goo blog サービス終了のお知らせ 

粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

国会前「12万人」デモの化けの皮

2015-09-01 19:36:59 | プロ市民煽動家

先月30日に行われた安保法案反対デモ。国会前には12万人が集まったと主催者が発表しているが、警察発表では3万人あまりだという。本日の産経新聞がデモ群衆をとられた航空写真で「実数」を分析しているがほぼ警察の数字と一致している。デモを警備誘導する立場として正確な人数を把握する必要があるから、その数字が実態に近いというのは至極当然であろう、

一部左派系メディアは3万人でもこれまでにない大規模デモであることには変わりないと弁解しているが「負け惜しみ」でしかないだろう。しかも、デモの構成員が果たして自発的に集まった「一般市民」なのかは大いに疑問だ。デモの集会に民主党や共産党の党首たちが演壇に立ち反対論をぶち上げているのをみれば、このデモに合わせて政党を支援する組合員や政党下部組織の活動家が動員されているのは容易に想像がつく。

聞くところによると学生組織「SEALDS」も中で声を張り上げているのは普通?の学生かもしれないがそれを取り囲むの集団は明らかに政党色の濃い市民団体の人々のようである。結局は「政治に目覚めて自発的に行動を始めた学生」はお飾りでしかなく、それを既存組織が後ろでコントロールしているというのが正確なところだろう。

橋下徹大阪市長がツイッターでこのデモについて「こんな人数のデモで国家の意思が決定されるなら、サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ。」と酷評しているがまさに的を射た感想だと思う。東京で3万人、地方全部でその2倍程度としてせいぜい合計10万人ぐらいだろう。「こんな人数」で国の方向が変えられてはそれこそ「小数派の横暴」になりかねない。

そして、このデモのスロガーガンが相変わらず酷い。戦争法案反対!僕ら加害者にも被害者にもなりたくない、自分の子供を戦地に送るな!…。安保法案の本質を理解しようとせず、情緒だけで押し通す。デモの動画を見てやりきれない思いを感じる。

しかし、一番酷かったのはデモに参加したある大学教授の発言だ。山口二郎法政大学教授だ。(産経記事)

「安倍首相は安保法制、国民の生命と安全のためと言っているが、こんなものは本当に嘘っぱち。まさに生来の詐欺師が誠実をかたどったものだ。安倍政権は国民の生命、安全なんて、これっぽっちも考えていない。その証拠に先週、(東京電力)福島(第1)原発事故の被災者に対する支援を縮小する閣議決定した。線量が下がったから、もう帰れ。本当に人でなしの所業だ。

昔、時代劇で萬屋錦之介が悪者を斬首するとき、『たたき斬ってやる』と叫んだ。私も同じ気持ち。もちろん、暴力をするわけにはいかないが、安倍に言いたい。お前は人間じゃない! たたき斬ってやる! 民主主義の仕組みを使ってたたき斬ろう。たたきのめそう。われわれの行動は確実に与党の政治家を圧迫し、縛っている。与党がやりたいこと、次から次へと先送りして、この戦争法案に最後の望みをかけているが、われわれも力でこの安倍政権のたくらみを粉砕し、安倍政権の退陣を勝ち取るために、今日の2倍、3倍の力で一層戦いを進めていこうではないか」

「人でなしの所業」「お前は人間じゃない! たたき斬ってやる!」デモの喧噪による勢いからとはいえ、一国の首相をつかまえて非礼が過ぎる。名のある大学教授にして口から出るのは下品で低俗な安倍首相への中傷だ。そしてこれが「最大規模のデモ」(朝日新聞)の実態を象徴している、こんな化けの皮をはがされては大多数の国民は興覚めすることだろう。

そして、こんな喧噪も夏の終わりとともに終焉を迎えようとしている。かつて反原発デモでも15万人動員(もちろんいわゆる主催者発表)などと景気よいフレーズが大新聞に踊っていた。今回同様、「一般国民が目覚めた」などと盛んにかき立てた。しかし、それも一瞬の熱病でしかなかった、今回のデモもそれは間違いないと自身、確信している。そして、これからは熱病から覚めて本当の政治、国家を冷静に論じる季節に入っていくことは間違いないし、そうでなくては困るというものだ。


