている。

最近自分自身、人間が天の邪鬼なのか、ただひねくれているのかわからないが、どうも「平和」を声高に叫ぶ動きにある種アレグギー反応を起こしてしまう。憲法第9条にノーベル平和賞を求める運動があったり、沖縄の児童の「平和を唱う詩」が話題になったり…。そして今回のなかにし礼氏の反戦詩だ。

そんなに平和を叫ぶのが尊いのか?なかにし氏は

世界史上類例のない 

六十九年間も平和がつづいた

理想の国に生まれたんだもの

と日本の平和を絶賛している。ただ、これも日米安保条約での米国の核の傘によるところが大きい。しかし、米国の一極支配の終焉と中国の台頭で日本の安全が脅かされつつある。国内で平和を唱えるばかりではすまない現実がある。

NHKのテレビで、最近のイラク情勢に巡る報道で、あるバグダッド市民のことを伝えていた。現在、スンニー派の原理主義勢力がイラク北西部を席巻している。バグダッドに住むシーア派の60歳を超えていると思える男性は過去スンニー派の爆弾テロで息子二人を失った。そして残ったもう一人の息子も今回のスンニー派原理主義勢力との戦闘で犠牲になった。

息子全てを失った父親は怒りを抑えきれず、政府シーア派の義勇軍に志願することを決意したのだ。その老兵には息子の幼い遺児がいる。この孫を置いて戦場に向かわなければなければならない祖父のつらさが痛いほど伝わってきた。

世界では平和を叫んでいれれない紛争地は少なくない。はたしてこの老義勇兵には日本の「平和」はどのように映るだろうか。「平和こそが君の故郷」などと悠長過ぎる話に違いない。

日本が69年平和が保たれたのはむしろ例外的に幸運だったといえるのではないか。もともと民族や宗教対立もほとんどない。海に囲まれた地続きの国境もない。そして強大な同盟国の庇護…。

しかし今この安全神話に陰りが見えだした。中国による度重なる尖閣諸島領海侵犯、外国反日勢力の国内での暗躍、アメリカの相対的な影響力低下。「平和の申し子」はどこへ行くのか?

 

毎日新聞夕刊に掲載されたなかにし礼氏の「反戦詩」

 

因果関係は否定できない?

2014-05-25 08:43:09 | プロ市民煽動家

またこんな常套句が発せられる。正直うんざりしてしまう。例の美味しんぼ騒動で鼻血の描写にほぼほとんどの専門家が疑問を呈して勝負は決したように思える。しかし、拾う神もいるというのだろうか。これを擁護する市民団体が北海道がんセンターの院長を引き連れて国会内で記者会見した。例によって?朝日新聞の記事である。

 

住民の自主的な甲状腺検査に協力してきた北海道がんセンターの西尾正道名誉院長は「高線量被曝(ひばく)による急性障害に論理をすり替え、鼻血(との因果関係)を否定する『専門家』がいる」と批判。「放射性物質が付着した微粒子が鼻腔(びくう)内に入って低線量でも鼻血が出る現象はあり、医学的根拠がある」と指摘した。

院長が主張する医学的根拠が妥当かどうかはよくわからない。しかし、仮に妥当としてもどの程度の低線量で「微粒子が鼻孔に入って鼻血がでる」のか。山本太郎参議院議員も院長の論文を盾に国会で鼻血と被曝の因果関係を訴えようと食い下がったが、全く無視されたようだ。結局「医学的根拠」といっても実際にそれを裏付ける(鼻血と被曝の因果関係)統計や資料がないということではないか。

これをもって「因果関係は否定できない」といわれても全く説得力がない。これを世間では「悪魔の証明」というようだ。「ないことを証明することは現実世界では不可能に近い」ということだ。こうした記者会見を朝日新聞があたかも低線量被曝の健康被害への有力情報として取り上げ、美味しんぼ擁護に使うことに、小賢しい意図を感じてしまう。

原発事故から早3年、被曝への影響が極めて軽微である実態が、専門機関や専門家によって報告や資料となって世間に流布するようになった。こうした有力な事実を積み上げることによってのみ、確かな真実に迫る事ができる。もう「因果関係が否定できない」といった不毛の論理は、被曝への正確な理解ひいては原発事故の総括を妨げるだけだと思う。