阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ある日のランチは「野菜たっぷりのボロネーゼ」

2016年04月23日 | ある日のランチ
ズッキイーニ、茄子、新玉ねぎがたっぷり。
 楽屋ネタ。幼稚園の2歳時からのプレクラスに登園。

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ある日のランチは「スミヨシヤ」のケータリング弁当。

2016年04月22日 | ある日のランチ
六甲道の宮前商店街の中にある惣菜・弁当屋の「スミヨシヤ」(昭和初年創業のミートショップ住吉屋の惣菜部門)。前から気になっていたが、
1500円以上のオーダーなら配達してくれると言うので試しに頼んでみた。私はビフカツ弁当800円。あいかたは焼肉弁当780円。
味はまずまずで量は若者も満足のガッツリボリューム。↑ビフカツ弁当
 連休の一族集合の麻雀ランチに一回くらいいいかもしれない。↓焼肉弁当

 楽屋ネタ。こんなことはもうそろそろやめてほしい!

 
 
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52年ぶりに自動車学校で講習を受けた@三田自動車学校

2016年04月22日 | 身辺あれこれ
免許証の更新の時期を前に、自動車学校で高齢者講習を受けろと言う葉書が昨年11月に来ていた。そのうちにいけばいいやと思っていたら、先日の月曜会の時に
ものすごく混んでいて、もう神戸市内の自動車学校は受け付けないだろうと脅された。翌日慌てて市内の2か所の自動車学校へ電話したら、10月の受付なら
出来ますとのこと。それではこちらの免許の有効期限が切れてしまう。葉書にある兵庫県内の自動車学校のリストを見ると、ゴルフの行きかえりに前を通る
三田市の三田自動車学校があった。電話すると丁寧に対応してくれて、免許更新締め切り前の日程で予約がとれた。昭和39年に当時神戸市須磨区の板宿にあった自動車学校に通った
頃の学校側のあしらいと違って、今回は大切なお客さんの扱いをしてくれた。3時間強の各種検査と実地運転、講習を受けて、無事講習修了書を手にして雨の中を六甲山を
越えて帰宅した。3年後もお待ちしていますと言う最後の学校側の挨拶には苦笑してしまった。自分はおそらく3年後はもう更新はしないと思う。


それにしても、警察交通畑OBの天下りが多い(最近生徒が減って経営が苦しい)自動車学校は、現役警察官僚との連携で「このような制度」を作らせたのはなかなかの腕の冴えだ。
やはり官には知能指数が高い連中がいるもんだと思う。日本中の70歳以上の免許更新希望者は一人5600円を、いやおうなく納めないと免許更新が出来ないのだから。
世界で日本だけの制度のこのビジネスモデルは、ある意味ガラパゴス国家日本・官僚国家日本を象徴する一つかも知れない。わしらはほんま従順やなぁ(笑)
  三田(さんだ)市は幕藩時代は九鬼家がお殿様の土地で、九鬼家の菩提寺「心月院」には三田藩の重臣の家柄だった白洲家の白洲次郎白洲正子が眠っています。
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諏訪・御柱祭   建て御柱「綱巻き」次代に 富士見の実家に伝わる技、山梨の小林さん    信濃毎日新聞

2016年04月22日 | 諏訪便り

 