「隣国とは話し合いで解決!」その究極が鳩山由紀夫

2015-08-13 19:53:19 | プロ市民煽動家

鳩山由紀夫元首相が韓国にある日本統治時代の刑務所跡地を訪れた。そこは朝鮮独立活動家たちが収監されていた場所だという。鳩山元首相は、記念碑の前で土下座をして謝罪の意を表明した。

「日本が貴国(韓国)を植民統治していた時代に、独立運動家らをここに収容し、拷問というひどい刑を与え命を奪ったことを聞き、心から申し訳なく思っている。心から申し訳なく、おわびの気持ちをささげていきたい」

 あのルーピー首相のことだから、いまさらこんなパフォーマンスや発言も驚かない。首相時代「友愛外交」を旗印に憲法前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して我々の安全と生存を保持しよう」としたのだから。

こちらが誠意を示せばば善意の隣人は応じてくれる。いわば「愛こそすべて」、ジョン・レノンの「イマジン」の世界である。しかし、これが歌の世界では可能だが、現実の世界では到底かなわないのは残念ながら明白だ。

かつて、鳩山首相時代にアドバイザー役を務めた元外交官の孫崎享氏が今朝ラジオの番組で、今回の元首相の土下座について、半ばあきれるように「韓国の利益にはなっても日本の国益には全くならない」と厳しく批判していた。一時は元首相の「知恵袋」的存在であった人物にしてこの有様だから、大半の日本人は元首相のパフォーマンスを不愉快に思っていることだろう。

それにしてもどこに安倍政権になって「物が言いづらい雰囲気」があるのか。サンデーモーニングの関口宏キャスターが最近はよく口癖のように首を少し傾げてつぶやくフレーズだ。しかし、こんな売国的政治家がのさばっているのを見ると、日本は自由で言いたいのことがいえる天国のような国に思えてくる。

しかし、最近思うのだが、政治を「友愛」で進めようと考えているのはひとり鳩山元首相の専売特許なのだろうか。実はその究極があのルーピーなのであって日本の政界やメディアには程度の差はあっても「鳩山的」な要素を多分に持った人間は多いのではないか。

最近安倍首相が安保法案に関して、中国の脅威をはっきり公言するようになった。実際最近の中国の軍事的な挑発は目に余るし脅威は格段に高まっている。しかし、野党政治家やリベラル左派の評論家がこの期に及んでも「安倍首相は積極的平和主義の名の下、外交努力よりも軍事的志向を強めている」と非難している。

中国とももっと話し合いを続けて信頼関係を構築すべきという主張だ。これって鳩山元首相の「友愛」とどれだけの違いがあるのか。鳩山元首相のパフォーマンスは極端すぎて奇異にみえるだけではないか。これでは鳩山ルーピーを笑えない。


全然盛り上がらない「再稼働反対デモ」

2015-08-08 18:51:18 | プロ市民煽動家

今月11日に、鹿児島川内原発が事故後新しい規制基準で初めて再稼働するというのに、これに反対するデモがまるで盛り上がらない。たとえば7日に行われた官邸前、国会周辺のデモは主催者発表でも4800人という寂しさである。しかも、これまで反原発デモで主導的に進めてきた首都圏反原発連合にしてこの数字である。もちろん主催者発表だから、これまでの「水増し癖」を考えると千数百人がせいぜいだろう。これでは「国会包囲」もままならない。

以前から言われていたことだが、反原発の運動はそれ以降沸き上がった秘密保護法反対や安保法案反対とそのスタイルが酷似している。太鼓に合わせてお決まりのスローガンを連呼するワンパターンである。彼らが掲げるプラカードも「フォント」が瓜二つだ。こういうのを「お里が知れる」というのだろう。昔、反原発でデモをした人々が今は安保法案反対に執心する。しかし、そういう人が今更反原発デモに戻るのは気が引ける。意地悪な見方をすれば、昨日安保法案に反対し、今日反原発デモに参加すると、下手をすると「掛け持ち」がばれてしまうと心配しているかもしれない。

だから、こうしたデモはメディアがいうような「自然発生的に沸き上がった民意のうねり」なととは決して考えられない。ある特定の市民団体それも政党や組合と深く関わった組織が意図的に主導したデモ、というのが正確なところだろう。確かにそれに触発される一般市民は一部参加するだろうが、「掛け持ち」するほど暇ではないしそこまで「士気」は高くない。

だから、再稼働反対デモもこのまま盛り上がらずすぐに消えていくだろう。川内原発に続いて他の原発が次々と再稼働するが、回を重ねることに反原発のパワーは減退していくだろう。その経過を経て初めて日本のエネルギー問題で冷静で建設的な議論が始まる。「膨大な犠牲と悲劇を生んだ東京電力の福島第一原発事故」(朝日新聞)などと煽っていては前に進まない。


SEALDS「だって戦争に行きたくないじゃん」は日本国家への甘え

2015-08-07 18:49:46 | プロ市民煽動家

安保法案に反対する若者のデモ活動(SEALDS)での発言に対して、自民党の武藤議員が「極めて自己中心的」と批判して物議を醸している。確かにそうした側面はあるが、一番感じるのはこんな若者たちの日本という国に対する「甘え」だ。

そもそもこんな「行きたくないじゃん」という物言いが今風の言い方をすれば「とってもきもい」。学生の合コンで遊びの話のついでに男たちが女子大生に少し見栄はって語るようなものだ。自分の「社会性」をピーアールするつもりが、どこか安っぽくてある種「ファッション」程度にしかみえない。

そんなノリの若者たちがどれくらい日本の国防を真剣に考えているのだろうか。現在の日本では「戦争に行きたくない」と思えば、わざわざ外国への戦争に行く義務はない。そんな「意思表示」も必要ない。だから、彼らはもともと行くこともない戦争を単なる観念でしか見ていない。いわば「フィクッション」の世界である。

その一方で彼らは外国が侵略してくる戦争には全く意識がない。始めから日本ではそんなそんな戦争はありえないと決めつけている。しかし、彼らがそうなるのはある面仕方がないのかもしれない。戦後日本は日米安保と自衛隊で完璧に守られ、経済大国を謳歌できた。かつてのソ連や中国も米国を中心とした西側諸国の圧倒的軍事力の前には結局敵になり得なかった。

「安全と水」はタダという戦後日本の神話が定着してしまった。日本から進んで軍事行動をしなければ戦争は起こらない。外国から攻めてこられることはない。これが今回の安保法案に反対する人々の認識であろう。

しかし、時代は今や変わりつつある。中国の軍事的台頭が顕著になり日本の安全を脅かし始めている。沖縄の尖閣諸島は中国の海警が連日領海を侵犯し日本の漁船はすでに周辺に近寄れない状態である。いや中国は沖縄どころか小笠原の海さえも軍事的な野心を露にしている。南シナ海での中国の傍若無人の活動はいずれ東シナ海をも及ぶことは火を見るより明らかだ。

これまでの圧倒的軍事力に陰りが見え始めた米国がアジアのプレゼンスを後退させるようなことになれば、これまでの「安全神話」は一変する。想定する必要がなかった「他国が攻めてくる」ということが現実味を帯びてくる。そんな時に「戦争に行きたくないじゃん」と軽口を叩けるだろうか。「降参してでも中国領で生き続ける」などと開き直った日本の漫画家がいたが、かつての米国の占領とはちがう。アジアの隣国はこんな甘えた人間に対しても骨の髄までしゃぶってくるだろう。

ただそれは最悪の事態で可能性は薄い。日本の誉高い自衛隊が同盟国の米国の支援とともに撃退してくれると信じている。しかし、それは日本国民の圧倒的支持という条件がつく。「戦争に行きたくないじゃん」という甘えた人間ばかりでは自衛隊の士気を大きく損じることだろう。なりよりも自衛隊そして日本国家に対する敬意が必要不可欠であると思う。


渡辺謙と坂本龍一

2015-08-03 20:16:12 | プロ市民煽動家

どうして日本の芸能人にはこんなに「リベラル左翼」が多いのだろうと嘆息してしまう。一人の人間として平和を希求するのは悪くはない。しかし、あまりにも自分たちが営む「ファンタジー」の世界に浸りすぎてはいないだろうか。