模型を使って七五三巻きを説明する小林秋彦さん(右)と長男の英司さん=20日、山梨県北杜市

 諏訪大社御柱祭の上社里曳(び)き(5月3〜5日)で、山梨県北杜市に住む小林秋彦(ときひこ)さん(72)が7年目に1度の晴れ舞台に臨む。上社本宮(諏訪市)、前宮(茅野市)の建て御柱で、計8本の柱に「七五三巻き」と呼ぶ方法で綱を巻く。諏訪郡富士見町御射山神戸(みさやまごうど)で大工を家業としていた実家に代々伝わる技だ。「先祖から受け継いだ仕事を次代に伝えるためにも、御射山神戸の人たちとの結び付きを守りたい」と本番を待っている。
 七五三巻きは、直立した御柱に乗っていた氏子が降りる際、足をかけるための綱の巻き方だ。建て御柱の前に綱巻きをし、神事の一つになっている。上から三分目辺りに長さ100メートルほどの綱2本を巻き付け、それぞれの両端を地上4カ所で固定。氏子が降りた後、地上で綱のよりを戻すだけで固く巻き付いた綱が外れ、建て御柱が終了する。
  七五三巻きを取り仕切る頭領は、長く小林家が世襲。諏訪市博物館によると、小林さんの曽祖父が1884(明治17)年、大社側に綱巻きで奉仕させてほしいと願書を提出したとの記録がある。綱巻き自体は1800年代初めの文書に記述があり、少なくともその当時から行われていたらしい。
 小林さんの父政雄さんは1998年の御柱祭まで頭領を務め、2002年に91歳で死去。跡継ぎの小林さんの兄が89年に亡くなっていたため、次男の小林さんが04年から頭領を引き継いだ。
 小林さんは就職で地元を離れて50年以上たつため、「(地区の人に)申し訳ない気持ちもある」と言う。だが、自身の跡を継ぐ会社員の長男英司さん(44)や、2人のおいと地元の結び付きを絶やさないよう、今回も入念に準備を進める。
 小林さんは綱巻きを身内だけで行うことにこだわらず、前回10年の御柱祭で初めて、親族以外で御射山神戸に暮らす氏子にも作業に加わってもらった。今回も大総代を通じて同様に氏子の参加を依頼。22日には御射山神戸の公民館で模型を使って打ち合わせを行う予定だ。
 小林さんは13日、英司さんと本宮で無事に役目を果たせるよう祈った。「建て御柱には何回携わっても、最初の1本目の柱は喉が渇くほど緊張する」と小林さん。建て御柱当日は伝統の白装束で作業を指揮する。
 (2016年4月21日掲載)
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今年はつつじが凄い!

2016年04月21日 | 花・草・木・生き物










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ある日のランチは「上海焼きそば」

2016年04月21日 | ある日のランチ
日清食品の冷凍商品。初めてトライしたがおいしい。トッピングは自家製醤油ゆで卵。

 楽屋ネタ。オレは神戸のプレスリー!
 
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諏訪・御柱祭    教えて!御柱祭(15) [Q]なぜ里曳きで騎馬行列をするの?    信濃毎日新聞

2016年04月21日 | 諏訪便り

 

2010年の御柱祭下社里曳きでの騎馬行列

諏訪大社御柱祭の里曳(び)きでは、なぜ騎馬行列をするのでしょうか。
 江戸時代の御柱祭では、曳行(えいこう)の列の間に高島藩の騎馬が入って警護しました。騎馬行列の中心は藩主や家老、神職の最高位「大祝(おおほうり)」でした。警護とは別に、地元の氏子が芸を行ってにぎわいを加える「寄合(よりあい)騎馬」と呼ぶ行列もありました。これらが現在の行列の元とされています。
 ただ、廃藩置県などの改革により、明治時代最初の1872(明治5)年の御柱祭に騎馬行列は出ませんでした。四賀村(現諏訪市四賀地区)の普門寺と上桑原集落の氏子が、6年後の78年の御柱祭で寄合騎馬を復活させました。
 その際、諏訪地方の他の集落が両集落から学ぶなどし、現在まで所作を伝えています。諏訪大社御柱祭では、上社側は神宮寺区(諏訪市)、下社側は下の原区と友之町区(ともに諏訪郡下諏訪町)が行列を出します。やり持ちや草履取りなどの所作、傘を使った動きなどで見物人を楽しませます。
 (2016年4月20日掲載)
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夏に備えて「ホッピー」をケース買いしたらペーパーが入っていた。

2016年04月20日 | 食べる飲む

ホッピーとツインで飲む甲類焼酎の「キンミヤ」もケース買いした。
宅急便で同時に受け取るとどーんと重く、居酒屋の開業準備かと一瞬思った。

キンミヤは三重県四日市市楠町南五味塚972の宮崎本店で製造されている。
楽屋ネタ。手漕ぎ井戸ポンプのレバーを漕ぐ。

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ある日のランチは「カレー」に"アチャ―ル"

2016年04月20日 | ある日のランチ

撮影後に「アチャ―ル」をたっぷり混ぜ込んで食べたカレーは本当においしかった。↑
 ナンがなかったのでパンで代用したが悪くはない。

チャツネとアチャール  

チャツネとアチャールは、スパイスを使用するという点で、 インド及び周辺諸国特有の食文化と言えると思います。チャツネやアチャールとはどんなものなのか、 インドの食卓でどのように食べられているのか、ご紹介いたします。

アチャール

アチャール

アチャールとは、野菜や果物の漬物のことです。ピクルスとも言います。 もともとは、農作物が不作のときのための保存食(非常食)として作られたもの。 マスタードオイルをベースにスパイスを加えた漬物です。 スパイスは食材によって配合が変わります。 食材によっては2年以上常温で保存が可能です。

アチャールに加工される代表的な食材は、 にんじんしょうがかぶ、 ししとう、 唐辛子、 レモン、 ライム、 たけのこ、 カリフラワー、 マンゴーれんこん、 梅の実、 たまねぎ、 ひよこ豆など。 また何種類かをミックスした、ミックスピクルスもあります。

日本で「○○定食」を注文すると、必ず小皿か小鉢に漬物がついてくると思います。 また、家庭の食卓においても日本の伝統的なメニューでは漬物は欠かせないものだと思います。 インドでも日本の漬物と同様に、アチャールは食卓にか欠かせないものとなっています。 食べ方も日本の漬物と一緒です。

 

チャツネ

 

ミントソース ホットソース

 

チャツネとは、ソース、あるいはジャムのようなもの。サモサにはミントソース(ミントチャツネ)がつきものですが、これはチャツネの一種です。 また、ラニのサモサには、ミティチャツネ(イムリチャツネ)が添えられています。 ミティはヒンディ語で甘いという意味、つまり甘いソースです。タマリンド(イムリ:豆科の植物)、スパイス、砂糖、塩、などを混ぜ合わせて作られるソースです。辛味の強いチャツネもあります。

 

インドのチャツネは日本で言う「薬味」のようなものだと思います。 冷奴のおろししょうが、焼きそばの紅しょうが、お刺身のわさびという感じでしょうか。

引用元。

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神戸・鈴木商店が源流の鈴木薄荷株式会社の前をたまたま通りました。

2016年04月19日 | 神戸あちこち

灘区の大石にあるホームセンター「コーナン」からJR六甲道まで歩いても10分と知ったので初めて歩いてみました。  
すると途中にハッカの香りが道を流れているところがありました。そこにあるビルの名前を見て驚きました。
つい最近会社のルーツが鈴木商店と知った鈴木薄荷株式会社だったのです。これはシンクロニシティ現象でしょう。  
建物についている銘板を見ると登録有形文化財・文化庁とありますから昭和2年の建築のビルのようです。

その道を六甲道の方に歩くとアメリカ花水木の並木がありました。

六甲道駅前の公園では沢山の子供が遊んでいました。

涼感と虫除け 鈴木薄荷のハッカ製品が人気 ルーツは幻の巨大商社   神戸新聞 2014/6/28 13:2

蒸し暑さが日に日に増す中、鈴木薄荷(神戸市灘区下河原通1)のハッカ製品が人気を集めている。同社の前身は明治から昭和にかけ世界的な総合商社だった鈴木商店。商標として唯一受け継いだ「かね辰」マーク入りの製品も限定発売され、昔ながらの爽やかな涼感が見直されている。(山崎 竜)

同社の創業は1927(昭和2)年。同商店の倒産を受け、ハッカ事業を引き継ぎ誕生した。インド産のハッカを輸入し、湿布薬、たばこ、歯磨き粉、ガムなどの原材料を精製している。基本的に企業と取引しているため、一般の消費者が目にすることはなかったが、昨年8月から摩耶ロープウェー「星の駅」の観光施設「摩耶ビューテラス702」に摩耶山のロゴ入りビンに詰めたハッカ油を置いた。さらに今年5月、同市灘区の王子公園で開かれた「六甲ファミリーまつり」で初めて屋号入りの油と結晶のセットを販売したところ、用意していた200個が1日で完売し、その後も問い合わせが多数寄せられた。「地元の人に、何をしてる会社なのか知ってほしくて作ったのですが、反響の大きさに驚いています」と同社営業部。その後の販売予定は決めていなかったが、反響を受ける形で6月初旬から「摩耶ビューテラス」で、復刻ラベルを貼った油と結晶のセット(600円)を9月いっぱいの予定で売り出した。浴槽に入れると風呂上がりに涼しく、油は水やアルコールで薄めて体にスプレーすると「体感温度が下がる」「ブヨなどの虫が寄ってこない」などの評判という。「摩耶ビューテラス702」TEL078・882・3580