たとえば、今やハリウッドでも活躍する国際俳優の渡辺謙、最近つぶやいたツイッターが物議を醸している。

 

一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国。どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。その為に僕は世界に友人を増やしたい。絵空事と笑われても。

 

確かにこれは理想であり、世界はこうありたいと願う。しかし、現実は隣国が連日我が国の領海を侵犯し日本の警告に「ここは我が国の領海だからおまえたちこそ立ち去れ」と開き直っている。あるいは南シナ海では勝手に岩礁を埋立て基地をつくろうとしている。傍若無人極まれり、話し合いもあったものではない。

この隣国と友人をつくることは結構だが、その友人たちは国内で言論表現の自由を抑圧され、政府を批判することが困難だ。日本のように政権反対のデモをしようものならたちまち逮捕されてしまう。

そんなファッシスト政権で周辺諸国に脅威を与えている国が日本の目の前にある。日本が隣国に悪いことをしなければ平和だというのはそれこそ「絵空事」にしか思えない。日本は外交交渉にあっては「ポケットに拳や石ころをしのばせて」あたることが残念ながら現実的に必要だと思う。

そして、渡辺氏は不服かもしれないが、戦後70年の平和を保ってきたのが何より日米安保と自衛隊だということは明らかだ。逆に北朝鮮の工作員にやすやすと領土侵入を許し、多くの同胞を拉致させる原因となったのが憲法9条の存在だといえる。本来ならば、拉致が発覚すれば、日本は軍事的制裁をちらつかせながら威嚇して拉致者の帰還を北朝鮮に要求できたろう。元々日本がそれができるならば、こんな拉致問題など起こっていなかったに違いない。

渡辺謙氏といえば、「ラストサムライ」や「硫黄島からの手紙」などでそれこそ日本伝統のサムライ気質をもった大和魂の体現者のように自分は想像していた。しかし、こんなツイッターを見せられるとそのギャップに驚かされる。もちろん世界で友人を増やすことはよいが、それだけでは決して現実の平和は望めない。逆に隣国の脅威が増している現実世界では、「サムライ」の毅然とした姿勢が必要だと思うのだが。

話は変わって坂本龍一氏、「音楽家」としては優秀だが、「思想家」としては今イチ、というより落第のようだ。あのどうしようもないアジビラ夕刊紙「日刊ゲンダイ」によれば、坂本龍一氏は国会での安保法案を巡る動きに「怒り」を示したという。(坂本氏と言えば、昨年自身が中咽頭がんであることを公開して療養にはいっていた。いまさら「放射線治療」なのかという野暮な詮索はすまい。)

 

安保法制は、正面から改正することなく、解釈によって憲法をなし崩しにしようという、クーデターに近いものだと思っています」

世界的ミュージシャンも安倍政権に「反対」ののろしを上げた。学生たちでつくる「SEALDs」と大学教授らが31日、都内で安保法制反対の集会を開催。約4000人が参加した集会で、坂本龍一氏(63)の怒りのメッセージが読み上げられた。

 

この人、本来のクーデターの意味がわかっているのか。武力を使って時の政権を倒そうという反政府的行動だ。政権側の安倍首相が自分の政権を打倒しようとするなんて矛盾も甚だしい。また、安倍首相は昨年7月集団的自衛権行使容認を閣議決定したが、その後総選挙の洗礼を受けている。

確かに、当時は消費税増税ばかりに焦点があてられ、この問題は注目されなかった。もし、国民がこの問題に反発や嫌悪を感じていたのなら投票結果に影響がでていただろうが、結果的には安倍政権の政策は消極的であるが容認だった。そして現在の国会で法案が粛々と審議されている。どこに「クーデターに近い」ことが行われたのかさっぱりわからない。

坂本氏には他人事ながら、もっと自分のがん治療に専念して欲しいと思う。「クーデター」などと意味不明な言葉を発し「怒り」を露にすることはご本人の体調に障るに違いない。ファンタジー(幻想)は音楽の世界にこそふさわしいが、クーデターなどと息巻くような「幻想」では殺伐さしか残らない。