        ◇

【鈴木商店】1874(明治7)年、砂糖の貿易商「神戸辰巳屋・かね辰・鈴木商店」として神戸で発足。事業を拡大し、1917年に売り上げで日本一の商社となった。18年に米騒動のあおりで神戸の本店が焼き打ちに遭い、第1次大戦後の不況、関東大震災などの影響で破綻・解体した。同商店をルーツとする企業は神戸製鋼、帝人、サッポロビール、昭和シェル石油、双日など多数に上る。総合商社に発展させた女主人・鈴木よねは、玉岡かおるの小説「お家さん」のモデル。

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家の中に「アチーコッチ砂漠」が出現!

2016年04月19日 | 身辺あれこれ
長く使って水が漏れだした水槽に、あいかたがいつのまにか水槽の砂を利用して家にあるサボテンや多肉植物を小さくカットしてこんなディスプレーをこさえた。
 横から。


 楽屋ネタ。殻がとれたカタツムリがいたよ!!正解は↓

正解:ナメクジ。

カタツムリ⇒ アワビなどの巻貝の仲間
ナメクジ ⇒ ナメクジ科に属するもの+もともとはカタツムリだったが殻が退化して無くなった種類のもの
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ある日のランチは「目玉焼きランチプレート」や「鯵のたたき丼」

2016年04月19日 | ある日のランチ
プレートには焼き野菜のカリフラワー、新玉ねぎ、グリーンアスパラやウインナーなど。オリーヴの実の酢漬けの味もアクセントになる。
 鯵のたたき丼の副菜は蕗の薹味噌のかかった紫やまいも。

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諏訪・御柱祭  前宮で御柱休め 前回の4本倒す     信濃毎日新聞

2016年04月18日 | 諏訪便り

 

巻き付けたロープを調整して「前宮四」の古御柱をゆっくりと倒す中金子区の氏子たち

 諏訪大社上社前宮(茅野市)で16日、前回2010年の御柱祭で建てた御柱を倒す「御柱休め」があった。習わしで諏訪市中洲中金子区の氏子が担当。スコップや重機を使って穴を掘り、御柱に巻き付けて3、4方向に伸ばしたロープを引く力を調整しながら、前宮の四隅に立つ4本をゆっくりと引き倒した。
 
 約150人がそれぞれの柱の囲いを取り払い、根元の土を約2メートル掘り下げた。「御柱休めだでお願いだー」といった「中金子子供木遣(きやり)隊」の木やり唄(うた)に後押しされ、慎重に作業。1本引き倒されるたびに氏子が声を上げ、見物人が拍手を送った。
 
 上社側の8本の御柱休めは、「古(ふる)御柱祭」と呼ばれ、江戸時代から中洲中金子の氏子が担当している。前宮の4本は、神宮寺区(諏訪市)や安国寺区(茅野市)など4区に払い下げる。本宮の4本は23〜24日に倒し、中金子区にある八立(はちりゅう)神社まで曳行(えいこう)する。6月19日には、同神社で8本を普通の柱に戻す神事を行う予定だ。
 
 矢崎宏規区長(48)は「伝統の作業。最後までしっかり奉仕したい」と話した。

(2016年4月17日掲載)

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六甲道の「花水木」で出石皿そばを食べました。

2016年04月18日 | ウォーキングの後の楽しみ
4月のある日、JRのガード下の「カテリーナ」でジェラードを食べ



「カテリーナ」の隣に引っ越した「地蔵屋」で食パンを買ってから



JR六甲道駅の西側にある出石皿そばの店「花水木」に向かいました。ラーメンはどうと聞くと蕎麦がいいとのことなので。

5皿ともペロリと食べました。



出石の皿そばもおいしかったけど、好きなのはざる蕎麦だそうです。
 



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BABYMETAL 『tbs-Newsbird』 2016年04月17日 動画

2016年04月18日 | 音楽・絵画・映画・文芸

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